自作キーボードという世界

今、自作「キーボード」周りが熱い。ちょっと驚くぐらいの熱気が高まっている。日本ではまだそれほどではないようだが、海外では完全に過熱状態だ。何が起こっているんだ、という状態である。 “Drop”というマニアックな共同購入サイト 以前、海外からヘッドフォンを購入したことがある。かつては”Massdrop”と言っていたが、今は”Drop”と名を変えて運営されている、いわば「共同購入」サイトだ。取り扱う商品は幅広い分野に渡っているが、何というか「男の趣味」的な商品が多い。いくつかあげると、オーディオ製品の中でも「ヘッドフォン/ イヤフォン」「ヘッドフォンアンプ」「USB DAC」に特化した品揃え、あるいはキャンプ用品などの中から「ナイフ」「テント」など。そして今回取り上げる「メカニカルキーボード」である。 Dropが面白いのは、市場にある市販品をそのまま販売するのではなく、オリジナルの仕様や性能をよりマニアックに変更したり向上させるために製品を共同設計し、これを共同購入(購入者を一定人数、一定期間募る)の形で販売することで価格をオリジナルより抑えることを可能にしている点である。Dropが取り上げるのは市場で一定の人気を得た製品が多く、例えばヘッドフォンで言えばゼンハイザーのHD580(DropバージョンはHD58x Jubilee) やHD650もしくはHD660(HD6xx)の仕様変更モデルを共同設計、共同販売するのである。個人的にはこのHD58xやナイフを購入したことがあったのだが、最近サイトを覗いてみた際に「メカニカルキーボード」というセクションがあることに気付き、興味を惹かれたという次第である。 キーボード という装置 当初は「自作」という分野が盛り上がっていることなどはつゆ知らず、最近発売されたDrop製の「ENTR」というメカニカルキーボードに目が止まっただけだった。キーボードについては、現在文章に関わる仕事にしている自分としては欠くことの出来ないものであるため、生命線といえる。にも関わらず、あまり自分から良いものを探すことはしてこなかった。Macを当初から使用しているため、キーボードはApple製のものを使用してきた。初めてMacを購入したのは90年代始めでCentris 650というモデルだったが、その当時キーボードはまだオプションの別売りで、200ドル近くもしたのだが、その時購入したのがApple Extended Keyboard IIである。残念ながらその後キーボードやパソコンは価格を下げるためのコストダウンの時代に入り、結局キーボードは最初に購入したものが一番よく、その後のキーボードには打ち心地や実際の操作性能の点で苦労させられた。そのためADB仕様のApple Extended Keyboard II をUSBコンバーターを介してこれまで使い続けてきた。 キーボードについては、「パソコン」という形でコンピューターが家庭に持ち込まれるようになった当初は非常にていねいに作られた製品が多かったという。例えばIBM PS/55用のキーボード5576-A01は日本製で2万2000円、5576-001は3万8千円のプライスタグがついていた。AppleのExtended Keyboard I(Extended IIのオリジナルバージョン)は現在でも最高のキータッチと打鍵音がすると言われるキーボードの一つだそうだ。自分が使用しているExtended Keyboard IIはこのオリジナルからの改良版とされるが、コストカットが始まったモデルであるとも言われている。それでも、200ドル(実際は178ドルだったか?)をかけたキーボードの品質は、デスクトップパソコンの付属品となったその後のモデルとは比較することができないレベルのものだった。運指をスムーズにするためのスカルプテッドキー(キーの表面部分が指の届く範囲を想定してカーブを描いている)、キーの文字が消えないようにするための昇華印刷や2色成形と行ったキーキャップ の品質と工夫、そして打鍵感や打鍵音。Apple Extended Keyboard II は打鍵感や音の点ではベストな製品とはされていないが、すでに30年近く使用しているものとは想像できない使用感を今も提供してくれるため、なかなか他のものを使う気になれなかった。家にはAppleの歴代キーボードがゴロゴロしているが。(Apple Extended Keyboard II は2台ある。