— Delirious New York Diary

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Tag "レム・コールハース"

最近のSANAAつながりを受ける形で、コールハースの”ジャンクスペース”についての一文から、一部を取り出して紹介しようと思う。

コールハースの持つ元脚本家としての<シナリオ構築=自らの方向付け/オリエンテーション>というプロデューサーとしての顔と、建築家としての<興味=創造プロセス>は、密接に絡み合いながらも実は互いを牽制しあう部分を多分に持つ。<シナリオライター>となることで都市の物語性を紡ぎだし、<プロデューサー>として都市の ’抵抗勢力’ と対峙する責任を負い、(あるいは自ら架空の’ビッグ・ブラザー’として君臨し)<建築家>として物語や好奇心を形にする喜びを味わう(振りをする)ーー自ら演じ批判しあうステージセットを作り出し、そうしたぎりぎりのせめぎ合いの中から現在の建築状況(もちろん自らの生み出して来た物語、建築を含め)を寓話化し、わかりやすい形に翻訳することで、より大きな文化的、社会的広がりの中で都市を、建築を批評する。

それ故にコールハースの描く非常にアレゴリカルな(「恋しさ余って憎さ百倍」といえば言い過ぎだろうか、批評的礼賛や賞賛といった所か)都市像は、「大文字の建築」を離れた広がりの中に、ポップアート的軽さと近寄りやすさとわかりやすさを持って現れてくる。また彼の生み出す建築はそうした背景を通過した所に生み出されながらも、大文字建築に対するストレートな「建築」解のみならず、立ち位置の異なる、より社会的/文化的な側面からの批判的立場を自らの創造プロセスに繰り入れることで利用し、また作品のプレゼンテーションの観客層と受容層を拡げる(それは「広告」でもあることを彼は意図しながら)ためにもそうした立場を利用する。
それは、表面的には当初モダニズムが採ろうとして大々的に表明した輝くようなプロパガンダに組み入れられていた方法論だ。しかしそうしてモダニズムが提示した楽観的なユートピア像と、それに対する汚れなき信奉をもはやストレートに受け入れることのできない我々現代人にとっては、その方法論を、過去への憧憬とアレゴリーの入り交じった、非常に複雑な感情を抱いたまま、批判的に用いざるを得ない立場にいる。「遅れてきた」客人としての現代人たるコールハースは、そうして3つの顔を駆使しながら、ポップでわかりやすい都市像の裏に、ひりひりするような乾いた辛辣な批評を忍ばせる。

以前妹島和世(西沢)が語ったところによると、影響を受けた建築家としてコールハースをまず挙げていた。90年代で最も衝撃的な建築としてあげた例は、コールハースのパリ国立図書館コンペ案やパリ郊外のラ・ヴィレット公園コンペ案だったように記憶する。これらのコンペ案についてはいつか触れるとして、その建築的な提案と、それを提示するシナリオは、ドローイングやモデルのプレゼンテーションによって圧倒的強さを持っていた。その後の妹島の建築言語とそのプレゼンテーションの端々に、確かにコールハースの影響が見られることは確かだ。

上述のとおり、コールハースの建築が圧倒的に強くかつ面白いのは、彼の描くシナリオがまずあり、あくまでその伏線としての建築物が(またはその逆の)実現される点にある。
しかし、SANAAにおいて、コールハースのアレゴリカルで乾いたユーモアを持つ都市像と批評的見地は、ポップで軽さをもつ部分にのみ強くスポットが当てられ、それを用いたスマートな都市像に読み替えられていく。彼が寓話的に用いた、意図された批評的建築言語の持つ大きな文化/社会的広がりではなく、コールハースのプロダクトのごく一部である実現された建物とその建築言語が、<ポップ>という”寓話的ー批評的軽さ”の概念からニヒリズムや寓話性を消し去った先にある、<シンプル><軽さ>というような流用しやすい感覚とイメージに収束されてしまうのだ。皮肉にも、そこから始まる都市イメージと建築は洗練の度合いを増し、肉体的/感覚的軽さを体現する<もの/プロダクト>としての完成度を高めていく。そうした感覚的な軽さやその先にある洗練は、書院造りから数寄屋へと日本伝統建築が興味を移していった様にまさに酷似している。そうして別種の’潤い’を持ったプロダクト達は、<ポップ>の持つ受け入れやすさの側面とともに増殖しながら、それを求める乾いた社会に吸収され、満ちてゆく。

