— Delirious New York Diary

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Tag "歴史"

前回の続きは”工場”そのもののかもす手の記憶について。

古い工場に刻まれた傷、効率ではない視点で組み上げられてきた機械と人の作業の関係がそのまま形として残っている。

PICT0010 3 鉄の時代の古い記憶
工場の排気管が生き物のように突き出している。空気の流れが有機的であることが形になる

PICT0128 2 鉄の時代の古い記憶
以前の工場は生き物そのものであり、人の作業と一体となっていたのかもしれない
PICT0109 鉄の時代の古い記憶
工場内にも張り巡らされたこれら排気管が、体内の血管のように各部門をつなぎ作動する
PICT0022 2 鉄の時代の古い記憶
木材の乾燥庫には積み重なった煤と油がこびりついて、匂いさえ幾重もの時間の流れを感じさせる
PICT0019 2 鉄の時代の古い記憶

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もともと海外から知人へ、また国内から海外の知人へ建築について、また自分の近況について伝えるコミュニケーションのツールとしてこのブログを始めたのだが、いつの間にか直接メールで何枚もの写真を送れるほどネットもスピードが上がり、いつしかブログの作業がおいてけぼりになっている。ブログそのものが変わったと感じているせいもあるかもしれないが。

今回のテーマは、ある木工工場を訪れた際に手作りの作業がとても印象に残ったのでその際の写真をいくつか取り上げている。キルギスタンの首都ビシュケク近郊の家具工場なのだが、旧ソ連時代の「労働と共同」というスローガンが未だに消え去っていないのに驚いた。ただ手仕事と、コンピューター制御の無菌室におかれた機械とは違った鋼鉄の機械が稼働している工場は、そこで働く人ともどもどこかのんびりした空気が流れている。ソ連時代のプロパガンダから厳しいものが消え去った今、手作業と人の手が作り上げた機械のうなりは急ぐ事なく、それでも絶え間なく動き続けている。

6 20080416201219 手作業の残すもの
中央からは外れていたキルギスでも、先鋭的なプロパガンダが喧伝されていたのだろうか
7 20080416201243 手作業の残すもの
まるで古き良きアメリカの野球チームのバナーのようなスローガン
8 20080416201303 手作業の残すもの
これはどこか50年代のアメリカ郊外の広告のように見える
9 手作業の残すもの
街のそこかしこに未だにレーニン像が残っているのは、中央アジアぐらいかもしれない
1 手作業の残すもの
工場の入り口も、どこかのんびりとしている

2 手作業の残すもの

3 20080416201107 手作業の残すもの

4 20080416201126 手作業の残すもの
時間が止まっているかのようー窓に写るものが今なのか過去なのか何となくわからなくなる

10 手作業の残すもの
組み上がった椅子の骨組みは一つずつ手で組み上げられたもの
12 手作業の残すもの
ずっと家族や社会を支えてきたかのようなおばちゃんが、慣れた手つきで木材に突き板仕上げを施していた
11 手作業の残すもの

椅子の布地も時間が止まったかのごとく昔と変わらないものが使われているそうだ

5 20080416201152 手作業の残すもの
工場の小屋組もなつかしい木の香りがする
14 手作業の残すもの
ソ連時代に作られ、今も現役で走り回っているトラックは何ともいえずかわいい顔をしている。ソ連は労働と機械社会の未来を見据えたとき、そうした「機械の人間化」を重要視していたとされている
13 手作業の残すもの
木材の乾燥場はどこか過去の遺跡のような、時代に取り残された場所のような、さらには勝手な妄想だがプロパガンダの行き着く先のような寂しさと怖さを感じた

