埋もれたものを、掬い上げる
銅版画を始める上で、まずはかつて自分が描いた絵や撮影した写真、ポートフォリオや箱の中にしまったままになっている自分のかけらを ”掬い上げ、再び磨いてやることからスタートしようと考えた。今後の活動を見据えた上で、これはぜひやらなくてはならない初歩だと思う。美術制作にずっと邁進してきたのならともかく、自分はずっとその手前で留まってきた。再始動するにあたってはやはり、このプロセスを経ることが必要不可欠だろう。
ポートフォリオの中身を引っ張り出して、最初に目についたのは6枚で1セットになるパステル画だった。
高校卒業後にアメリカ留学した際、そして大学卒業後に建築事務所に勤務して中央アジアに派遣された際、いずれの際にも日本に一時帰国した折には日本の「伝統的な」部分に目を向けがちな気がしていた。日本の外の世界と、日本の間にはどのような違いがあるのかに注目せずにはいられなかったからだ。これは意識的にそうしていたわけではなく、やはり海外在住時の日本への「渇き」のような感情に引きずられていたのだろう。
大学在学中、冬休みで帰国した際に「嬬恋宿」を訪れたことがある。当時はまだデジカメやスマホが存在せず、フィルムカメラで限られた数の写真を撮るのが普通だったため、数枚の写真を撮ったのみで帰宅した。しかし嬬恋の印象が非常に強かったため、帰宅後すぐに絵に描こうとしたのである。それも小さな画面に描くのではなく、できるだけ大きな画面に描き出したかった。大きな画面に描く技術や知識などがなかったため、画用紙6枚を並べて一気にパステルで描いてみた。その絵はそのままポートフォリオにしまったままになっていたのだが、今回これを引っ張り出し、写真を撮ってパソコン上で繋ぎ合わせ、加筆と調整を加えて一枚の絵に仕上げてみた。これをジークレー版画で仕上げたものが次の写真だ。
この絵を仕上げながら、不思議な高揚感を感じたのは事実である。ああ、やはり自分はこちらの方が合っている、と素直に感じられた。もしこれがもっと若い頃であったら、これを続けていくことの不安やら何やら余計なことを考えただろう。それがなかったことで、銅版画や絵画に関わることをあまり深く意識せずに決められた。その点は非常に良かったと思う。
これからは少しずつ出来上がったものを紹介していけたらと思う。
銅版画、始める
出雲旅行の道中、ずっと考えていたことに「今後どう生きるか」という、大きなテーマがある。翻訳という仕事の将来性が急速に見えなくなってきたことが主な理由ではあるものの、それ自体はこんなことを考え始めるきっかけに過ぎず、自分のやっていることに何か足りないものを長年感じ続けていたのだと、旅の中ではっきりと認めたことが大きい。
またレーザー加工機を導入して模型を作りながら、実際に手で作り出し、「物」として触れ、感じられるものにやはり強い力を感じたことも確かだ。デジタルデータ化された写真や音楽などに「足りない感」を感じるのに通じるものがある。アナログレコードを集め始めたのもそんな気がしてならないからだろう。
次に進む前にまずはこれまでの自分の総括をすべきだと考え、そこにレーザー加工機をなんとか活用できないかと考えていた中、「銅版画」の工程の一部にレーザー加工機を導入することを思いついた。
銅版画にはさまざまな技法があり、表現できるものもいろいろあるのだが、広く「銅版画」として知られている技法は「エッチング」である。これは、銅版にグランドと呼ばれる保護膜を塗り、これをニードルなどで引っ掻いて剥がした後腐食液に浸けることで、保護膜の剥がれた部分が腐食されて銅版に線が刻まれる。
最も古典的な銅版画は銅板に直接ニードルなどで線を「けがく」ドライポイントと呼ばれる手法だが、この彫り込まれた線にインクを詰め、圧力をかけて紙に刷るのがいわゆる「凹版画」である。
浮世絵などで用いられる木版画は木を削った部分にはインクが載らず、削らなかった部分にインクが載るいわゆる「凸版画」で、銅版画はこの逆にあたるものだ。
この一連の工程の中で、グランドをニードルで引っ掻いて削る部分をレーザー加工機で置き換えることを考えた。銅版に直接レーザーで線を刻み込むことも可能ではあるが、刻み込まれる線のコントロールなどを考えるとグランドを削り取り、エッチングを施す方が良い結果が得られる予感があった。実際、テストしてみると予想通りになった。エッチングの結果が思ったようにならなくても、ニードルを使って手を加えることもできる。そして何よりも、この方法だとニードルの線とは違い、原画の持つ線のニュアンスが再現される。
もちろん、このニードルの線による繊細な線も銅版画の魅力ではあるのだが、一般的に銅版画の世界では「原画の再現」という点に関して言えば少し欠点がある。銅版画では原画を銅版上に「写し取る」という工程が必要だからだ。
その後銅版画の工房に通い、技法を習いながら、版を準備して実際に刷り上げてみると、版画ならではの表現力に手応えを感じた。まずはこのエッチング技法で線画の銅版画制作を行い、抽象画などに面表現に適した「アクアチント」技法を、写真的表現には光の濃淡表現に適した「メゾチント」技法を用いて制作を進めていこうと考えている。写真そのものを版画化するにあたっては、「フォトグラビュール」という写真原板を用いる技法の応用で、原版に活版印刷で用いるフォトポリマーを利用する手法で凹版印刷を試みる予定だ。
まずはこれまで描いてきた絵や写真を版画の形で「掬い上げる」ことで原点を定め、そこから徐々に新しい表現へと拡げていければいい。何はともあれ一歩を踏み出すことにした。
初夏の旅 6. 旅における移動について
旅をする時の一番のテーマの一つは、「移動」にある。
現代人は国中に張り巡らされた公共交通機関を利用して、便利に、早く移動することができるようになった。自分がこれまで生きてきた中でも、新幹線の全国展開や新しい路線の開業など、いくつもの大きな変化を見てきた。しばらくすれば、リニア新幹線の開業も見られることだろう。
ただ今回の旅の移動中には、かつて人々が歩いて国々を巡り、旅をしたことに思いを馳せてみた。