コールハースは、すでにそれを見越している。彼の寄稿した「Junkspace」という一文から、ある部分を抜粋してみよう。
”Death can be caused by surfeit or shortage of sterility; both conditions happen in Junkspace. (often at the same time) Minimum is the ultimate ornament, the most self-righteous crime, the contemporary Baroque. It does not signify beauty, but guilt. Its demonstrative earnestness drives whole cultures into the welcoming arms of camp and kitsch. Seemingly a relief from constant sensorial onslaught, minimum is maximum in drag, a stealth repression of luxury: the stricter the lines, the more irreesistible the seductions. Its role is not to approximate the sublime, but to minimize the shame of sonsumption, drain embarrassment, to lower the higher. Minimum now exists in a state of parastic co-dependency with overdose: to have and not to have, to own and to crave, finally collapsed in a single emotion.
Junkspace is like a womb hat organizes he transition of endless quantities of the Real–stone, trees, goods, daylight, people–into the virtual”

「’死’は殺菌のし過ぎでも不十分でも起こりえる。いずれの状況も(たいがい同時に)ジャンクスペースでは起こる。ミニマムとは、究極の装飾、はなはだ独善的な犯罪、現代版バロックである。それは美の現れではなく、罪悪感の現れだ。そのおおまじめな態度は、全ての文化を、その到来を待ち受けるキャンプ(俗物趣味)やキッチュにおとしめる。感覚をなぶられ続けることからも、ようやく解放されると思いきや、ミニマムは最大<マキシマム>の足かせとなり、密かに贅沢を抑圧する。線は一段と細緻に、魅力はさらに狂おしく。その役割は崇高美に近づけることではなく、消費のやましさを軽減し、不都合なことを水に流し、レヴェルを落とすことである。ミニマムは今や、過剰投与に寄生、依存する形で存在する。要するに、持つことも持たざることも、所有することも要求することも、結局は同じ感情に陥る。ジャンクスペースという名の子宮では、無数のリアルなものーー石ころ、樹木、商品、日光、人々ーーが、ヴァーチュアルなものに変異し始める」

(OMA@work.a+uより抜粋)

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忙しさが一段落したので、完璧に忘れ去られていたこのDiaryに少しは注意を向けたい。(時間が空きすぎて前回のテーマをそのまま引き継ぐのはちょっと難しくなったのと、いくつか質問されたことを受けて、まずは考えをもう一度まとめてみようと思っています。)

時間がかなり空いたので、前々回のエントリの一部を引用して始めたい。
”リベスキンドの打ち出すコンセプトが「正しい」ものであるのか、その方向性はユダヤ人の歴史やホロコーストといった過去の<記憶>を伝え行く上で本当に意義を持つものなのか、そしてそれを建築という言語によって翻訳し、表象することにどのような意味があるのかという問いを、彼の建築そのものが投げかけてくる”

リベスキンドの計画案が世界貿易センター復興計画において選ばれた大きな理由は、同時多発テロを建築によって翻訳し表象するその手腕を買われたからだと考えられる。当時はまだ復興計画に携わる人間とそれを待ち望む人々の思惑が「メモリアル」を作るという一定の方向性のもとに集約し、倫理的/道義的な意味合いも手伝って、計画にリベスキンド本来の詩的なコンセプトが反映されることが許されていた。