最後の写真は次回へ続く。

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幾度かこのブログにも登場している磯崎新は、数多くの著書を残している。建築が「建築」という言語による思考と構築作業であるとするならば、そのプロセスを記述する方法は、ドローイングや模型、ダイヤグラムといったリプレゼンテーション的なものから、そのコンセプトや主旨を主観的に(あるいは客観的に)語る行為である「文章」も、その有用な方法として用いられるのが自然といえる。そこにはもちろん実際の建築との齟齬も発生するだろうが、逆にその空隙に入り込んでくる社会や文化的視点を利用して建築そのものを客観的に捉え直す事も建築成立にとってなくてはならない作業である。そしてそこが建築というフィールドを超えた、異分野間の意見の交換が生まれる素地ともなる。新たな思考へのより広い踏み台ともなる。

「磯崎新の思考力」は、建築に関わる狭い範囲に向けられた言説集というよりは、建築を成立させる社会的広がりに向けられた、建築の外側にいる人にこそ読んでもらいたいと書かれたエッセイ集だ。もちろん専門的な言葉、人物も多くその点すんなりとは読めないかもしれないが、多くの人に読んでもらいたい本だ。タイムリーな話題と、今だからこそ再考されるべきテーマのどちらもがあふれている優れたエッセイだと思う。

昨年、近代建築の二人の巨人の訃報が届いた。アメリカのフィリップ・ジョンソン、そして日本の丹下健三、どちらも両国の近代建築を率いた中心的人物だった。磯崎は、この二人との個人的な関わりを交えながら、彼らの存在を物語っている。

ーーフィリップ・ジョンソンは非常に複雑な生き様とそれを反映したかのような建築への取り組みを見せた、個性豊かな人物だったという。ヨーロッパに起こった近代建築の萌芽に遅れをとっていたアメリカに、啓蒙としてそれらを持ち帰ったのも彼だった。
彼自身は異質の存在となるべく定められた人だった。ファシズムに傾倒し、ナチス・ドイツを崇拝してポーランド侵攻に従軍したこともある。後にはゲイである事を公表し、アメリカの建築/美術界の中で派閥のような権力のサークルを作り出しもした。生まれては消える建築の活動を取り込んではもてあそぶかのように自己解釈して作品に反映していく。それ故に皮肉にも彼は非常に長い間にわたってアメリカの建築界で影響力を持ち続けた。
磯崎はそんなジョンソンの、きらびやかな光と影に彩られた人生を様々な陰と陽の視点を交えて見つめている。

フィリップ・ジョンソンを世に知らしめた作品は、彼のデビュー作となった「ガラスの家」である。(近代建築史再考のエントリを参照されたし)これは同じくガラスと鉄による建築を目指したミース・ファン・デル・ローエの住宅作品、たとえば「ファーンズワース邸」と比較検討されてきた。どちらの邸宅も豊かな自然の中に建ち、とくにガラスの家はダンテ云うところの”アルカディア”とも言えるかのような素晴らしい土地の中に建っている。
20050928151315 王国社「磯崎新の思考力」
フィリップ・ジョンソン「ガラスの家」

磯崎は、その「ガラスの家」の中にイーゼルに載せられたニコラ・プッサンの絵を認める。プッサンは数多くのピクチャレスクな田園風景を”アルカディア”として描いた画家として知られているが、プッサンの絵にはパッラディオが田園風景の中に配したフォリー(フォーカルポイントとなる休憩所等の小さな建造物)がよく描かれており、ジョンソンはガラスの家を建てた後、その周辺の広大な敷地にフォリーのような小さな建物をその時代に流行したスタイルを用いていくつか設計し、風景の中に配置していった。
裕福な家庭に育ったジョンソンは家族のコレクションの多くを処分する中でこの絵を自らの枕元に残したという。それも専門家に鑑定を依頼し、その結果”偽物”であることが判明した後にである。

