— Delirious New York Diary

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中央アジア

もともと海外から知人へ、また国内から海外の知人へ建築について、また自分の近況について伝えるコミュニケーションのツールとしてこのブログを始めたのだが、いつの間にか直接メールで何枚もの写真を送れるほどネットもスピードが上がり、いつしかブログの作業がおいてけぼりになっている。ブログそのものが変わったと感じているせいもあるかもしれないが。

今回のテーマは、ある木工工場を訪れた際に手作りの作業がとても印象に残ったのでその際の写真をいくつか取り上げている。キルギスタンの首都ビシュケク近郊の家具工場なのだが、旧ソ連時代の「労働と共同」というスローガンが未だに消え去っていないのに驚いた。ただ手仕事と、コンピューター制御の無菌室におかれた機械とは違った鋼鉄の機械が稼働している工場は、そこで働く人ともどもどこかのんびりした空気が流れている。ソ連時代のプロパガンダから厳しいものが消え去った今、手作業と人の手が作り上げた機械のうなりは急ぐ事なく、それでも絶え間なく動き続けている。


中央からは外れていたキルギスでも、先鋭的なプロパガンダが喧伝されていたのだろうか

まるで古き良きアメリカの野球チームのバナーのようなスローガン

これはどこか50年代のアメリカ郊外の広告のように見える

街のそこかしこに未だにレーニン像が残っているのは、中央アジアぐらいかもしれない

工場の入り口も、どこかのんびりとしている


時間が止まっているかのようー窓に写るものが今なのか過去なのか何となくわからなくなる


組み上がった椅子の骨組みは一つずつ手で組み上げられたもの

ずっと家族や社会を支えてきたかのようなおばちゃんが、慣れた手つきで木材に突き板仕上げを施していた

椅子の布地も時間が止まったかのごとく昔と変わらないものが使われているそうだ


工場の小屋組もなつかしい木の香りがする

ソ連時代に作られ、今も現役で走り回っているトラックは何ともいえずかわいい顔をしている。ソ連は労働と機械社会の未来を見据えたとき、そうした「機械の人間化」を重要視していたとされている

木材の乾燥場はどこか過去の遺跡のような、時代に取り残された場所のような、さらには勝手な妄想だがプロパガンダの行き着く先のような寂しさと怖さを感じた

最後の写真は次回へ続く。

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キルギスタンの首都Bishkekにはアクセスポイントとして短時間滞在するにとどまったが、ホテルの周りを朝散策し、街の雰囲気を感じることができた。
ソ連時代の都市計画を持つこの首都は、大きな街路とそれを彩る街路樹が美しい。大きな特徴はないが、首都としての機能が集約された中心部を外れると、静かな住宅街が広がり、こじんまりとした家が立ち並ぶ。
その中に、いくつかの人が住まなくなって放置された廃屋を見つけ、足を止めた。

赤い星の旗章は、ペンキが剥げ落ちている。ソ連が去り、その住人も去っていったのだろうか。


隣にも廃屋があるが、ここは最近まで人が住んでいたようだ。


なぜだか、懐かしい気がしたのは気まぐれな旅人の無責任。



レンガは、手でひとつずつ積み上げなければならない。手の痕跡は、必ず残る。


塗り込められた漆喰がはがれて、昔の姿が垣間見える。


人が去るときには、残されるものは無造作に残される。


ここには人が暮らしているようだ。手作りの感覚に、ユーモアが見え隠れする。


先ほど言った”懐かしさ”には、この街の家々に見られるこの工芸品のような作りも一役買っている。細かく張り合わされた木板や、積み上げられたレンガは、やはり”製造される”ものとは違うのだろう。


小さな窓に、豊かな感性を感じさせる。大きな壁面の小さな窓だからこそ、そうした気遣いが光る。

なんだか、うれしくなるほど芸が細やかだ。そこはかとなくユーモアまで漂うのだから。



街で美しい家を見つけた。


英語で”cozy”という言葉がある。辞書を引くと、”気持ちの良い、心地よい、居心地の良い、温かい、こぢんまりした、心の通い会う、親しみやすい、打ち解けた、和気あいあいとした、くつろいだ、リラックスできる、楽な、便利な、アットホームな感じの”といった訳があげられている。これは、家というものが生活に根付いて、住み手との豊かな関係が築かれて初めて使える言葉だ。日本の建築界が最近生み出している住宅に、この言葉は当てはまるかどうか。

家は物ではなく、人の暮らしという記号を伝え、暮らしを包む空間である。

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現在進行中のプロジェクト敷地があるキルギスタン、タジキスタンの二つの国を今回初めて訪問した。第一回目は敷地のあるキルギスタン東部の小さな町、Naryn市について紹介する。

キルギスタンはカザフスタンの南方に位置し、中国と国境を接する国である。今回訪れたプロジェクト敷地の一つNaryn市はキルギスタンの主な河川であるNaryn河に面した人工3万人の中部の都市で、北部の首都ビシュケクからは車もしくはヘリコプターなどで国土中央の山脈を越えてようやくたどり着ける。6000m,7000mを超える山々がそびえ、東には天山山脈が中国へと続いていく。高山と、高原の国だ。



まずはその山々の連なりに圧倒される。往きはヘリコプターにてこれらの山脈を超えた。雪を頂いた高峰と、過去永きに渡って繰り返されてきた地球の息吹を感じさせる痕跡の数々は、地球という物が未だ人を寄せ付けない、人知を超えた存在であることを突き付ける。息をのみつつ、この小さなヘリの窓の外を眺め続けた。


様々な顔を見せる地表の文様。自然の作り出す無作為の、無償の造形美。


プロジェクトの敷地に赴くと、前方に赤い岩の山が迫る。その前にはNaryn河が高山からの水をたたえて滔々と流れる。水は澄んでいるのだけれども、氷河の氷を思わせるかの様に、エメラルドグリーンをしている。

振り返ると、今度は別の砂に覆われた岩山が平原に迫る。

町で一つ驚いたのは木々の多さだ。これは旅の途中常にそうだったのだが、人々の暮らす場所には必ず木々が道沿いのみならず植えられ、特に多く見られたポプラの並木が美しかった。砂の山肌に対して、紅葉した木々が美しく映える。


町中にも牛やラバが悠々と歩いている。ソ連が去った90年代は中央アジアにとって失われた10年であったと人々は口にするが、ようやく自立しはじめた国の未来を象徴するかの様に若い人が多く、その言葉と顔は希望に満ちていた。社会も人々の暮らし方も変わりゆくことを自覚しながら、それでも彼らは雄大な自然の中で太古の昔より続く生き方を切り捨てるのではなく、受け入れる方法を自然に見つけ出している。広大な自然と、その中にぽつんと見えるかのような人々や牛たちが、どうしてこれほどまでにとけ込んでいるのか。

町にはモンゴル系の顔立ちの人々が多くを占める。親近感を覚えるのか、屈託ない顔を見せてくれた。



この敷地だけではないのだが、古代に岩に刻まれたとされる絵が地表にまるで無造作に点在している。底に刻まれた放牧の牛や馬や羊やヤギの姿は、昔も今も変わらないこの土地の人々の暮らしを思わせる。


それでも巨大な岩山の前で自らの小ささを感じてしまうのは、経済的な豊かさに慣れ、都市という人工的な巨岩の中に暮らす我々の業なのだろうか。

次回はタジキスタン訪問をお伝えする。

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