使用中のものはUSA製のカナ無記載のもの、もう一台はメキシコ製でカナ記載のもの。実は性能に大きな差があるためUSA製を使用) 「軸」というキーボード の基軸 最近のキーボードになかなか満足できないため、購入検討のためかなり調べてみた。その中で1つ非常に興味深いと思ったのは、80年代、90年代当時のキーボードの世界において、キーボードの最も重要で核となる部品の1つである「キースイッチ」が日本製であり、世界を席巻していたという点だ。キースイッチについては非常に多くの技術が存在していたそうだが、日本のALPS社のキースイッチが他を寄せ付けない品質と性能を提供し、ついには市場を独占していったというのである。ネットには非常に詳しい情報があるのでここでは割愛するが(最も詳しく紹介されているYouTubeチャンネルが、「Chyrosran22」氏のチャンネルで、とにかくキーボードに関してこれほど詳しい情報はなかなか見つからない) 製品の改良と発展を通じてこのキースイッチの軸部分の色が違うことから、使用されているキースイッチの軸の色でキーボードの仕様や性能を判断することができる。例えば先述のApple Extended Keyboard I はALPS製サーモン軸(一部ピンク軸)、そして自分が使用しているExtended Keyboard II はクリーム軸で、キーボードに興味がある人であれば大体その性能や使用感がイメージできるものとして知られている。 残念ながら、ALPS社はその後キーボードが低価格化する中で市場から撤退していった。キースイッチは機械式(メカニカル)から、部品点数が少なく大量生産可能な方式(メンブレン式など)に取って代わられ、今やパソコンに必ず付属するキーボードは安価なものが用いられている。使用には支障はないものの、エルゴノミクスや使用感については大きく退化したものになってしまった。Power Mac G4に付属していたApple Keyboard Proはメンブレン式のキーボードだが、打鍵時にクニュクニュとずれたりうまく押し込めなかったりして、ミスタイプや打ちもらしが多発し非常に困ったのを覚えている。Mac Proには極薄になったフルサイズキーボードが付属していたが、これはノートパソコンと同じバタフライ機構を備えたもので、キーにクッション性がほとんどなく、キーを押すというより叩くと言った方がよい。長時間打っていると指が痛くなるため、最悪腱鞘炎になってしまうだろう。自分が使用しているMacBook Pro 2016のキーボードはさらにキーを押し込む深さが浅くなり、もはやペタペタと触るような打鍵感になったのだが、発売後故障が多発し、一般にも非常に不評となり、その後のモデルには改良版が搭載されるようになった。このキーボードはMacBook 2009に搭載のキーボードと比較してもストロークが浅すぎ、長時間のタイピングに向かない、また指にも負担の大きいものになってしまったので、自宅では必ず外付けキーボードとしてExtended Keyboard IIを繋いで使用している。 ただ1つ問題があった。Apple Extended KeyboardはADB接続という方式で、USB変換器を使用しないと現在のパソコンでは使用できない。このUSB変換器はまだ値が張らない時期に購入して長きにわたって使用してきたが、さすがに時々認識されなかったり、Mac OS化した後はCapsLockでの英語入力/日本語入力の切り替えができなくなったり(Mac OSではCapsLockで英字/日本語入力を切り替えられるようになっているので、この問題は英字キーボードを使用している自分にとっては手間が増えることになる)使い勝手も落ちてきている。キーボード自体は全く問題ないものの、こうした使用環境の点で怪しくなってきているのは確かである。そこでDROPのキーボードを購入しようと思ったのだが、その先には「自作キーボード」という新たな世界が広がっていた。 ゲーミングキーボードが拓いた世界 今やYouTubeの動画にはそれこそ星の数ほど動画が上がっていて、若いニーちゃんたちがやれキースイッチの性能だ、打鍵感だ、音だ、潤滑すれば打鍵感が良くなる、といった内容をそれこそそこら中の人が語っているのである。これにはちょっと驚いた。ここ数年のことらしい。日本でも多少、メカニカルキーボードというテーマでの動画が散見されるが、これは「ゲーミングキーボード」の範囲内で扱われているように思われる。