最後にガラスの家を訪ねた時、磯崎はその絵の左下に、数人の男が棺を担ぎだしている姿が描かれているのに初めて気がついた。アルカディアに死はない。もしくは、死は気付かれない間に消し去られる。ジョンソンは数十年にもわたりそんな絵を枕元に掲げながら、目前に広がる風景には自らの好む建物を一つ一つ作り上げ、自分の求めるアルカディアの風景を作り上げていったのだろうか。
そこにはジョンソンの生き方と考え方が強く反映されている気がしてならないと磯崎は語る。ミースのファーンズワース邸に対し、コピーとは言えないとしてもそのコンセプトを借用した、「偽物」としての「ガラスの家」。ヨーロッパの戦火に崩れ落ちた石造りの伝統都市に対する、ピクチャレスクな自然とそこへ開かれた鉄とガラスの透明な邸宅。その中に掲げられたアルカディアのイメージと、その影を描いた絵画。そこには近代建築の描いた単純な未来像、ユートピアとは明らかに異なる、ジョンソンの心象風景の中にのみ閉じた世界観が垣間見える。

建築においてはつねに伝統と形式の授受が次の世代の建築を生み出す先駆けとなる。それはまるで突然変異のように捉えられがちな近代建築についても実は同じだ。その限られた範囲内からのみ特別なオリジナリティを探し求めることは意味不毛なものである。近代建築には何らかの歴史や伝統様式への参照と模倣が成立の過程で認められるのだが、その点でジョンソンは同時代のミースを参照した。それは時代や権力に寄り添う嗅覚をもったジョンソンの、非常に鋭い洞察であったのだろう。(ミースはシンケルという新古典派を、コルビュジエはルネサンス後期のパラッディオを参照したとされる)
そしてアメリカにおける近代化の遅れを、取り戻す啓蒙活動も行ったのである。ニューヨーク近代美術館MoMAは彼がプロジェクト成立に携わり、近代美術のアメリカへの紹介と近代建築を「インターナショナルスタイル」として紹介する場を作り出す手助けをした。(彼はファシスト活動によってその職は追われているが、モダニズムは第三世界の大規模計画に寄与したのみならず、社会革命を推進するロシアや急進的なファシズムに突き進んでいったイタリアに寄り添っていったこともまた事実であり、その点での検証もモダニズム、そしてジョンソンの建築を理解する上で必要だと思われる)

彼は「後追い」である事を自任していた。その後の建築への取り組みにも、それははっきり現れている。後追い故の、参照と模倣、そしてそこに込められたスパイスのような皮肉と批評。世界規模で模倣され粗製濫造のうちに増殖していった近代建築の未来を、既に見据えていたのだろうと磯崎は見るーーー
ーーもう一つ、磯崎の丹下健三との関わりとつながりの深さを物語るエピソードとして、次の部分を引用したい。丹下健三が広島の原爆メモリアルに携わった際、建築中の建物とかつては墓地であったその建設地を撮った一枚の写真について語った部分である。
「今広島平和記念館となっている建物の位置は、かつて墓地だった。丹下健三は自らシャッターを押してその状態を記録してあった。磯崎新は学生の頃同じ位置に立って、原爆の死者とその先祖達とがともに埋められながら、ここにあらためてその死者を祀る施設をつくろうとして、生と死が重層して見えるその過程に関わる仕事があり得る事に感動して、その写真の作者のもとに弟子入りする事に決めた」

つながりとは、かくも偶然のようでありながら深く強いものなのかと思う。建築の表層的なスタイルの移り変わりの裏に、綿々と続く強固な存在としての蓄積は存在する。それにいかに対峙するかは人それぞれのものであるとしても、それを引き継ぐ役割を、我々は負っているのである。そこから、何かは生まれてくる。