旅の始まりとなった山形県にある山寺こと立石寺は、松尾芭蕉が奥州、北陸を巡って訪れた場所の中でも最も有名な場所の一つだ。「奥の細道」として残された彼の道行きは、芭蕉が150日もの時間をかけ、600里もの距離をほぼ徒歩で歩き通したというものである。
そんな長い行脚の道程があり、辿り着いた山寺ではあの1000段を超える石段を自ら登って、そうして初めてかの有名な「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句が生まれたのだと、今なら思う。この石段を登るだけでもかなり大変なものだ。
この有名な句は、随伴者の曾良が当初書き留めた際には「山寺や石にしみつく蝉の聲」というものだったという。
そして後には「さびしさや岩にしみ込む蝉の聲」という形を経て現在知られる形に落ち着く。
これらの表現の変化から想像されるのはこんな感じだ。
人の姿もまばらな山寺の急峻な岩場を登り、息の上がった自分がふと立ち止まって周りを見回した際に、白中夢のような感覚の中で時の流れが遠のいて行く。その刹那に蝉の声がこだましているかのような感覚を覚えたのではないだろうか。
芭蕉の句には、「一瞬、時間が止まったかのような、そしてその瞬間から悠久の時の流れに自らが溶け込んでいくような感覚」を詠んだのではないかと思えるものが多い。
今回の旅では羽黒山の山伏と話をする機会があり、その際に「自然の中で自分の霊性を通じて自然に対して祈りを捧げる」という言葉を聞いた。
修験道の厳しい修行は俗世の雑事を精神的にも肉体的にも払い除け、その状態の中で自然と相対した時に、自身が「どうあるのか」が重要であると彼は言う。そこから自然に生まれ出てきたのが、彼の言葉によれば「祈り」だった。そして、芭蕉にとってはそれが「俳句を詠む」という行為だったのだろうと想像してみる。
芭蕉が行脚して国を巡った時代に思いを馳せつつも、現代人である自分は今回の大部分の旅程を列車の中で過ごした。車窓を流れる景色を眺め、その変化や美しさに心を動かされながらも、常にその景色を眺めている自分を俯瞰しているような気持ちになる。移動しているのを実感しているからこそ、日常よりも時間の流れ、そしてその中に生きている自分に敏感に思いを巡らせるようになる。
今まで長い距離を移動する度に、いつもこのような感覚を覚えていたのを思い出すのだが、それは「ロードムービー」を観ながら感じる感覚にもちょっと似ている。
それは、大雑把に言えば旅を通じての「生まれ変わり」ということではないか。それは修験道の修行ほど厳しいものではないにせよ、芭蕉が長い行脚の末に見たもの、山伏が修行の先に目指す一つの到達地点にどこか通じるものがあるかもしれない。
初夏の旅 5. 島根・安来の足立美術館
朝から安来に向かう。お目当ては足立美術館の庭と横山大観である。
安来というと「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる水木しげるを描いたNHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」を思い出すのだが、駅にも駅前にもそれを偲ばせるようなものは見当たらない。これについては少し寂しい気がしたが、駅舎は最近建て直されたのか、壮麗な木組構造の小屋組が天井を支えていて立派なものである。待ち時間が長いのだが、これを見ているとそんな時間もあっという間に過ぎる。
気を取りなおして足立美術館行きのバスに乗り込む。
足立美術館は21年間、日本庭園ランキング世界一なのだそうだ。先日の兼六園といい、日本庭園の姿を維持するには並々ならぬ努力と苦労があるのだろう。
この美術館は石庭の周りを回遊するように巡りながら、その間に展示室が配置された作りになっていて、庭のさまざまな部分を垣間見ながら、展示室で作品を鑑賞するという作りになっている。興味を引く要素が一点に集まるのではなく分散されていて、訪れた人を飽きさせない。
石庭には枯葉一つ落ちていない程に手入れされている。借景と呼べる山は背後にないものの、人工的に高低差を作ってなだらかな起伏と共に石で崖や滝の姿を描き出している。低木のこんもりとした刈り込みと、松などの枝振り、石の向きや配置も絶妙なバランスで庭に取り入れられている。
「人の造りしもの」という印象は確かに強い。ただ写真や映像で見たこの庭の印象と、実際に体感して感じる空間の拡がりはやはり別物だ。奥行きを肌で感じて初めてわかる部分がこの庭にはある。というより、庭園というもの自体が体験を前提にして作り出されてきたものだと改めて実感する。別の季節に来れば、全く違う印象を得られるだろう。
横山大観のコレクションで知られる足立美術館だが、幽玄な絵画の中の自然へと誘い込み、惑わせるかのような大観の絵画を展示するこの美術館にとって、この庭園の要素は欠くことのできない要素になっている。大観が見たらどのように自身の絵に取り込んだだろうか、と考えざるを得ない。
展示されている絵画作品は大観の絵を含め、全体的に見ても少ないのだが、色々と発見のある体験ができた。その感想については別のところで詳しく書いてみようと思う。
初夏の旅 4. 松江〜松江城
出雲大社参拝は朝9時には終わってしまった。
ホテルのチェックインは午後なので、出雲市駅から足を伸ばして松江に向かう。
松江には小泉八雲記念館や、正岡子規の記念館など、訪ねてみたい場所がいくつもあるのだが、さすがに深夜バス行の翌日は体がキツいので、今回は欲張らずに「松江城」に絞ることにする。
出雲市駅からローカル線で宍道湖沿いを走る。山形から新潟への途中、日本海沿いの車窓も良かったが、湖沿いの水景はまた違う趣がある。敦賀から大阪への途上でも湖西線から琵琶湖の姿を眺めて心が洗われたが、初めての宍道湖も良い。どこか心が落ち着く。
松江城へはバスで向かうが、「島根県庁前」で降りるとすぐ隣にある。このエリアは安田臣や菊竹清訓の建物が集まっていてそちらにも目が行くのだが、そこは横目で見つつ、松江城へ向かう。
とにかく、松江城の石垣にまずは圧倒される。すごい。そして美しい。