あるいは、よりマニアックな左右分割式の、プログラマー御用達的な世界はあるようだが。 「ゲーミングキーボード」。想像するに、ブームの始まりはここである。自分はゲーマーではないが、ゲーミングPCのキーボードがかなり気になってはいた。ゲームする上で、キーの反応速度やミスのないタッチは最も重要な点になるだろう。そうすると現在一般的な安価なメンブレン式キーボードでは不満が出る。そうして行き着く先は、性能的には有利になるが高価にもなるメカニカルキーボードであり、まずはゲーミングPCのオプションのメカニカルキーボードを使ったゲーマーたちがその打鍵の気持ちよさや音の良さに気が付き、キーボードというものの「存在」に目覚めたのだろう。誰も気にかけない付属品だったキーボードが、実は非常に奥の深い、使用感や個性を突き詰められるものであるということに。 ゲーミングキーボードはキーの視認性のためにLEDのRGBイルミネーション機能などが備わっているが、これも「見た目」という点で若いゲーマーをメカニカルキーボードに引きつけた理由の1つらしい。そして昨今のアナログブームやレトロブーム。そうした需要に応えるために、キーボード基盤やカラフルなキーキャップ 、ずれ動きにくいキーボードケース、そして音や感触が良いキースイッチなど、キーボードの各パーツが盛んにカスタム仕様化され、ネットで入手可能になってきている。これらを自由に組み合わせて、自分好みのキーボードを自作するのだ。(今や、キーボードを接続する自作USBケーブルも盛り上がってきている)ハマれば楽しいに決まっている。 自作用パーツを集める いろいろ動画を見て参考にしながら、ネットで自作キーボード用のパーツを注文してみた。実際に仕事に使うヘビーユースを想定しているため、ある程度の金額をかけることにし、2台分、内容の違うものを製作できるよう注文した。今回組み上げるのは、テンキーや機能キーをかなり省いた、フルキーボードの60%から65%のキー数を持つレイアウトの60%キーボードだ。 自作キーボード専門のサイトは日本にもいくつかあるが、海外のものが選択肢も多く、より自由に注文できる。(日本における現在の自作キーボードは、海外と多少違ってプログラマーなどが自分の求める使用感を目指して自作しているようだ。例えば左右に分割式のキーボードなど、エルゴノミクスを追求した感じの自作キーボードが多く、よりディープな世界である気がするが、盛り上がりはかなり限定的な気がする)とにかく、パーツがないことにはどうしようもないので、自作キーボード専門サイトとして人気の高いKBDfanやDROP、Ali Express、そして日本の遊舎工房、TALP Keyboardでそれぞれパーツを注文した。 自作は初めてということもあり、キットの形でいくつかのパーツが含まれているものを選んでいる。 <1台目>ケース:KBDfan 5° 60%キーボードアルミケース。$88($10ディスカウント中)PCB(プリント基板):GK64XキットのPCB。GK64XSはBluetoothとUSB接続の両方で使用できるようだが、バッテリー内蔵タイプのためにこれは避けた。付属ケースは今回不使用。Ali Express経由で購入、$54キーキャップ : DROP Skylightシリーズ 。(2色成形、文字部は光を透過)$45キースイッチ:Zilent v2 (62g)ZealPC社製 静音タクタイル 70個 $72 なおZealPCはGateron社がOEM生産している。 1台目は送料を考慮すると、だいたい3万円+αとなった。 <2台目>ケース:KBDfan TOFU 60%キーボードアルミケース 遊舎工房より ¥9,800PCB:GK61キットのPCB。付属ケースは不使用。Amazon(中国発)¥6,263キーキャップ :TALP DSA PBT dye-sub キーキャップ60%用 TALP Keyboardより ¥7,000キースイッチ:Gateron Silent赤軸(リニア 60G)70個 ¥4,900 2台目は約29,000円。こちらは日本からの購入がメインとなったが、それでも値段的には2万9千円弱である。日本で買う方がやはり高価になることがわかる。(キースイッチの値段については、Zilent v2がかなり高価な部類のスイッチであるため大きな差が出た。 パーツ詳細 1. キースイッチはタクタイルタイプ(打鍵の始めにスイッチ感のあるもの。Apple Extended Keyboard […]