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ゲルハルト・リヒター。20世紀現代アート最後の巨人。

「デュシャン以来、作られるものはレディメイドだけである。たとえ自分が作ったとしても・・・」
近代、そして現代アートの激動の波動を受け止め、それでもなお現代アートを生み出し続ける絶望。そして強度。
絵画が、現代アートが「なにものか」の具象化への意志とするならば、20世紀を経験した我々に残された具象化すべきものは何か。決定不能性の彼方に見える思考停止への予感と恐れ。安定への決して辿り着くことのない絶望的な歩み。そうして20世紀の回帰した絶対零度の原野、それでもなお、そうして冷たく凍りつく原野を、覚醒を待つ記憶と跳躍の意志の充溢した原初の海に還元しようと立つ孤独と、かすかな希望。
「ーデュシャンによって、絵画は死んだ」。その一言に込められた、過去への憧憬、現在という意識、未来への跳躍を待つ意志の、自己による、自己のための静かな認識。その静けさの中から見える、揺らぎ振幅する時の流動性を頼りに、自らと、自らを超えた広がりの中からすくいとられ昇華されていく意識と記憶。果てしない知覚の渦の中をさまよいつつ、覚醒していく意思と認識の跳躍が積み重なり現前してゆくプロセスとしての行為は、すべては必然であり、それ故に、すべては決定されることなく、揺らぎ、振幅する事象となって漂い続けることを受け止める媒体としての自己を緩やかに浮かび上がらせる。彼は事象を反射する鏡であり、また透過するガラスでもある。

「私には何も言うことがない、だからそのことを言う」ーテーマを問われて。ジョン・ケージの言葉を引用するリヒター。
ー絵画は全て抽象である、ということへの問いと認識とが、知覚を「見る」という行為へと昇華し、認識への入り口に導く。アブストラクトとは感覚/認識/情動/記憶の行為とプロセスそのものであり、その軌跡としてのアートは見る者にプロセスを反復し、表現する者と見る者両者の記憶を覚醒させる。それは「知識」というしがらみを瞬時に飛び越え、「見ようとする者」を研ぎ澄まされた感覚と記憶の原野に立たせるーーそこにあるのは直接的で偽ることのない、表現者との、また彼を通じて広がりを持つ過去との対話だ。20世紀現代アートの数々の取り組みーー異化、転化、それによる嘲笑、権威の剥奪、教育、感化ーーリヒターの生み出すものには、それらを通りすぎた後の、雨後のような誠実さがある。鏡とガラス。反射と透過、透明性と不透明性。それは手法でありながら、同時にそれらを通して映し出される何ものかへと辿り着くための手がかりであり、また見る者をも取り込む広がりをもったメディアなのだ。
20060122133951 ゲルハルト・リヒター展〜見るという行為
<ルディ叔父さん>1965. Oil on canvas
ナチス将校の軍服に身を包み、その後入隊2週間で戦死した叔父の姿を写した写真。そうしたわかりやすい物語性の背景で記憶にとどめられることの、叔父本人と「写真の像」との無関係。そうした記憶を通してのみ、あるいは元となった写真の像を通してのみ現れる叔父の存在。それはポップアートが強烈に示した、物語性という虚構の告発である。その時写真は本当に「存在」を現しているのか。写真を見ることによって呼び覚まされる記憶が過去と現在をつなぎ止めることによってはじめて意味を持つならば、「見るという行為」は現在に固定されたものではない。写真を複写し、描き、そしてその輪郭を崩し、ぼかし、異化するーー物語性の呪縛を逃れ、見ることの意味を問う、知覚と認識<あるいは翻訳>の差異を問う作品。ーーもちろん、ドイツ人であるリヒターがナチスという対象と対峙する意味を問う中で生み出された作品、とも言えるだろうが。
gray ゲルハルト・リヒター展〜見るという行為
<グレイの筆跡>1968. Oil on canvas
写真を描いてそれを異化する操作によって時間的揺らぎと感覚/記憶の流動性を絵画化しようとしたリヒターが、今度は抽象絵画/ミニマルアートを「完成/完結」という時間的定点への固定から解き放ち、偶発性ー偶然性ではないーというミニマルアートとは相反する要素を、その<意思の動き=偶発的な未来へのベクトルを持った跳躍>のプロセスを視覚化することで「決定すること」を否定する。原型としてのフランク・ステラの作品を複写し、グレイのネガティブ、白線のポジティブをブラッシュストロークで歪めることでネガ/ポジは混じり合い、直線は歪み、切断され、ぼかされて、視覚的に揺らぐ表層的な変化だけでなく、その対比対象としての根本的な相関関係をも変容させる。こうした異化のプロセス=筆跡が、見るという行為の足がかりとなる。
05 04 07richter 4096farben5 ゲルハルト・リヒター展〜見るという行為
<4096の色彩>1974. Oil on canvas