壮大な石垣の間を登って行くと見えてくる松山城の天守閣も良かった。姫路城や熊本城の方が大きく壮麗かもしれないが、この城はどこか落ち着く佇まいを持っている。建物のバランスがゆったりしているからだろうか。
松本城のようなスラリとした佇まいや、彦根城のようなこじんまりとした感じとも違う。何よりあの素晴らしい石垣を登った上にある廓の中に建っている姿がいい。八雲立つ巻雲の青空の下、黒い姿が映えるのである。
久しぶりに古い日本の建物に魅了された。それでは今日は出雲市駅に戻ってゆっくりとするとしよう。
初夏の旅 3. 出雲大社
前日夜中に大阪を出た夜行バスは、早朝6時に出雲市に着いた。駅前にポツンと立つすき家は24時間営業なのか、ありがたいことに営業しているので入ってみると、長距離トラックのドライバーたちで賑わっていた。この時期は日の出が早いので、ほとんど眠れなかった目には朝日が眩しい。
出雲市駅からは「バタ電」こと電鉄一畑線で出雲大社に向かう。始発電車に乗ってごとごと揺られながら30分程でノスタルジックな、出雲大社のイメージからは想像がつかない雰囲気を持つ出雲大社駅に着く。
(現在、国鉄時代の出雲大社駅は改修中で見られないのが残念。こちらは壮観らしい)
出雲大社まで、まだ店なども開いていない参道を歩く。それでも朝早いが参拝者と思われる人がちらほら参道を歩いている。清々しい空気の中、出雲大社の最初の鳥居をくぐった。長い間、出雲大社は訪れてみたいと思っていたのだが実現出来ていなかった。それが今回、ようやく実現した。胸が高鳴る。
朝の日差しの中、参道脇には大きな木々が立ち並ぶ。最後の鳥居をくぐって中に入ると、拝殿の奥に本殿が拡がっているのが見える。
その先に大社造の屋根が垣間見えた。本殿での参拝を終えてぐるりと周囲を巡りながら、本殿やその他の社殿を見上げて感嘆する。エネルギーをもらう。
本殿奥の素戔嗚尊を祀った社殿も良かった。山を背に凛としている。
まだ参拝者はほとんどおらず、神主や巫女たちが社殿の数々を清めている。そして神事を行なっているのか、拝殿の中からは雅楽が響いてくる。
そして、出雲大社の大国主命といえば因幡の白兎伝説が知られるが、そこかしこにこの物語を表す銅像や、さまざまな姿をした兎のかわいらしい像が置かれていて楽しい。神社でこういう気持ちにさせられるのは珍しいと思う。
出雲は日本酒発祥の地とある兎の像に書かれている。御神酒醸造の起源については「君の名は」でもあった通り、巫女が献上米を噛み砕いて発酵を促したのが始まり、との言い伝えがある。
ゆっくりと人前りしてくると次第に参拝者の数も増えてきたので、朝早く来てよかった。またそのうち、資料館などを見るためにももっとゆっくり来たいものである。
初夏の旅 2. 金沢〜21世紀美術館・兼六園
金沢へは初めて来た。なんだかんだと21世紀美術館も見ずにいたのだ。これは良くない。非常に。
金沢城址周辺の整然とした街並みの中に21世紀美術はある。
広く開けた薄緑の芝生の緩やかな起伏の中に、ガラスの青と白い立体が一体となってこの美術館はあった。写真を見たり図面を通じて想像していたより、しっかりとした輪郭を持っていたのに驚いた。もっと何かぼんやりとした印象を受けるものと思っていたからだ。夏の青空が広がっていたのも一因だろう。中に入ってもこの印象は変わらない。ディテールも抽象化や省略ではなく、作り込まれたものになっている。
残念ながら能登地震でこの建物も被害を受けて、展示室のほとんどは見ることができなかったが、主なエリアは歩き回ることができたので充分建物を堪能できた。
この現代建築を後にして向かったのは、ほぼ隣接している兼六園だ。金沢城の巨大な石垣を横目で見ながら登って行くと、街中よりも明らかに涼しい庭園が広がる。展望台からは街が一望できる。
そして、たくさんの庭師が整備活動を行なっているのに驚く。こうしてこの庭は美しい姿を長い時間をかけて守ってきたのだのだと思うと、これが伝統を創り育てるのだと考えざるを得ない。
そういう大きな流れの中に、どうしたら自分も身を置くことができるだろうと思案してみる。
明日は敦賀経由で大阪へ向かい、夜行バスでいよいよ出雲へ向かう。
初夏の旅 1. 山形・羽黒山
修験道では自然の直中で自身と自然の直の繋がりを体感することを目指すのだと言う。とかくわれわれは自分の存在について理屈を通じて「理解」しようと頭で考え、わかったつもりになりやすい。
羽黒山の山伏として80歳に近い現在も日本中を巡っているという彼いわく、修験道では頭で自分の在り方を考えることよりも、現代社会の生活の中では眠っていがちな、自然の一部としての人の存在を体感し直すことにあると言う。これを彼は人の持つ「霊性」を通じて、自然の中で「祈る」ことだと話していた。そして自然の中で日常を生きるという山伏の文化と伝統を自分の身体を通じて繋いでいるのだと。
彼の話を何か清々しい気持ちで聞いていた。旅の始まりとしては最高の出会いだろう。ローカル線の車窓から鳥海山の雄大な姿を拝する。
次の目的地、金沢へ。
多古町周辺地域の立体地図模型〜明治中期の近代地図からうかがい知れるかつての地域の姿
中国での設計活動が一段落し(というかなくなってしまったw)、次に自分が注力するシン・創作活動をどんなものにしようか考えたところ、現在拠点としている千葉県多古町の自然や文化、歴史背景を建築と何らかの形で絡めて形にする、ということを考えた。
千葉県多古町は今は成田空港に隣接する町であるが、長い歴史の中で生み出された独特な自然環境と共に、地政学的にも重層的な成り立ちを持っている、非常にユニークな場所である。
縄文時代には太平洋岸航路の一拠点であったことが日本最大級の丸木舟の出土によって明らかになっているし、古墳時代には西日本から拡がった古墳ネットワークの一部であったことが現存する古墳群によって示されている。また、縄文海進により残された湖沼・湿地帯からなる豊かな土壌は荘園として利用され、それをめぐる激しい勢力争いのためにかつての複雑な海岸線を利用した多数の中世城郭群が築かれ、今もその一部が残されている。さらには日蓮宗の教育機関として大きな勢力を誇った、現在でいう大学としての「檀林」施設が江戸時代を通じて大きな影響力誇つに至った。江戸期には北総沿岸地域の湖沼や湿地帯は水田開発のために干拓され、大規模な改変が行われたが、そうした中でも地域の茅葺き屋根用の葦の狩り場として人々の手が入り続けることで、湿地帯に自生するユニークな植生が保存され、現在も一部が湿原として残ってもいる。自然と人の営みが密接に関わりながら形成されてきた場所なのである。