真空管アンプを組み立てた Triode TRK-3488というキット

何年も放置していた当ブログ。実際めんどくさがりの自分には短く毎日何かを書く、みたいな習慣は身に付かない。どちらかと言えば、何か思ったことを少し寝かせながら考えて、一まとめに書く、というスタイルである。このやり方の欠点は、「思ったこと」がいくつか重なるとあっちこっちに思考が飛ぶので、結局のところまとまらないでいつの間にか霧散してしまう点だ。 そこで、ある程度テーマを絞ることにした。建築だったら建築、音楽だったら音楽、オーディオだったらオーディオを大きなテーマとして、その中でもう少し具体的なテーマを選ぶ。オーディオ → 真空管アンプ、みたいな感じで。それならばもう少し、備忘録的にでも書く気になるかもしれない。何かをやった日には、書きたくなるではないか。 というわけで、久しぶりのブログのテーマは「オーディオ」、そして今回は真空管アンプである。最近、オーディオ界隈では多少の広がりを見せている真空管アンプであるが、ニッチであることには変わりがない。それでいて、非常に奥の広い世界が広がっている。枯れた技術であるが、そこに魅力がある。アナログレコードのブームもかなり定着した感があるが、そこに通じるものがある。というか、アナログレコードとセットに考えられそうなのが真空管アンプである、と思う。 ネットで調べてみると、うかつには手を出せない奥の深さがある(手は出ても金は出ないので)。アナログレコードの魅力の1つに「大きなレコードを手に取り、ジャケットからうやうやしく取り出してプレーヤーに置く」一連の動作=儀式」があり、さらにはCDにはない、ましてやデジタル音源からは得られない感覚としてレコードの重さや大きなジャケット、盤面の迫力、温かみのある音といった「何か」別の満足感がある。そして、レコードプレーヤーの繊細さ。カートリッジを交換すれば音が変わり、その微細な信号をいかに増幅して再生するかに苦心する。その一連の流れや作業そのものがアナログレコードの魅力であり、そこにデジタルではなく「アナログな」真空管アンプを加えてみたいと考えるのは自然な流れなのかもしれない。音楽を聴くことがいつの間にか生活の空気のようなものになり、それはそれでいいとしても「じっくり」音楽を聴いて楽しむことが減ったように思うが、久しぶりに「スキップ」したり「選曲」することもままならないレコードで聴いた「音楽」は、かつてないほどに心を打つものだった。 真空管はかつて普通の電気部品であったものの、次第に別のより効率の高い部品に取って代わられていった、古い製品である。(ギターアンプなどでは今も第一線で活躍しているが)10年前であれば、白熱電球はまだ市場に存在したが、それが蛍光灯型になり、今やLEDに取って代わられた。真空管は白熱電球に近い部品で、電球よりもさらに早く一線から退いたはずが、今や古いほどヴィンテージとして高値で取引されるものになっている。まだ古い電気機器が広く使われている旧東側諸国や中国ではまだ製造されているが、日本では現在製造している会社は残り少なくなっている。 真空管アンプの仕組みについてはあまり深追いしないことにしたが、製造メーカーの違いで真空管を楽しんだり、交換して楽しむ世界があると知った。そして調べていくうちに、自分でアンプを組み立てたり(できる人は当然回路図から設計する)、それを一部楽しめるキットがあることもわかった。それがわかると、どうしても完成品を買うだけでは満足できない気がしてしまう。かといってゼロから作り上げることは自分の知識では難しい。そうして探し当てた製品が、Triode社の真空管アンプキットであり、いろいろ考えた上その中の「TRK-3488」を選択した。 このキットは多分、ちょっと電気工作をしてみたいという、初心者に向けたものだと思う。その代わり、完成した製品は組み立てキットにありがちな「ガレージ感」ではなく、売り物としてのデザインや品質のクオリティを追求したものになっている。塗装の仕上げや前面・背面パネルの質感も良い。難しい部分はすでに組み上げられており、回路も基盤化されているので、部品を基盤に半田付けしていくだけである。ていねいに番号付けされた部品を対応する基盤の番号位置に取り付け、半田付けしていくだけである。半田付けをあまりしたことがない人でも、基盤に差し込んで半田付けするだけで良いので、進めていくうちに慣れてうまくできるようになるはずだ。そして、週末1日をかければ完成する分量なのもうれしい。十分な達成感も得られる。   組み立て後、電源のLEDが光らない不具合があったが、これはソケット付きのケーブルの差込が逆なだけだったのですぐに治った。真空管がほんのりとオレンジ色に光を放ち、温かくなったのちに音楽を再生する。初めて音が出た時の満足感は、やはり完成品の場合とは違うなんとも言えないものがある。苦労した甲斐があるというものだ。 まずはアナログレコードの音を聞いてみると、やはりいつものトランジスターアンプとは音が違う。まだエージングも済んでいないだろうが、いつもよりもだいぶ陰影が濃い。もちろん、最近いつも使用しているスピーカーではなく以前のスピーカーを引っ張り出してきたこともあるだろうが。これからも音が変わっていくだろうし、真空管を変えて遊んでみるのもいい。 ただかなり熱くなる。夏に使うのはよろしくないという情報はその通りらしい。そこも逆にアナログらしいところであり、一日中絶え間なく音楽を流すような最近の聴き方には向かないが、レコードを1枚、通しで聞いたりといった、「集中して音楽を聴く」聞き方には向いている。 音楽サーバー(I O DataのSoundgenic) に取り込んだデジタル音源もこのアンプで聞いてみた。スピーカーも違うので一概には言えないが、最近聞いていた音と比べると粗さもありつつ、濃淡の濃い音が聞こえてくる。 これで性格の違うシステムが2系統になったので、聴く音楽によって変えてみるのも良いかもしれない。 巣篭もりが充実する、良い物を手に入れた。

千葉県多古町の古民家改修 その6. 裏庭の作業小屋 6. Workshop in the backyard

今回民家を改修してくれた棟梁が、借地に建てていたために立ち退きの際、取り壊さなければならなくなった木材加工の作業小屋を、裏庭の空いたスペースに移築してくれることになった。 The master carpenter who renovated the old Japanese house was told to leave the place he built his workshop—the land space is not his own, he had been leasing the lot. It is unfortunate but he had to demolish the workshop—then there is the backyard of my house, which is so wide open. 日本の伝統的な木材建築で最も特筆すべき点は、木組みによる木材の組み上げによって建ち上がる構造物が、解体すれば部材ごとの「部品」に戻り、再度組み上げることができるという点にあるかもしれない。今回のプロジェクトではそれを強く通関させられた。鉄筋コンクリート造りなどの建築物ではこうはいかないのである。 The most significant advantage of wooden construction found in Japanese traditional architecture is that the once built structure can be disassembled into pieces of wooden part, and if wanted, those pieces can be reassembled in order to rebuild it in similar manner. I strongly realized with this point in this renovation project—it can not be done […]