知覚とは何か、何をもたらすのか。
過去、西洋絵画は我々の周囲にある目に見える事象、また物として名を持つ物質を模倣し、あるいは再構成する手段として始まった。目に見えぬ概念は何物か理解可能な物質や視覚表現に翻訳されることで具象化されたが、概念を概念として可視化することを可能にした透視図法や、知覚を翻訳せず感覚そのものを積み重ねる印象派のような近代絵画の手法、そして数々の文化的・政治的既成概念破壊を目指すことでフィールドの枠組みを横断した現代アートは、具象化の意味するものを感覚知覚、そして認識の深みへと拡げていった。

「これはパイプではない」とマグリットは描いた。「これは風景だ」「これはOOの絵だ」「これは印象派」「この絵は色がきれい」ーー現代において、もはやこうした認識は絵画を「見る」という行為とはなり得なくなったといえる。4096色=RGB 3原色の8bit諧調/カラーという、曖昧さを廃した<デジタル化=色存在の概念化>と、人間知覚によるアナログ的な色彩の概念との間に、果たしてどのような差異が存在し、どのように認識の違いをもたらすのか。「4096の色彩」は、「色彩」という感覚的存在と、物理/哲学的広がりを持つ概念としての色、そして対比/対照という相関関係により単一である色が色彩として相関的に存在規定されることを絵画表面で再構成した作品であり、その色彩は見る者の感覚に訴えながら、同時に色彩という概念と知覚の関係を具現化する。「理解する」という規定事実、そこにおける翻訳の既成概念と短絡性を始点から否定し、見るという行為から不純性を取り除く。
20060122134036 ゲルハルト・リヒター展〜見るという行為
<岸壁>1989. Oil on canvas

絵画という行為が、感覚を鋭敏に研ぎすまし、絶え間ない知覚とその認識、そしてそれを記憶として留める行為であることを、この絵の手法そのものが提示している。下地に塗られた色彩の構成、その上にレイヤーとして重ねられた白色。それは時に下レイヤーの色彩と混じり合い、変容と異化の揺らぎを現す。そしてそこに撃ち込まれる意思として、現在という瞬間の刻印としてのパレットナイフが、それらの蓄積を削ぎ落とし、削り取って、時と記憶の蓄積を白日の下にさらす。それを逐一なぞるかのように深い藍の色が削り跡に寄り添い、認識は再認識に裏打ちされながら、反復の中に意識の揺らぎを描き出す。
<岩壁>のタイトルが示唆するのは、自然の中の岩壁を「見る行為」と、自らの心象風景として翻訳され記憶された岩壁の差異と揺らぎを、絵画というプロセスそのものによって具象化する行為の総合である。その記憶としてのこの作品は、長い年月の末風雨によって削られ、岩肌をむき出し陰影を深めていく岩壁の姿を絵画の手法そのものが模倣しているかのようでもある。模倣と抽象化の蓄積によって描き上げられる水墨画において、描くこと自体が自然に生きることであったことを思い出す。

Forest ゲルハルト・リヒター展〜見るという行為
<森 (3)>1990. Oil on canvas
下地の色彩を闇のような深い青が覆ってゆく中で、絵筆にのせられた新しく輝ける色達が、静かな、しかし確かに繰り返されるブラッシュストロークのただ中に浮かび上がる。絵の具の粘りと筆跡に現出する意思と時の流動。高められた感覚の煌めきと認識のもたらす意識の深淵に、生と、その辿り行く死と直結するかのような感覚にとらわれる。<MoMA所蔵のモネの睡蓮の大作を初めて見たときと、同じだ>