現在、多古町には「多古光湿原保全会」と「多古城郭保存活用会」があり、これらを保全する活動を行っている。それぞれの活動をお手伝いする中で、何かこれらの活動と、地域形成という建築的視点を結びつける方法はないかと考えてきた。その中で見つけたのが明治中期に日本陸軍によって作成された「迅速測図」である。
この地図は明治25年前後に調査、作成されたもので、手書きではあるものの等高線情報を備えた近代地図であり、現在利用できる高精度で高さ情報まで含んでいる地図の中では一番古いものと思われる。ということは、もちろん中世期とまではいかないものの、それに最も近い地形図として見なすことができるだろう。ただしこの地図は国土地理院他のネット上で公開されてはいるが、地形データではなく地図の画像である。そこで、この画像を地図情報として作成し直し、立体地図化して、地域の中世城郭の分布や、かつての湿原・河川の姿を再現することを目論んだ。
最近導入したレーザー彫刻機を使用して作成したのがこの立体地図模型である。第1段として作成したこの立体模型は多古町南部から九十九里海岸方向を含むもので、現在よりも広い範囲に拡がる多古光湿原や、現在とは異なる流れを示す栗山川・借当川の姿を見てとれる。地域の歴史記録には、多古町近辺で勢力争いの中で繰り広げられた合戦が「船」を使ったものであることが記されているため、現在よりも湿地帯の広がりが大きかったことが予想される。
また、水田として利用される低湿地帯の広がりに対して、台地上部で開けた土地は想像以上に少なく、江戸時代に地域の中心地となった中村地区は、そうした限られた平地の中でも最も広いエリアに形成されたものであることがこの立体地図を見ると明らかである。
そして2つ目の立体模型として、多少範囲を拡げ、迅速測図ではなく「現在の」地図を立体化したものも作成した。これによって、明治期の地形と現在の地形を比較することができ、またより広い範囲の中世城郭分布を見ることができる。より正確で精度の高い現在地図により、縄文海進時に形成されたリアス式海岸状の地形が明らかになり、その先端部分に多くの城郭が配されていたことがわかる。
現在は多古町の北部方向の立体地図模型を作成中で、その次には江戸時代の干拓事業により水田化し消滅した、現在の匝瑳市・旭市地域に広がっていた大きな湖、「椿の海」を含む地域を再現する予定である。また、中世期には今よりも相当に大きく拡がっていた霞ヶ浦周辺地域を再現することで、難所として知られる銚子・犬吠埼沖を迂回するために利用された、多古町の島地区、椿の海、霞ヶ浦などを経由する当時の内陸交通路を示すことができる。
この地域の自然・文化・歴史解明の一助となれば、と考えている。なおこれらの模型は現在、多古町コミュニティプラザ文化ホールの一角に展示中なので、機会があればご覧ください。
自作キーボードという世界
今、自作「キーボード」周りが熱い。ちょっと驚くぐらいの熱気が高まっている。日本ではまだそれほどではないようだが、海外では完全に過熱状態だ。何が起こっているんだ、という状態である。
“Drop”というマニアックな共同購入サイト
以前、海外からヘッドフォンを購入したことがある。かつては”Massdrop”と言っていたが、今は”Drop”と名を変えて運営されている、いわば「共同購入」サイトだ。取り扱う商品は幅広い分野に渡っているが、何というか「男の趣味」的な商品が多い。いくつかあげると、オーディオ製品の中でも「ヘッドフォン/ イヤフォン」「ヘッドフォンアンプ」「USB DAC」に特化した品揃え、あるいはキャンプ用品などの中から「ナイフ」「テント」など。そして今回取り上げる「メカニカルキーボード」である。
Dropが面白いのは、市場にある市販品をそのまま販売するのではなく、オリジナルの仕様や性能をよりマニアックに変更したり向上させるために製品を共同設計し、これを共同購入(購入者を一定人数、一定期間募る)の形で販売することで価格をオリジナルより抑えることを可能にしている点である。Dropが取り上げるのは市場で一定の人気を得た製品が多く、例えばヘッドフォンで言えばゼンハイザーのHD580(DropバージョンはHD58x Jubilee) やHD650もしくはHD660(HD6xx)の仕様変更モデルを共同設計、共同販売するのである。個人的にはこのHD58xやナイフを購入したことがあったのだが、最近サイトを覗いてみた際に「メカニカルキーボード」というセクションがあることに気付き、興味を惹かれたという次第である。
キーボード という装置
当初は「自作」という分野が盛り上がっていることなどはつゆ知らず、最近発売されたDrop製の「ENTR」というメカニカルキーボードに目が止まっただけだった。キーボードについては、現在文章に関わる仕事にしている自分としては欠くことの出来ないものであるため、生命線といえる。にも関わらず、あまり自分から良いものを探すことはしてこなかった。Macを当初から使用しているため、キーボードはApple製のものを使用してきた。初めてMacを購入したのは90年代始めでCentris 650というモデルだったが、その当時キーボードはまだオプションの別売りで、200ドル近くもしたのだが、その時購入したのがApple Extended Keyboard IIである。残念ながらその後キーボードやパソコンは価格を下げるためのコストダウンの時代に入り、結局キーボードは最初に購入したものが一番よく、その後のキーボードには打ち心地や実際の操作性能の点で苦労させられた。そのためADB仕様のApple Extended Keyboard II をUSBコンバーターを介してこれまで使い続けてきた。