千葉県多古町の古民家改修 その5. 建物の間取り 5. Space configuration of the original / new building

民家の改修は最終段階に入っている。(レポートは完全に周回遅れ)数枚だけ現場写真を紹介しつつ、今回は建物内外の進捗状況についてはいったん脇に置き、建物の間取りについてのレポートになる。 The renovation of the old Japanese house is now at the final stage. (while the report is so behind…) I introduce one photo of the current condition, yet this time I am going to report the “space/configuration” of the building. 以前の平面プランと新しい平面プラン Original building plan and the new floor plan 1. 構造を残して建物の内装を剥がした際、いくつか当初の遺構が残っていた。畳下の野地板の下には、石を積んで漆喰で固めた囲炉裏が部屋ごとに一つずつあり(計2つ)煮炊きをしたり、暖を取ったりしていたのではないかと思う。建て増しした下屋にあったかまどは現在も販売されている新しいものなので、独立した厨房は当初は備えられておらず、後ほど加えられたものと考えられる。今回、厨房エリアは居間よりも一段低い床仕上げとし、天井の小屋組を見せつつ壁で仕切って充分な作業スペースを取った。 1. When the interior finishes was removed from the structural elements, there were some left over elements of the old condition.  For example, there were fireplaces on the floor by stacking up stones (at each room of the two living rooms) for cooking, dining and warming at the fire.  The stone cooking stove appeared to be quite new, […]

千葉県多古町の古民家改修 その4. 基礎補修と補強 4. Fixing and reinforcement of base structure

建物の問題の一つに、古い建物故の基礎構造部材の少なさがあった。前回触れたように、屋根構造は重量のある茅葺き屋根を支えるための非常にしっかりとした構造部材が用いられているが、床下構造は当時一般的だった一間につき一本の大引(床下の水平部材で、床板を貼る根太を取り付ける部材であるとともに床部構造の補強、重量分散の役割がある)しかなく、室内を歩くと床がしなり建物が揺れる状況だった。 One of the problem of this building was the lack of essential structure elements at the foundation parts.  As I have mentioned, “roof” structure is overly massive in order to support heavy reed roofing.  However, the foundation part has much less structural element–the number of header joist is just a single piece for a room, therefore the floor was cushy and shaking when I waled in the rooms. またもう一つの大きな問題は、長年重みのある屋根構造を支えてきたためにもともと貧弱な基礎構造が場所により沈み込んで、建物に大きな歪み(傾き)が発生していた。まずは全ての床・床構造を取り払い、ジャッキで持ち上げて水平を出した後、歪みを補正する部材追加作業を行った。 Another major issue is also about the structural issue, as some parts of the building are sunken without maintaining a horizontality.  The first step was to remove all the base structure of the floor area in order to jack-up sunken […]

千葉県多古町の古民家改修 その3. 屋根改修 Old-house renovation 3. Roof

屋根工事1 内装などを取り払った後、屋根を葺き替える工事に入る。 出し桁や小屋組の様子を見る限り、元々はかなり重く重厚な茅葺きであったと思われる。通常、平屋の長屋に用いられる小屋組は非常に単純で、屋根の切妻方向に向けて支持材を入れることは無い。さらに、出し桁により壁面よりさらに大きく屋根を張り出すことも屋根面積の増大、重量増に繋がるため瓦葺きの平屋では稀だろう。そうなると、茅葺きの大きな屋根を支えるための非常にどっしりとした小屋組・出し桁構造と想定される。 After removing the replacing fixtures/interior finishes, the renovation proceeded to the roofing. Judging from the pole plates extended out from walls and the roofing structure, it seems that the original roofing was done by reed roofing in massive volume. Typically, roof structure for a one-story high building in this scale is quite simplistic, and it is rare to find the gable structure in such complexity. If the roofing is done by clay tiles, it is hard to imagine the case “to increase” the roof area, which adds more weight. This is why the original state of the roof is considered to be reed roofing. 維持に多大な手間と費用のかかる茅葺きは次第に消えていった。この民家の場合、瓦葺きにすると重量の点で問題があり、またコストもかさむため、トタン板による屋根の張替えを選んだのだろう。残念なことだが、非常に重厚な小屋組に対し、木材を薄く削いだだけ、あるいはベニヤ板による野地板張りの上にトタン板が張られていた。野地板とトタン板の間には防水シートがひかれていたものの、トタン板は短いものを用いたために重なり部分から雨水が染み込んで腐食が進み、隙間だらけの野地板からところどころ雨水が漏れ、屋内の天井の一部が傷んでいる。 However, costly, […]

千葉県多古町の古民家改修 その2. 建物の現状と改修点 Current condition of the building and its issues

まずは、建物の状態を大工の棟梁と一緒に確認していく。 畳や床の野地板を剥がして構造を見ると、元々は8畳二間 (4坪) にユーティリティ、のいわゆる「長屋」だったものに、6畳二間、下屋になった廊下、その他風呂場や台所を増築しているのがわかる。この8畳二間部分の構造部材はかなり古く、また竹編みの土壁の状態から考えても戦前のもので、築80年以上はたっているようだ。増築部分は部材がかなりチープで、構造も最小限、仕上げもプリント合板などが使われていることから、増築は戦後しばらくたってからのものと考えられる。風呂まわり、トイレまわりはコンクリートブロック積みのため、かなり最近加えたものだろう。 この建物に惹かれた一番の理由は、屋根の構造である。切妻型の屋根は長屋にしてはかなり立派な出し桁で大きく張り出す形になっており、元々は重い茅葺き屋根を支えていたのだろうと棟梁は言っている。土間部分には天井がないため、屋根を支える小屋組がはっきりと見えるのがいい。 First of all, the condition of the building needs to be judged–master carpenter is in charge here. As we looked at the structure of the building after removing floor, it became clear that originally the building has two main rooms (eight tatami-mat space = about 13 sqm) with other utility spaces, and additional rooms (6 tatami-mat space = about 10 sqm) and corridor gallery, bathroom, kitchen were added later. The original part appears to be quite old as we looked at its structure materials, probably built much earlier than the WW II–more than 80 years old. The additional part has much cheaper, less costly materials […]

千葉県多古町の古民家改修 その1. Old house renovation 1.