Abstract3 ゲルハルト・リヒター展〜見るという行為
<アブストラクト・ペインティング>1999. Oil on canvas
ブラッシュストロークに託された、強固で鋭い意思。重なり蓄積される記憶の中の、意識の閃き。
abstract2 540x600 ゲルハルト・リヒター展〜見るという行為
<アブストラクト・ペインティング>1997. Oil on canvas
主張し、それによって決定することの否定。この作品では、色彩が比較対照を失いながらもかすかに残ることで、それを曖昧にしてゆく行為と、曖昧な中にも緩やかに浮かぶ色彩の記憶のどちらをも浮かび上がらせる。それは、グレイという黒と白の中間に位置する曖昧で、決定不能性を体現するニュートラルな色にリヒターが惹かれていた事と無関係ではない。色彩を持ちながら、この作品は行為としての<グレイ>を体現している。
彼が<グレイ>について語った言葉ーー「無主張、表現の拒絶、沈黙、絶望のための理想的な色彩。」それでありながら、<グレイ>は、「もはや揺さぶられることのない完全なもの、健やかなものを生み出そうという努力。それ自体で完璧であり、自明で、非の打ち所のないもの。グレイの作品によってそれに近づくことができる」対象、そして行為であると語っている。

glasses 600x421 ゲルハルト・リヒター展〜見るという行為
左:<直立する5枚のガラス板>2002. 右:<11枚のガラス板>(どちらも日本での展覧会の展示とは異なる)

<11枚のガラス板>は大きな展示室の白壁に設置されている。木の支えによってガラスが等間隔に壁面から剥離していくように並ぶ。透明と反射がガラス面のレイヤーによって反復される事で、ガラス面に映り込む像はにじんだようになり、またその輪郭は反復されながらしだいに弱まり、レイヤーの彼方に霧散する。作品を見る者、また展示室の他のリヒター作品も同様に、映り込む事で反復の中に変容し、霧散していく。
<直立する5枚のガラス板>は庭に面した大きな窓のある小部屋に置かれている。窓の外には大きな木がそびえ、その枝葉は5枚のガラスで反射と透過を繰り返しながら空間に霧散していく。窓の横にはモニターが設置され、リヒターのインタビューを交えたビデオ映像が流されている。

部屋を横切ろうとしたそのとき、そのモニター映像までもがガラス板に反射し、パースペクティブな空間の奥へとその像が反復され、弱まり、消失していく様に気付いて足が止まった。ドキュメンタリーという形でビデオ化される彼の姿と言葉、それがビデオ化され複製される事で一般の目に触れるという意味。そしてビデオモニターを通して繰り返される映像としての記録としてのビデオイメージ、それがこの展覧会の展示室という特別な空間で、彼自身の作品によって反射され、反復され、虚像の虚像として空間に浮かび漂い、霧散していくという関係。そこに、彼が見る者に求め続ける、「見る事」へのいざないと問いかけへの橋渡しを作り出そうとする願いがありながら、そうする事の難しさ、またメディアとして存在し、対話を求めることの刹那で儚い繊細で幻のような瞬間と、それを待ち続ける絶え間ない反復と忍耐とを認めた気がした。

忘れ得ない時間となった。

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投げかけられた光と、自ら発光する光。影を作り出すのか、影を照らし出すのか。

20050521095255 光と影ー思想と精神と感覚と
20050521095321 光と影ー思想と精神と感覚と

光と闇は対極にあるものではない。人が介在すれば、その意味も人それぞれによって意味を変える。

janof 光と影ー思想と精神と感覚と

shadow 光と影ー思想と精神と感覚と

谷崎潤一郎の「陰影礼賛」は海外において日本の伝統美を知る上で日本以上に親しまれているように思われる。それは、暗がりに鈍く光を放つ人の生活の証と人の生き方そのものに対する谷崎のノスタルジックな憧憬が描き上げた世界だ。西洋式の生活に慣れていた谷崎本人にはその憧憬世界そのものに住むことはもはや苦痛だったようだが、彼の精神の拠り所として心の中に存在したそれらの心象風景は、彼のその後の生き方と文学作品において大きな意味を持っていた。

美を侘/寂という、時の流れの感覚として捉えた日本の美意識は、西洋における、廃墟という過去への憧憬を促すロマンティシズムの感覚に、実は近いのかもしれない。その意味でも、谷崎は伝統そのものに生きるというより近代的に伝統を捉えたのだった。
20050521095132 光と影ー思想と精神と感覚と