キーボードについては、「パソコン」という形でコンピューターが家庭に持ち込まれるようになった当初は非常にていねいに作られた製品が多かったという。例えばIBM PS/55用のキーボード5576-A01は日本製で2万2000円、5576-001は3万8千円のプライスタグがついていた。AppleのExtended Keyboard I(Extended IIのオリジナルバージョン)は現在でも最高のキータッチと打鍵音がすると言われるキーボードの一つだそうだ。自分が使用しているExtended Keyboard IIはこのオリジナルからの改良版とされるが、コストカットが始まったモデルであるとも言われている。それでも、200ドル(実際は178ドルだったか?)をかけたキーボードの品質は、デスクトップパソコンの付属品となったその後のモデルとは比較することができないレベルのものだった。運指をスムーズにするためのスカルプテッドキー(キーの表面部分が指の届く範囲を想定してカーブを描いている)、キーの文字が消えないようにするための昇華印刷や2色成形と行ったキーキャップ の品質と工夫、そして打鍵感や打鍵音。Apple Extended Keyboard II は打鍵感や音の点ではベストな製品とはされていないが、すでに30年近く使用しているものとは想像できない使用感を今も提供してくれるため、なかなか他のものを使う気になれなかった。家にはAppleの歴代キーボードがゴロゴロしているが。(Apple Extended Keyboard II は2台ある。使用中のものはUSA製のカナ無記載のもの、もう一台はメキシコ製でカナ記載のもの。実は性能に大きな差があるためUSA製を使用)
「軸」というキーボード の基軸
最近のキーボードになかなか満足できないため、購入検討のためかなり調べてみた。その中で1つ非常に興味深いと思ったのは、80年代、90年代当時のキーボードの世界において、キーボードの最も重要で核となる部品の1つである「キースイッチ」が日本製であり、世界を席巻していたという点だ。キースイッチについては非常に多くの技術が存在していたそうだが、日本のALPS社のキースイッチが他を寄せ付けない品質と性能を提供し、ついには市場を独占していったというのである。ネットには非常に詳しい情報があるのでここでは割愛するが(最も詳しく紹介されているYouTubeチャンネルが、「Chyrosran22」氏のチャンネルで、とにかくキーボードに関してこれほど詳しい情報はなかなか見つからない)
製品の改良と発展を通じてこのキースイッチの軸部分の色が違うことから、使用されているキースイッチの軸の色でキーボードの仕様や性能を判断することができる。例えば先述のApple Extended Keyboard I はALPS製サーモン軸(一部ピンク軸)、そして自分が使用しているExtended Keyboard II はクリーム軸で、キーボードに興味がある人であれば大体その性能や使用感がイメージできるものとして知られている。
残念ながら、ALPS社はその後キーボードが低価格化する中で市場から撤退していった。キースイッチは機械式(メカニカル)から、部品点数が少なく大量生産可能な方式(メンブレン式など)に取って代わられ、今やパソコンに必ず付属するキーボードは安価なものが用いられている。使用には支障はないものの、エルゴノミクスや使用感については大きく退化したものになってしまった。Power Mac G4に付属していたApple Keyboard Proはメンブレン式のキーボードだが、打鍵時にクニュクニュとずれたりうまく押し込めなかったりして、ミスタイプや打ちもらしが多発し非常に困ったのを覚えている。Mac Proには極薄になったフルサイズキーボードが付属していたが、これはノートパソコンと同じバタフライ機構を備えたもので、キーにクッション性がほとんどなく、キーを押すというより叩くと言った方がよい。長時間打っていると指が痛くなるため、最悪腱鞘炎になってしまうだろう。自分が使用しているMacBook Pro 2016のキーボードはさらにキーを押し込む深さが浅くなり、もはやペタペタと触るような打鍵感になったのだが、発売後故障が多発し、一般にも非常に不評となり、その後のモデルには改良版が搭載されるようになった。このキーボードはMacBook 2009に搭載のキーボードと比較してもストロークが浅すぎ、長時間のタイピングに向かない、また指にも負担の大きいものになってしまったので、自宅では必ず外付けキーボードとしてExtended Keyboard IIを繋いで使用している。
ただ1つ問題があった。Apple Extended KeyboardはADB接続という方式で、USB変換器を使用しないと現在のパソコンでは使用できない。このUSB変換器はまだ値が張らない時期に購入して長きにわたって使用してきたが、さすがに時々認識されなかったり、Mac OS化した後はCapsLockでの英語入力/日本語入力の切り替えができなくなったり(Mac OSではCapsLockで英字/日本語入力を切り替えられるようになっているので、この問題は英字キーボードを使用している自分にとっては手間が増えることになる)使い勝手も落ちてきている。キーボード自体は全く問題ないものの、こうした使用環境の点で怪しくなってきているのは確かである。そこでDROPのキーボードを購入しようと思ったのだが、その先には「自作キーボード」という新たな世界が広がっていた。
ゲーミングキーボードが拓いた世界
今やYouTubeの動画にはそれこそ星の数ほど動画が上がっていて、若いニーちゃんたちがやれキースイッチの性能だ、打鍵感だ、音だ、潤滑すれば打鍵感が良くなる、といった内容をそれこそそこら中の人が語っているのである。これにはちょっと驚いた。ここ数年のことらしい。日本でも多少、メカニカルキーボードというテーマでの動画が散見されるが、これは「ゲーミングキーボード」の範囲内で扱われているように思われる。あるいは、よりマニアックな左右分割式の、プログラマー御用達的な世界はあるようだが。