  千葉県は香取郡多古町にある日蓮宗の古刹、日本寺(にちほんじ)にさる縁から関わる事になり、一年ほど住み込みでお手伝いをすることになった。この一年でその縁はさらに拡がり、日本寺境内わきと言っていい場所にある古い民家を譲り受けることになった。久しぶりの投稿になるが、これからしばらくこの古民家の改修について、記録に残しておこうと思う。 By some connection with the chief priest of an old temple, I lived in the old housing part of the temple for over a year.  The temple is called Nichihon-ji Temple of Nichiren sect in Tako town, Chiba prefecture, with 700 years of history with some historical building facilities in its large territory.  Now I am building up new relationship with the people around here, and by chance, I was asked to use and live in an old house, which has been uninhabited for over 10 years.  I am now working on its renovation, and here I will be documenting the process of renovation in series.   住み手は既に別の土地に移り、部落の縁故の方が管理していたものの、10年以上人が暮らしていない古民家とその広大な敷地は荒れ放題になっていた。1500平米の裏庭は下草が茂り、土地境界の竹やぶが敷地を浸食、家の中にまで竹が生え、屋根を突き破っている有り様だった。 […]

「平家物語・語りと波紋音」と「blue flow」コンサートに寄せて

先日、「波紋音」という鋳鉄製の創作楽器を演奏する永田砂知子さんの演奏会に行ってきた。今回の演奏会は、電子音響と波紋音を組み合わせるコラボレーション企画の一環として行われたもので、先ごろリリースされた「blue flow」というCD録音のライブパフォーマンスである。 横浜の三渓園にある旧・燈明寺の堂内を演奏会場に、音に反応する光とガラスのオブジェを組み合わせたインスタレーションが置かれ、フィールドレコーディングによる自然音をコンピューター処理した環境音が堂内の複数のスピーカーから個別に流れている。その中心に、大きさや形の異なる波紋音を並べ、堂内に響く環境音に対して即興で演奏がなされる。 もちろん、お堂の外の鳥の鳴き声や子供の声も壁越しに聞こえてくる。現在は寺院として使われていないが、本堂はもともと仏教の修業の場として燈明だけの暗がりの中、経典を唱える声が響いていたはずである。そんな想像の中の音も、遠く聞こえてくるような気がする。 今回の演奏会では、自分の周りの環境音を様々な場所で録音し、コンピューター処理することで単なる環境音の「再生」とは異なる、より記憶の中の音の表現とも言える電子音響と、波紋音演奏が、暗くて視覚による環境判断がほとんどできない寺の堂内という非日常空間で組み合わされる。音に反応する光もガラスを媒介して空間操作に一役買っている。 ーーこれまで、永田さんの演奏は演奏会の形ではなく、平家物語の演じ語りとのコラボレーションの形で聞く機会があった。平家物語は普通、メロディーを持つ琵琶の演奏にあわせて吟唱されるが、この演じ語りと波紋音の組み合わせはそうした形とは全く異なるもので、役者が原文を朗読しながら所作を交えて内容を演じ、それに呼応するように音階のない波紋音が即興で演奏される。多彩なテーマを持つ平家物語の各話に対して、感情を煽るようなメロディーによる極彩色の着色をするのではなく、人の肉声と所作、空間に重層的に広がる波紋音の音とその響きによって平家物語の世界観を描き出す。 能や狂言に通じる舞台空間での移動や体の所作が、有限であるはずの舞台空間を随時塗り替え、変換していくようでもある。また残響や反響音と常に交じり合いながら音を生み出し続ける波紋音の音が、時には演じ語りと呼応する形で、また時には物語の場面を波紋音の音自体で描き出し、空間を生み出す。