 

20050521095145 光と影ー思想と精神と感覚と

ニューヨークがなぜこれほどまでに過去への憧憬をかき立てるのか。ユートピアを夢見て造り上げられたこの都市が、その過去を受け継ぎながら未来へと変貌している証なのだろうか。ニューヨークという存在に、我々は光と闇とを重ねることでその存在を捉えようとする。人それぞれが、一つ一つの心象風景としてのニューヨークを持っている。

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ニューヨークの建設ラッシュは、鉄の時代の幕開けとともに始まった。

鉄鋼業は新しい時代を「建設」する代名詞となり、産業革命とその結果もたらされる文明の開花を支える役割を担っていった。高層ビルがユートピア都市の象徴とするならば、鉄によってもたらされた都市の基盤たる鉄道や鉄橋は影の立役者として人々を運び、都市へ流入する人々をささえてきたのだ。

イーストリバーに架かるQueensboro Bridgeは、1909年に幾多の紆余曲折を経て完成した。1881に近代的鉄橋の設計計画が持ちあがってから30年近くを要したことになる。設計・建設を担当していたManhattan Bridge Companyが倒産したり、それによってロードアイランド鉄道の鉄橋利用をあきらめるよう余儀なくされるなど、同時期に完成したManhattan Bridgeや、完成当時最高の技術を盛り込んだBrooklyn Bridgeと比較すると最終的に最も計画縮小された、地味なものとなってしまった。

Queensboro1 Iron Ageの落し子~Queensboro Bridge~

たしかに吊り橋構造を利用し、ゴシック風の重厚な外観とケーブルの美しいBrooklyn Bridge, そのBrooklyn Bridgeを鉄によって表現し直したかのようなManhattan Bridgeとは見た目も構造もかなり異なっている。Queensboro Bridgeは吊り橋構造を用いず、鉄橋として精巧な設計を余儀なくされたために、橋梁の陥落事故など、50人もの人命が失われた難関工事で、その繊細で女性的な外観の裏には多くの犠牲が払われている。

 

イーストリバーに浮かぶルーズベルトアイランドをまたぐQueensboro Bridgeのすぐ横を、Trumway(ロープウェー)がマンハッタンとルーズベルトアイランドを結ぶ交通手段として通っている。マンハッタンを空中散歩でき、Queensboro Bridgeを間近に見ることの出来るトラムは隠れた観光スポットだ。鉄構造の間から垣間見えるManhattanが、ノスタルジックに見えてくる。

Queensboro3 Iron Ageの落し子~Queensboro Bridge~

Queensboro4 Iron Ageの落し子~Queensboro Bridge~

マンハッタンのイメージを強調しているのは両サイドを流れる「川」ではないだろうか。高層ビルが建ち並び空を目指すその姿を川の対岸から眺める時、多くの人にとってその不思議な距離感がマンハッタンに対する自分の距離感であるように感じる気がするのだ。以前対岸のニュージャージーにすんでいた頃、冬の朝ハドソンリバーから立ち上る川霧に霞み、遠くにぼんやり浮かんでいる蜃気楼のようなマンハッタンを見ながら駅に向かった。マンハッタンは、そうやって象徴として多くの人々の心の中にとどまっているのだろう。
だからこそ、その川を渡り、マンハッタンに至るという行為そのものにノスタルジーを感ぜずにはいられないのだ。多くの夢や希望を抱えてニューヨークを目指してきた人々の思いが、これらの橋を渡るたびに感じられるからだろう。

Queensboro6 Iron Ageの落し子~Queensboro Bridge~

一度日の傾きかけた頃Manhattan Bridgeを車でわたったことがある。ラッシュアワーでゆっくりと進む車のラジオから、Sarah McLachlanの「Angel」というピアノバラードが流れた。夕日にまぶしいほどにきらめく川の水面を見ながら、その光景にあまりにはまった曲に呆然としたのを思い出す。

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