「ゲーミングキーボード」。想像するに、ブームの始まりはここである。自分はゲーマーではないが、ゲーミングPCのキーボードがかなり気になってはいた。ゲームする上で、キーの反応速度やミスのないタッチは最も重要な点になるだろう。そうすると現在一般的な安価なメンブレン式キーボードでは不満が出る。そうして行き着く先は、性能的には有利になるが高価にもなるメカニカルキーボードであり、まずはゲーミングPCのオプションのメカニカルキーボードを使ったゲーマーたちがその打鍵の気持ちよさや音の良さに気が付き、キーボードというものの「存在」に目覚めたのだろう。誰も気にかけない付属品だったキーボードが、実は非常に奥の深い、使用感や個性を突き詰められるものであるということに。
ゲーミングキーボードはキーの視認性のためにLEDのRGBイルミネーション機能などが備わっているが、これも「見た目」という点で若いゲーマーをメカニカルキーボードに引きつけた理由の1つらしい。そして昨今のアナログブームやレトロブーム。そうした需要に応えるために、キーボード基盤やカラフルなキーキャップ 、ずれ動きにくいキーボードケース、そして音や感触が良いキースイッチなど、キーボードの各パーツが盛んにカスタム仕様化され、ネットで入手可能になってきている。これらを自由に組み合わせて、自分好みのキーボードを自作するのだ。(今や、キーボードを接続する自作USBケーブルも盛り上がってきている)ハマれば楽しいに決まっている。
自作用パーツを集める
いろいろ動画を見て参考にしながら、ネットで自作キーボード用のパーツを注文してみた。実際に仕事に使うヘビーユースを想定しているため、ある程度の金額をかけることにし、2台分、内容の違うものを製作できるよう注文した。今回組み上げるのは、テンキーや機能キーをかなり省いた、フルキーボードの60%から65%のキー数を持つレイアウトの60%キーボードだ。
自作キーボード専門のサイトは日本にもいくつかあるが、海外のものが選択肢も多く、より自由に注文できる。(日本における現在の自作キーボードは、海外と多少違ってプログラマーなどが自分の求める使用感を目指して自作しているようだ。例えば左右に分割式のキーボードなど、エルゴノミクスを追求した感じの自作キーボードが多く、よりディープな世界である気がするが、盛り上がりはかなり限定的な気がする)とにかく、パーツがないことにはどうしようもないので、自作キーボード専門サイトとして人気の高いKBDfanやDROP、Ali Express、そして日本の遊舎工房、TALP Keyboardでそれぞれパーツを注文した。
自作は初めてということもあり、キットの形でいくつかのパーツが含まれているものを選んでいる。
<1台目>
ケース:KBDfan 5° 60%キーボードアルミケース。$88($10ディスカウント中)
PCB(プリント基板):GK64XキットのPCB。GK64XSはBluetoothとUSB接続の両方で使用できるようだが、バッテリー内蔵タイプのためにこれは避けた。付属ケースは今回不使用。Ali Express経由で購入、$54
キーキャップ : DROP Skylightシリーズ 。(2色成形、文字部は光を透過)$45
キースイッチ:Zilent v2 (62g)ZealPC社製 静音タクタイル 70個 $72 なおZealPCはGateron社がOEM生産している。
1台目は送料を考慮すると、だいたい3万円+αとなった。
<2台目>
ケース:KBDfan TOFU 60%キーボードアルミケース 遊舎工房より ¥9,800
PCB:GK61キットのPCB。付属ケースは不使用。Amazon(中国発)¥6,263
キーキャップ :TALP DSA PBT dye-sub キーキャップ60%用 TALP Keyboardより ¥7,000
キースイッチ:Gateron Silent赤軸(リニア 60G)70個 ¥4,900
2台目は約29,000円。こちらは日本からの購入がメインとなったが、それでも値段的には2万9千円弱である。日本で買う方がやはり高価になることがわかる。(キースイッチの値段については、Zilent v2がかなり高価な部類のスイッチであるため大きな差が出た。
パーツ詳細
1. キースイッチはタクタイルタイプ(打鍵の始めにスイッチ感のあるもの。Apple Extended Keyboard IIのクリーム軸もタクタイルタイプ)とリニアタイプ(スイッチ感がなくスッと打鍵される)を選び、1台目と2台目で違う打鍵感にしようと考えた。Extended Keyboard II のクリーム軸は静音タイプとされ、メカニカルキーボード特有の音を抑える部品が組み込まれているので、これまでも音が大きいと感じたことはなかったが、今回の自作キーボードもあまりカチャカチャいわないものを選んだ。この点については、HHKBを以前検討した際にどうしても気になった点なので少し思うところを話したい。
HHKBというベンチマーク
HHKBは「静電容量無接点方式」と呼ばれるキースイッチを使用しており、接点がないために耐久性が非常に高いと言われる。ただ、静音性という点については最新のType-S以外はあまり静かとは言えない。ブログなどではその使用感において、「スコスコ」「コトコト」という表現でその打鍵感や音を表現している場合が多い。ただ自分がこのキーボードを借用していろいろと試した際、キースイッチに被せられたラバードームからくるわずかにクニュッとするような感触がどうしても気になってしまった。これはメンブレン式のラバードームの感触ほどではないにせよ、それに通じる感触で、ALPS軸のタクタイルキーボードや最新のメカニカルキーボードにはない感触だ。個人的にこれに馴染めなかった。「スコスコ」という感触が、バネとこのラバードームの反発力から来るのであれば、打鍵感の点でメンブレン式と違うのはバネのあるなしではないのか、と思ってしまったのである。接点がないことによるスイッチの耐久性は高くても、ラバードームの耐久性はどうなのか?硬化したり、へたったりはしないのか?