左:リベスキンドのオリジナル提出案/中、右:リベスキンドとディベロッパーとなったSOMが共同で修正を加え提出した訂正案。オリジナルから変更されたが、タワーの基本コンセプトである空中庭園はまだ盛り込まれている

しかし、彼の案は計画が進む中で次々に改変され、今やほとんどその原案をとどめないものとなりつつある。アメリカ独立の年を示す「1776フィートのタワー高」といったわかりやすい記号性のみが残り、その覆いの下でリベスキンドの問いかけた本来の意味は骨抜きにされている。力の誇示ではないことを宣言し、メモリアルとしてのタワーとするために途中から空中庭園として、ボイドとして存在するはずだったタワー部分がいつの間にかその全体をオフィススペースの占める、復興計画における実質的な中心部分に変更された。


左:SOMによりさらに変更が進む/中、右:左の案に見られる裾広がりの形が、周辺に空きスペースを作り警護しやすくするという理由で却下、新たな案はテロ以前の建物よりも意匠としてすら後退した

現実的にオフィススペースの需要は大きく、メモリアルなどではない実利的な有用スペースを求める声が計画の初期からあったことは事実だ。しかし、そうした土地の効率利用を声高に叫ぶならば、タワーという力と富のシンボル性と今や同義となったスタイルにのみ固執する理由はもはやない。逆に言えばタワーというスタイルが、この復興計画においては扱いを間違えれば全く違う意味を発信してしまう危険性をはらんでいる。そのシンボル性のはらむ矛盾と誤解の素地は、同時多発テロを理解する上でもカギとなることに目を向ける必要があるのではないか。

ーーこのブログのタイトルのオリジナルである「Delirious New York」において、建築家レム・コールハースは超高層という建造物をカリカチュアの視点と憧憬の念の両方から描き出している。
ヨーロッパや南米、アフリカからの移民が多くを占めるニューヨークにおいて、その民族・文化の多様性は様々なコミュニティーを生み出すと同時に、時に衝突し、時に融和してきた歴史を持つ。それはコニー・アイランドに見られるようなテーマパークによって個々のオリジナルの文化と、ニューヨークの多様性の現状が可視化され、カリカチュアによる黒い笑いが現実における厳しい状況をエンターテイメントのエネルギーに変えるという、ニューヨークのパワーの一つの源となる下地を作ってきた。(例えば、ポルノの集積地だったタイムズ・スクエアが数年で親子連れの闊歩するディズニー・スクエアへ完全に入れ変わることの意味にそれは集約されている)
それらの多様性がマンハッタンの狭い空間に一局化した時、それをコントロールし得るのは碁盤の目に走るアイアン・グリッドであり、とどまることを知らない一局化を許すのはその碁盤の目を空へと押し出すことしかない。初期のマンハッタンにおける高層建築は土地をそのまま空へめがけて押し出すことから始まり、やがてそれはドングリの背比べを抜け出すための更なる高層化とシンボル性を求めた形状操作に突き進んでいった。


左:Theodore Starrettによる100階建てビルの構想。有効土地をそのまま持ち上げたビルの究極。(もちろん建てられていない) 1916年のゾーニングレギュレーションによりこうした建物は建設不可能となる。右:Equitable Building, 1915. 奥に見えている建物。39階建ての、持ち上げ型ビル。巨大な量塊に圧倒される

タワーとトンガリ屋根のスタイルをという一点突破の形態が高さを競い合い、それが碁盤の目の押し出しという土地の効率利用をともなって、超高層ビルは富の集積と、それを生み出す多様なエネルギーの収束していく場として認められるようになってゆく。その究極の姿が、ロックフェラー・センターであり、クライスラー・ビルであり、またエンパイア・ステートビルであり、「キング・コング」なのだ。そしてしだいに土地の効率利用という実態を超えて、様々な思惑や収束するエネルギーから象徴性や記号性をも身にまといながら、超高層建築はやがて偶像として外部から受け止められる存在になっていったのだ。