見る側は想像力を掻き立てられると同時に、所作や声、音響そのものが現前させる平家物語の世界を空間の中で体感できる。それは、かつて舞踏や神楽、狂言、能といった表現形式が神の領域を現前させ、その場にいる者の間でそれを共有する催事の名残りであったことを思わせる。それほどの感情移入を経験し、自分でも驚いた覚えがあるのだが、それを促した要素の一つは波紋音の音であったように思う。ーーー 波紋音は、日本の庭によく見られた水琴窟の音をイメージして制作されたものだという。水琴窟は大きな素焼きの瓶を地中に埋めたもので、数滴の水滴が瓶の縁から底に連なって滴り落ちることで陶器でありながらビビリ音のような金属質の反響・残響音を残すが、波紋音の音はマリンバのように純粋で濁りのない音ではなく、打面のスリットが共鳴し、かつ丸みのある筺体内で音が反響しあい、複雑な響きのある音を出す。音階こそないものの、筺体の大きさや鉄の厚み、スリットの幅、叩く位置、鉄の鍛え方の違い、さらには叩き方やスティックの素材、敷き布や支持材などの緩衝素材の有無によっても違う音を出す。湿度や気温なども影響しているに違いない。今回は5つの異なる大きさ、形の波紋音が演奏された。 永田さんの演奏による波紋音の演奏は、打楽器演奏の連打や反復の中にリズムや音のゆらぎが込められ、その残響や反響で何かが励起される感じを受ける。まるで凪だった海の上に幾つもの波浪が立ち始め、時に組み合わさって大きな三角波のうねりを生み出すかのようでもある。即興といえども無作為ではなく、無数の小川の流れが集まって大河となる大きな流れーーカオスとしての「blue flow」を感じる。 そしてこれに組み合わされる電子音響(この言い方は何かもっといい表現方法があると思うが思いつかない)もまた、フィールドレコーディングされた場の記憶として、またその記憶を意識下からすくい上げ、確かめるように作曲家の中で再定義され再表現されたものと感じられ、瞑想や記憶の領域と深く結びついている。2つの大きな流れは、まるで記憶やその追想のプロセスを引き起こす呼び水のようにでもあり、時には押しとどめることのできない強さを伴って聞く者を圧倒する。この繰り返しのうねりが、瞑想状態へといざなってくれる。 演奏中、視覚はほとんど閉ざされているにも関わらず、空間が強く意識されるのはなぜだろう、と考えていた。少なくともここは寺の堂内である、という予備知識がありながら、演奏が進むにつれ空間は拡がりつつ狭まり、開きつつ閉じているように思われ始め、予備知識や経験則による空間把握もどこかあやふやになってくる。逆に、感覚による空間認識の期待は強くなっているようで、そこに不規則なリズムのゆらぎや音の断片が捉えられると、自分の記憶や意識下へ通じる回路が明滅して、開かれたり閉じたりするような感覚を覚える。白昼夢や既視感に似ているかもしれない。(実際に音に反応するインスタレーションが揺らいでいたが、その変化はあまり強くなかったからか感覚を刺激する度合いは音そのものよりも低い) よくよく思い起こしてみると、空間認識は視覚よりも、聴覚や嗅覚、触覚など「空気」の作用を媒介としている場合が多いように思う。光の届かない空間でも(あるいは目隠しをされている場合など)我々は空気の流れや淀み、その匂いで閉塞感や開放感を感じ取る。あるいは音の反響を通じて空間の拡がりや閉じ具合をかなり正確に把握することができる。例えば鹿威しの音と残響の繰り返しが感じさせる空間の広がりや、芭蕉が古池に飛び込んだ蛙の残響音、蝉の声が岩にしみ入る音の感覚をを閑さという意識に変換した様を思い起こせばわかりやすい。その意味では、今回の演奏会は空間内で起こるほとんどすべての出来事が聴覚と触覚(音の波動)に集約されることで、より研ぎ澄まされた感覚が空間認識に向けられていたように思う。そして、そのように自らで知覚し把握して意識下に置かれない限り、空間は自身の認識する対象として存在し得ない。言い換えれば、様々な感情や記憶を呼び起こすほどにエネルギーに満ちた(あるいは欠けた)空間は、その空間を感じ取り意識する側の認識の強さ(弱さ)とも言えるだろう。総合的であったはずの建築空間が、視覚偏重に傾きがちである点を自戒すべきと感じた。 「平家物語・語りと波紋音」公演、そして今回の「blue flow」コンサート、どちらも強く体感し、深く印象付けられる機会となった。