HHKBの打鍵感を変えるためのラバードームが別売されているのだが、BKE Reduxという製品で4種類の硬さがあり、異なる感触に変えることができるらしい。(Chyrosran22氏がYouTubeでその違いを比較している動画がある)この点からも、HHKBの打鍵感や音に何らかの不満を持っている人はいるということだ。HHKBの製品としての魅力については疑問の余地がないが、自作メカニカルキーボードがこれほどの人気の高まりを見せ、多くの人がキーボード部品の価格を知りつつある中で、HHKBのプラスチック感の高いケースやBluetooth用バッテリーの扱い方=デザイン的な欠点、そして同じ東プレ製のRealforceとの値段の違いなど、少しどうかなと思ってしまう。今や静電容量無接点方式のキーボードはNizなど中国製他のものがコピー以上の仕上がりで出始めているし、値段もそちらの方が「普通」だ。個人的には、全盛期のALPS軸のような、コストと手間をかけるからこそ生み出される、日本にしかできない製品を期待したいのだが。。。
とにかく。今回購入したZealPC製の静音タクタイルタイプ、Zilent v2「ザイレント v.2」キースイッチは現在市場にあるCherry MX 互換キースイッチの中では後発で、かなり高価な部類に入る。接触部分の素材が別のものになり、デザインも工夫されているため、音を抑えるだけでなく打鍵感も穏やかなものになっている。こうしたキースイッチは店頭で試した程度で比較できるほどの経験がないのだが、ALPS軸とは大きく異なるものだということははっきりしている。それは個人的には何というか世代的な進化と捉えても良いもので、打鍵の軽さ、感触、静かな音(落ち着いた「スコスコ」音 + タクタイル接点を過ぎる際に多少感じるピッチの高い機械音 + 「コトコト」というわずかな底突き音)などは非常に満足できるものだった。ルブのような面倒な手を加えなくとも十分以上に実用的、かつ優れた使用感を持つものだ。何より当初比較検討したHHKBよりも全ての面で良いと個人的には感じる。メカニカルキーボード本来の良さを残しつつ、その各要素を洗練させた感じだ。
2. PCBは、キースイッチをはんだ付けする必要のない「ホットスワップ」タイプで、あらかじめRGB LEDが組み込まれたものを選んでいる。はんだ付けはしても良いと一瞬思ったのだが、場合によってキースイッチを変える可能性も考慮して、このタイプを選んだ。なお、PCBのドライバーやファームウェア、設定用アプリなどについては、現状かなり雑なものだと言わざるを得ない。GitHubなどで有志のプログラマーなどがドライバなどを作成してくれているが、これらについては実際に一般人が利用するにはハードルが非常に高い。このため、最近キーボード専門サイトから入手可能なPCBの多くは汎用的にウェブ上で視覚的に設定ができる「QMK configurator」が利用できるようになっている。残念ながら今回購入したGK64X、GK61はどちらも利用できなかった。このためLEDのRGB発光設定などはあまり細かく調整できない。この点については使用環境にもよるが、簡単に設定できるようQMK対応をうたっているPCBを選んだ方が良いだろう。値段の違いはこうした点から来ているように思われる。
3. 個人的にケースは非常に重要だ。現在入手可能な高価な部類の日本製キーボードを試した際、最も残念に思う点がプラスチック製の筐体やケースだ。もちろん、プラスチック製であることそのものに問題があるとは言わない。ただApple Extended Keyboard IIに用いられているような昔のがっちりしたプラスチックと、今日主流のプラスチックの質にも大きな違いを感じるのである。キーボードをコンパクトにして持ち運びも想定したHHKBについては多少理解できるが、コンパクトであるからこそキーボードは一定の重量でズレないようにしたい。フルサイズキーボードのRealForceは大きいがゆえに、プラスチックのしなりが気になる。Extended Keyboard II は多少しなるがRealForceほどではないし、重量が十分以上にあるため全くズレない。今回は非常にコンパクトな60%キーボードであるため、軽すぎると不用意にズレる可能性もある。堅牢さや耐久性の面でもアルミ製の方が高いだろう。また最近のメカニカルキーボード用PCB(プリント基板)はLEDが大量に組み込まれているため、多少放熱についても気にしたい。結果的に使用してみて気付いた点は、切削アルミ製のケースは分厚く、かなり音を吸収するようで、静音化にも一役買っているのではないかという点だ。そして何より、ソリッドな感じが非常に高く、しなりもないため物としての質感に優れている。長く使う道具としての存在感がある。
4. キーキャップはPBT素材のものを選んだ。ABS素材のものよりもサラッとした感触があり、テカリにくく高品質であるという。1台目のセット用には2色成形のキーキャップ セット「Skylight」シリーズをDROPで注文した。2色成形は文字部分を別の素材で埋め込むため高度な技術が必要でコストも高くなるが、擦れて消えることがないためキーとしての耐久性も高い。このセットは墨色に近いダークグレーと濃いめのグレーの2色のセットで、文字部分は半透明の素材が埋め込まれており、光が透過する。(ただしLEDがオフの状態だとこの文字部分はほとんど見えず、HHKBの「墨+文字無記載」に近い状態になる)文字のイルミネーションはMacBook Proを使用していて便利な機能の一つであるため、このセットで再現したかった。ただ、今回はブラックのケースに合わせてダークなモノトーンのカラーリングのセットを選んでいるのだが、このように文字部が透過タイプのキーキャップ セットで、黒以外で2トーン以上のセットは他にほとんど見当たらなかった。
何れにせよ、さらりとした感触と、エッジのしっかり立ったキーキャップは、いかにもメカニカルキーボードという感じがあり、かつ打鍵時の感触も良い。
