— Delirious New York Diary

「誰も知らない」〜アメリカでの評価〜

映画「誰も知らない」はニューヨークでも広い範囲で高い評価を得ていた。高級紙(NY Times, Washington Postなど)やインディー系に強い関心を示すNYのVillage Voiceなど、かなりの紙面を割いて評論しており、この映画に対する関心の強さをうかがわせた。

カンヌ映画祭での最年少主演男優賞受賞という事実を前提にしたものではない、映画自体を評価しようという態度が見て取れたことにまず好感を持った。アメリカにおいてはカンヌ映画祭自体に対してアカデミー賞ほどの体温上昇を感じさせないということもあるが、賞の受賞をナショナリスティックなものとして取り扱い、少なからず経済効果を狙うかのような日本でのメディアの受け取り方より冷静で公正な評価態度だった。

宣伝効果と結びついた映画評ばかりが目立つ日本のメディアには、実は多くの人が辟易としているのではないだろうか。この映画をいかに取り上げるかということは、実は非常に複雑で細やかな態度が必要なものであることを映画を見た人は感じるだろう。その目には、誠実さに欠けるメディアの態度が底の浅いものに映ったとしてもおかしくはない。(NY Timesやインディー系のVillage Voiceなどは、アカデミー賞に対してすら一定の距離を置く)

「誰も知らない」の批評について
アメリカでは多くの批評が映画の中での「距離感」について評論していた。対象である子供たちへの、そして母親にたいしても一定の距離を保っている映画の作りに対して、いい意味であるとか悪い意味であるとかいうのとは別次元に「冷めた距離」という言葉をNY Timesでは用いていた。
補足になるが、NY Timesは驚くべきことに地方紙であり、にもかかわらず世界中の読者に対して発信するために実際常に世界中からニュースを集めてきている。さまざまな文化やそれを背景にした事柄をできる限り偏ることなく論評するために、記事は高いレベルの批評眼と第三者的な距離感を必要とする。その距離感が、是枝監督のとったテーマに対する態度と非常によく似ていることに彼らは気がついていた。ジャーナリスティックなテーマを扱い、虚飾なく、感情に流されることなく社会に提示することー是枝監督のこの態度は、特にマスメディアに携わる人々の共感をえたのだとも考えられる。

もちろん、映画のテーマそのものは我々日本人にとってより真実味を持つ、また持つべき問題であり、アメリカ人としては第三者的な外側からの客観的視点を持たざるを得ない。しかし、そのテーマとの「距離」は、事実をほとんど黙殺し知らないままでいた我々多くの日本人と、アメリカ人批評家との間で果たして異なっているのだろうか?

あくまでこの映画とその提示する問題の意義は、「個人」がどこまでそうした「距離」の存在する事実を受け止め、その意味を問うかにある。是枝監督はそこまで考えた上で映画を作り上げたのではないだろうか。そしてアメリカ人批評家たちはテーマの意味合いと重要性を映画を通して受け止めつつ、それを可能にしたであろう彼のある種ジャーナリスティックな映画作りを大きく評価したように思われる。

アメリカにも深刻な家庭の問題はたくさんあり、社会問題ともなっている。「誰も知らない」の提示する事件は日本という社会が生み出した特殊なケースであることは事実だが、こういった社会的な家庭問題が”存在する”という現実はアメリカでも日本でも同じである。その上で、どういった類いの社会のひずみがこれらの問題を引き起こし、どうすれば解決していけるかということは映画自体では語られていない。アメリカにはシングルマザーが多いし、貧困問題も非常に大きなものだ。その中でこのケースに似た事件は起りえるし、実際起っているかもしれない。しかし、そういった問題に何らかの「結論」なり「解決策」を導き出すことは、この映画や新聞というメディア(少なくともNY Times等)では避けられている。それは見る者/読むものにゆだねられ、それが大きな波となって社会の中で動いていくことを最終目的としているからだ。

「あの母親はひどい」とか、「周りの人間はなぜ気づかなかったか」と語るにとどまることは、彼らと同じであることに気づかないでいるだけのことかもしれない。「社会問題」となる、あるいはされるべき事柄や事件は、漠然とした社会という空間にあるままで個々自らの次元に引き寄せられないならば、いつまでも問題として事柄/事件が認知されることすらないだろう。それをこの映画は提示しているのだ。そして、もしやっと認知されたとき、我々はいかにそれに対峙しえるか。その先は、見る者にゆだねられている。それはある意味、ジャーナリズムの本意といえるのではないだろうか。