1916年に定められたレギュレーションにより、一定の高さにおける容積率などが定められた。建築パースを手がけていたHugh Ferrissは、新たなレギュレーションにより不可避となったセットバックを逆に利用して新たな高層建築のイメージをドローイングによって模索し、実際に多くの高層ビルのデザインに関わりながら多大な影響を与えた(Delirious New Yorkより)


左:Woolworth Building, 1913. 60階建ての、”The Cathedral of Commerce.” タワーというタイポロジーが近代高層ビル建築で現実化された最初の建物。右:Empire State BuildingとBryant Park Hotelの冠部分。

Madelon Vriesendrop, Flagrant delit.(Delirious New Yorkより)

しかし世界貿易センターに目を移したとき、それは過去の象徴性を持った超高層建築とは異なる性質を持っていたことに注目すべきだ。実際の土地効率利用やオフィススペースとしての能力を見た時、建物のシンボル性に費やされる部分は次第に有用性を持たなくなっていったし、力や富の誇示としても「高さ」以外に示せるものがなくなりつつあった。世界貿易センターはそれらすべてをいったん別の次元に引き戻そうとした、ある意味で過去の超高層建築とは一線を画すものであったと言える。


テロ直前の世界貿易センタービル。一時世界最高の高さを獲得したが、象徴性という点では目立たない存在だった。”ツインタワー”の愛称で呼ばれ、端正な姿と双子の塔は、逆に空の広さを際立たせ、自信の存在はそれほど主張しない

まず、タワーが空を指し示すことを象徴/表象化するトンガリ屋根/キャップが廃され、”アイアン・グリッド”の透明性に準ずるかのような土地の重層化を究極に突き詰めた完全な押し出し形態(直方体)が採られている。それだけでも過去の超高層タイポロジーが作り上げた「象徴性」を打ち消すパワーがあるが、この直方体を同形のまま隣にコピーしミラーイメージとすることで、「唯一無二」と宣言することがテーマの超高層タイポロジーの象徴性を否定、あるいは”宣言すること”自体を無意味化するかのような態度を示した。(高層建築のツインタワー化はその後タイポロジーとして定着した)そしてまた、鋼鉄とガラスの可能性としてのモダニズム高層である6th Avenueやパークアベニューのビルの数々(ex. ミースによるシーグラムビル)とも一線を画す、鋼鉄の固まりであることを感じさせない表皮=カーテンウォールの扱いも、建造物の象徴的あるいは物質的な存在のどこにも焦点を集めさせない。もちろんアメリカ経済力の在処としてのシンボルとして捉えられてはきたが、世界貿易センタービルは何物かの象徴となることをその物質性と肉体においては静かに否定していたとは言えないだろうか。


X, Y, Z Buildings, 6th Ave. ロックフェラーセンターに戦後加わった追加ビル群。マンハッタンの高層ビル文化を受け継がない、ある意味で世界貿易センタービルの原型となった高層ビル群といえる(Delirious New Yorkより)

それでも、前回の世界貿易センター爆破事件を含め、繰り返しテロの標的になった。以前の意識ならば、キングコングが上り詰めるのは、頂点のはっきりした、唯一無二のエンパイアステートビルでなくてはならなかったし、「ディープ・インパクト」で地上に崩れ落ちるのも、クライスラービルの冠である必要があったわけだ。(実際、世界貿易センタービルがそうした象徴として捉えられることはあまりなかった)そうした中アル・カイーダが、象徴性以上に世界貿易センターの実効性とその無効化による効果を計算にいれてこのビルに対するテロを幾度も実行に移したことは、単なる憎悪の発露といったレベルを超え、アメリカ人のみならず一般人が普通に考えるアメリカの象徴(例えばエンパイアステートビルやホワイトハウスなど)への攻撃とそれによる精神的ダメージという想像可能なレベルを超えた、二つの超高層ビルへの波状攻撃をTVスクリーンのフレーム内で効率的に視覚化し、イラク戦争後に現実化した”混乱状況の現出”に通じるさらに高次のカタストロフの視覚化を目的としている点に注目しなくてはならない。そしてメディアというフィルターを通して事件を知る我々は、超高層ビルのような定式化したタイポロジーが”望まずとも”提示してしまう象徴性が、今やいくらでも受け手によってイメージ操作され別種の象徴として発信されてしまうほどに中途半端なものとなり、可能性を持ってしまったということをもっと真剣に受け止めるべきだ。そうした制御の範囲を超えた象徴性の扱いの難しさがさらに増す中で、表面的に象徴としての世界貿易センターを復興させようとリベスキンド案を翻し、明らかに前時代的な案へ改変している勢力のテロの理由や現状に対する認識の甘さには危機感を覚える。