もう一台のものはTALP Keyboardから出ているグレーとライトグレーの組み合わせで、一部に差し色として別売りのキーキャップを数個追加した。HHKBのグレー仕様に、鮮やかな色のキーが数個アクセントになっている、といった感じになる。こちらはもう少しヌメッとした感触の、どちらかといえば古いキーボードによく見られるような触感のキーキャップだ。場合によってはもう少しレトロなキーボードに見られるようなキーキャップセットに変えても良い。これもDROPなどからIBM旧式機などをリバイバルしたような、非常に優れたセットが多数販売されている。
まだ全ての部品が届いていないため、まずは1台目、GK64Xキットの基盤とZilent v2キースイッチを用いて矢印キーのある60%キーボードレイアウトのものを作成してみた。
説明書などは全く入っていないため多少組立手順に迷う。
実際の組み立て
1. ケースからねじ止めされているキースイッチの固定用プレートとPCBを取り外す。プレートは別に用意していたのだが、取り付けられていたキースタビライザー(大きいサイズのキーを安定させるための機構)が準備したプレートに合わないため、そのまま付属のものを使用した。(白色のスチール製のため、ダークカラー仕様のキーの隙間から白く見えるのが玉に瑕)
2. キースタビライザーをいったん取り外して確認。自作キーボード派はキースタビライザー付きのキーの打鍵感/音が良くないとして、パーツに潤滑剤を塗布したり(ルブ作業)、布テープを基盤とスタビライザー基部の間に貼る(バンドエイド作業)のだが、どうやら工場出荷時にルブされているようなので今回はそのまま使用した。ルブについては、少し面倒なので今回はやめることにする。
3. プレートにキースイッチを取り付けていく。今回手順を間違えたのは、プレートを取り外した後にPCBを先にケースに取り付けてしまい、プレートにキースイッチを取り付けたものをPCBに押し込む(キースイッチの端子をPCBの端子ソケットに差し込む)形に進めたため、端子がうまく挿さっっているかを確認できなかった点。キースイッチの取り付けが進んでいない状態だとプレートがしなるため、スイッチをまっすぐ差し込むことが難しい。PCBはケースに取り付けずにプレート+キースイッチと組み合わせ、キースイッチの端子がきちんと刺さっているか確認してからケースに取り付けるようにするのが正しい手順のようだ。
実際、完成後に機能しないキーがかなりあり、キースイッチを取り外してみると端子が挿さらずに折れ曲がった状態になっていた。もしキースイッチを交換することを想定していないのであれば、ホットスワップタイプのPCBは避け、はんだ付けする(その際に端子が挿さっているかを確認できる)方が良いかもしれない。長期使用の点でもホットスワップタイプは多少懸念が残る。
4. キースイッチが取り付けられたPCBをケースに取り付ける。
5. キーキャップをはめていく。これはサクッと進む。
6. キーキャップ を全てはめ込み、USBケーブル(現在はType Cが多い。デバイス接続側はType A)を繋いで完成。うまく作動するかテストし、続いて各種の設定を行う。今回この設定部分でつまづいたのだが、これは自分がMac使いであるからで、細かい設定(ファームウェアに設定を書き込むことでアプリなしで機能するようにするなど)は行えていない。(GK64基盤のドライバや設定画面はかなりひどいらしい。またWindowsオンリーのようだ)
キー設定については「Karabiner」というキーボード設定アプリを使用してキーアサインしている。キーボードのRGB照明については、当初よりカラフルな表示はさせるつもりはなかったので、指定されているFnキーとのキーコンビネーションで最低限の設定変更を行い、ブルー単色、常時点灯設定にしてある。時々カラフルな表示をさせても良いだろうが。
そして完成
こうして、一時試行錯誤しながら(キースイッチの取り付け不良の修正作業に多少時間がかかった)完成し、この文章も今回作成したもので書いている。
キーの打鍵感はかなり軽く、Zilient v2はタクタイルと言いつつかなりリニアな打鍵感に近い。この点についてはベストとは言えないが、大きな不満は感じないし、この軽さは指には良いだろう。
音は非常に静かで、消音クリーム軸を使用しているExtended Keyboard II よりも相当に音が小さい。カタカタ音はほとんどなく、タクタイルスイッチのバネ音が少し目立つが、個人的には静かで良かったと思っている。
光を透過するキーキャップについてはMacBookを使用しているとやはり便利だ。スリープ時にはほとんど文字は見えないが、起動すればかなりくっきりと透過した光で文字が浮かび上がる。CapsLockキーのLEDも見やすく、光らなくなり文字種切り替えもできなくなったExtended Keyboard II のCapsLockキーから大きく進化した(元に戻った)。
今回完成品に1つ問題があるとすれば、キーキャップだ。60%用のセットではなくフルサイズキーボード用のセットであるため、今回の文字配列に対応しないキーがいくつかあった。特に左右の各シフトキー、右側のCmd、Altキーは対応するものがないため、仕方なくサイズが合うもので代用している。基本的にはブラインドタッチでキーボード盤面は見ないために問題はないが、完成度という点では多少がっかりな状態である。
部品が届き次第、もう一台を組み立てる予定なので、これも完成したら紹介する。また、自作キーボードに合わせてケーブルも最近人気のカールケーブルを作ってみる(あるいは購入)予定だ。
何れにせよ、既存の一般的なキーボードの品質に疑問を抱き、苦労を厭わずにパーツを集めて自作し、ルブなど手間のかかるModを施し、打鍵音を録音して動画を配信している若い世代の人を見ると、最近のアナログレコード/カセットブームや真空管アンプの人気と通じるものを感じる。レトロでクールと感じたものが、実はコストも品質も伴った現在の製品よりも面白く、優れたものだったと気付くことは、非常に有意義なことではないだろうか。(ちなみにアメリカでは高校でタイピングの授業が必須ではないが選択科目としてあり、大学で大量の論文を書く準備をさせられる)
多少行き過ぎの感じも一部のYouTuberからは感じるが(いくつ作ってんだこいつ)、健全なホビーには違いないと感じた。
追記
アビエーションコネクタとコイルケーブルを用いたUSBケーブルを入手した。自作キーボード派の間ではケーブルも自作することがはやっていて、とてもよくできている。今回は購入したのだが、自作キットを注文してしまった。。。