補足:
アメリカでは新聞の評論や評価は絶大な影響力を持っている。特に(土地柄、そして経済的理由からNY TimesやVillage Voiceしか目を通していないが)NY Times紙は映画、音楽、本、演劇、アートなどの評論が独立して別紙になっており、特に週末の新聞はものすごい厚さになる。
その分多くの紙面を評論に割くことができ、それを一流の専門ライター陣が執筆している。彼らの評論は確かに鋭い。そして演劇やミュージカルなど、NY Timesで酷評されれば実際1週間もせずに幕を閉じることもあるほど、影響力も強い。
高級紙と呼ばれるNY Timesがアメリカの知識層の判断基準を決定していると言っても過言ではないが、それには政治力や経済力を超えた第三者の視点を貫いているということが支持される最大の理由となっている。もちろん、New Yorkというリベラルで知識層が最も集中している、アメリカでも特殊な都市の新聞、ということは考慮すべき点ではあるが。(アメリカの総意ではないということ)
幅広い視点と許容力を持つことが第三者的視点を保ち得る方法だとして、ニューヨークはさまざまなものを受け入れる受け皿となる。その上で、客観的判断と批評がそれらを淘汰し、さらに高い批評眼を得ることにつながっていく。ある意味で、最も厳しく、だからこそ公正な批評がここでは行われているように思われる。

4 comments
  1. ひつじのだべり場 says: 6月 22, 200511:01 AM

    映画鑑賞その2。

    BGM:Mr.Children(若者たちのすべてはTomorrow never knows☆満)昨日のことですが、また見ちゃいました。暇 「誰も知らない」・・・この映画は随分前から見たかったモノでしたが行きつけのT○UTAYAはいつもレンタル中。ま、火曜しかチェックしないからなんだけどね。(アス

  2. Carolita says: 6月 24, 200511:53 PM

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    久しぶりに遊びにきました!NY Timesは地方紙だったのですね。予想もしませんでした。
    ks530さんの「誰も知らない」のアメリカでの評価、大変興味深い記事でした。
    >漠然とした社会という空間にあるままで個々自らの次元に引き寄せられないならば、いつまでも問題として事柄/事件が認知されることすらないだろう。それをこの映画は提示しているのだ。そして、もしやっと認知されたとき、我々はいかにそれに対峙しえるか。その先は、見る者にゆだねられている。それはある意味、ジャーナリズムの本意といえるのではないだろうか。
    長く引用させて頂きましたが、それは現在の日本のメディアに欠けているものに他ならないと強く感じました。
    あの映画を観て、どれほどの人が自らの次元に引き寄せて考えたのかな?(私も含めて)
    映画は確かに娯楽であるけれども、娯楽にとどまらない不思議な力を持っていると思います。
    NY Timesの評価が全てではないでしょうが、もし今、日本にも「政治力や経済力を超えた第三者の視点を貫いている」メディアが存在していたならば、過去の浮世絵や歌舞伎などのような古典だけでなく、世界中にインスピレーションを与える日本独自の文化がもっと生まれているかもしれません。
    誰が歌っても同じかと思うようなメロディーにのせ、皆同じようなファッションに身を包んだ(笑)インスタント・ミュージックが生まれては消えていく、悲しい日本の現実・・・。
    スタンダードが育たない邦楽に一体誰がしたっ??(小室かっ?レコード会社の策略かった?)
    あ、ごめんなさい!また興奮してしまいました(笑)
    でも、こんな風に論じる機会をもつことが全ての始まりではないかと思います。
    これからもks530さんらしい視点、期待しています。

  3. ひつじ says: 6月 29, 200512:31 PM

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    こんにちは。コメントまで頂きまして感涙です・・・。
    この度は非常に失礼なんですが、ミュージックバトンとやらをお渡ししたく、参上いたしましたぁ!!!
    いや、拒否してもらっても結構なんですが、もしよろしければもらってやってください★
    詳しくは→http://blog.goo.ne.jp/lemonty_piethon/e/094fd2ccc4793c05fdc9eee827bf38f6
    たいへん失礼いたしましたぁ!!!

  4. ks530 says: 6月 30, 20052:20 AM

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    Carolitaさん;
    コメントありがとうございます。日本では中立を保つということもまた「出る杭」であるかのようにとられてしまうような気がします。横並びでいるために、中立ではなく意見や論点をぼやかした、あいまいな立場に居続ける、というのが日本的な所ではないかと思います。中立/客観的であるための是枝監督の努力は非常に大きかったと思います。

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