(クリックで拡大)レム・コールハース率いるOMAによる、北京に計画中の中国中央電視台本社ビル。超高層というタイポロジーを抜け出し、プログラムの詳細なリサーチと形態スタディを繰り返した末に生み出された新たな都市建築は、高さ競争などによる示威行為をはるかに超えた強烈な存在感を生み出し、都市とその多様性そのものを内包させる容れ物としての都市建築を実現させる。右はループする建物の内部に従来の超高層とは違ったプログラム配置がされていることを示すダイアグラム(designbuild network.com/JA OMA CCTVより)

リベスキンドのみならず、多くの設計競技参加者が提示したメモリアルという”方法”は、だからこそそうした対立やそれに対する反抗を求める構図となりかねない力の示威としての(もちろんそれが復興への意思と希望だと100歩譲って認めたとしても)超高層タワーとそうした象徴性の利用とは別の次元をそのコンセプト自体が作り出す可能性と多様性の幅を持っている。現在の案では地上メモリアル部分がタワーの存在に従属する程度の規模に抑え込まれ、多くの建築家の参加によってまるで湾岸戦争多国籍軍のようにイメージ戦略で逃げ切る構えを見せているが、リベスキンド本来の、タワー部分そのものが高層になればなるほど空洞化し空中庭園となることで、示威行動として空を目指す従来の超高層建築となることをその起源から回避し、テロへの敵対対抗ではない、別の出発点からのより豊かな未来への希望としてのタワーというコンセプトは失われてしまった。

何のための設計競技だったか、参加者が提案した多くの案がどのように受け取られ、扱われているのか、我々が知ることは今以前にも増して必要になってきている。幾度かにわたって競技参加プランをとりあげてみたい。

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ニューヨークの都市としての歴史を知る上で、最も面白い本をあげるとしたら(自分にとっては)これしかない。

「錯乱のニューヨーク」レム・コールハース著
このブログのタイトルにも拝借している。彼の作品を理解する上でも、この本は必読と言える。というより、彼の作品は、ここで描かれた彼の都市イメージを一つずつ具現化しているに過ぎない。(彼はもともとシナリオライターを目指していたから、自分の生き方のシナリオをこの本に思い描いたのだろう)

都市を「ジャンクスペース」と語る彼の言葉に皮肉を探すのは可能だが、それよりもニューヨークに対する深い思い入れが、「都市」というもののなかでその一員として何かを創りだそうとする彼のよりどころであることのほうが大きい。そして、高層ビルという今では見慣れて凡庸化したかに見える存在が、都市というイメージを体現し、それを実現する上で数々の夢やユートピア思想を飲み込んできた物として、それを創りだした人々とともに生き生きと描き出されている。

 

ニューヨークを訪れる人にとって、エンパイアステートビルやクライスラービル(残念ながら今はないワールドトレードセンターも含め)はニューヨークそのものであり、都市そのものだ。そうして偶像化された高層ビルだからこそあの9/11も演出された。それらをさらに深く知るガイドブックとして、「錯乱のニューヨーク」はおすすめだ。この本を読んだ上で見るニューヨークは、都市という偶像に隠れた歴史と人々の営みの積み重ねをかいま見せてくれる。

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