思考手法としての作図法

このところいろいろ刺激を受け、「古典的な手法」が生み出す力を見直そうと試みている。手描きによる建築図面作成である。 きっかけは、建築設計で用いられるCADソフトのように、利便性を追及し、誰にでも使いやすく汎用性が高くて「間違いのない」結果が得られるシステムを用いる過程を見直した時、何を得、何を失うかを考えると実は重要なものがこぼれ落ちていっているのではないかと常に感じることから来ている。「手描き」図面や立面図などから始まる一連の「図法」を見直してみる機会が必要だと考え始めたのだ。 建築図面は今、余程の意図がない限り手描きすることがなくなった。実際にCAD(図面ソフト)で図面を仕上げるのはけっこう力技なのだが、それでも線を位置指定で描き、それを平行移動し、いらない部分を削除し、といった作業は数値入力などしくじらなければぱっぱと進む。線は要素ごとにまとめられたレイヤーに指定された太さで出力されるが、画面上では確認できない。 となると、はたして設計/デザインを進める過程でCADに依存した場合、「その1本の線」や「線と線の隙間の意味」といったもろもろの要素について判断する瞬間から何かがこぼれ落ちて行きはしないか、と思うのである。もちろん、設計のプロセスから作者の主観を消す、という点においては手助けになる部分もあるかもしれない。ただそうした機械的な作業による作図方法は、頭の中で繰り返し試し、最適解と思われるものを選択し、適用しては確認するというプロセスを再現し得ているとは言いがたい。(実践的な意味合いの建築要素に関して試行錯誤を許容するーー例えば壁面の移動による面積変更や、その逆に面積指定による壁位置の決定などーーソフトは既に多用されるものとなってはいる) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「図法」には、単なる情報の可視化としての作図以上に、不在のイメージを実在化させる図を作成し表現するという、動機と思考過程を記録し固定する意味合いがあった。そして、このようにして出来上がったものを見ることで、作者の中に存在したものを追体験することができるのである。その手法としての透視図法や投影図法などの発見があり、逆にこうした手法を用いることで新しい動機や思考過程も生み出され、哲学や文学との相互作用も可能にした。そこでは、単に視覚に訴求する「可視化」という点のみならず、空間や物質性に透明に重ね合わされる科学や哲学、文学の文脈思考の可能性も追及されていたのである。 その可能性は、物体としてより現実に近付けられた三次元模型以上に形而上的な側面が強い。それはそもそも3次元の物量を持つ建築の肉体が、平面という2次元のフォーマットに落とし込まれる際に変換を強いられることから始まり、視覚という限定された知覚を通じて訴求しなければならない点から抽象化のプロセスが必然であるからだ。この抽象化を強いるプロセスが、新しい建築や様式を生み出す源泉となって来たことに注目するのは重要であり、だからこそ「作図する上での利便性」や「作図プロセスより完成した図面」が目的となるCADの過剰な依存に、ある種の危機感を感じているのかもしれない。<<もちろん、最近は思考プロセスを補助する側面がより強い3次元ソフトの完成度が高まり、これらを分けて利用することでかけた部分を補完することが可能になりつつあり、さらには新しい思考プロセスを促す「手法」としての役割を担っているとも言える>> 建物は肉体性とそれがもたらす様々な効果に加え、その姿を写し出し明示する視覚性が主な要素になっているが、こうした建築の主要テーマは何にウェイトをおき注目するかという部分では時代を通じて大きく変化してきた。その上で、建築物がどのような姿を見せるのか、という問いには限りない可能性があり、これらをいかに平面上に表現するかを追及する中で、我々の知る図法の数々が開発されてきたのである。平面図、立面図、断面図、アイソメ図法などの立体図ーーは、フォトリアルなCGレンダリングとは異なり、図示化された内容を追体験し、理解し、再構築するツールとして示されたものであり、その追体験を通じて作者の意図を読み取ることができる。一本の線をとってみても、その線がが示すものが何であるのか、なぜその線が引かれ、どのように他の線と関連付けられ、全体の中の部分として役割を果たすのかを読み取りやすくなる。平面分割の意図や、リズムを刻む建築要素のバランス、あるいはそうしたオーダーやバランスを崩す意図などを特定の図法によってより明快に示すことができる。 これは、自分で作図してみればさらにわかりやすい。 手始めに、ルネサンス初期の建築であるブルネレスキ設計のサン・ロレンツォ教会にある、こちらはルネサンス中期以降マニエリスム時期にミケランジェロの手で設計されたラウレンツィアーナ図書館の断面立面図を模写している。これは、「奇跡の前室」と呼ばれる美しい階段室を持つ建物であるが、ルネサンスの透明な明快さを示し始めたブルネレスキの設計に対し、コントラポスタと呼ばれる歪みや圧縮、過剰な分節、オーダーの変形など、バロックの過剰へと続くマニエリスムの手法を示したミケランジェロの意図をどこまで読み取れるかを、模写という手作業を通じて試みている。図面を「見る」だけでは気付かない部分も読み取って理解し、再現することが作図には求められるからだ。 実践的な建築設計の現場において、こうした点に重点を置いてプロジェクトを進めることは弱くなっている。実際に建築物を建てることが目的として定められている場合、図面はその実現のための理解手順の明示が主な目的になるからだ。 しかし、建てることが絶対的な目的でない建築を指向するならば、そこには表現手法として無限の可能性がある。ルネサンス期以降、ピラネージやルドゥー、ブレーといった建築家(思索家)がその思考の具現化の方法として図法を駆使して作品を残した。 最近、それがフォトリアルなコンピューターグラフィックスの絵やビデオに取って代わられている。広く一般に容易に理解を促すメディアとして非常に優れたものではあるものの、視覚や経験に比重を置くために受動的な受け取り方に陥りやすい。 ダイヤグラムなど、CG以外にもプレゼンテーションメディアは発明され続けている。また、従来の手法では2次元的に表現しづらい建築も現れている。これらがどういった意味をもつのか、更なる表現手法はないのか、そうしたことを考えていく意味でも、まずは古典的手法から見直してみようと思うのである。