— Delirious New York Diary

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「ゼムルーデの街にその形を与えているのは、それを眺めるものの気分でございます。のんびりと口笛を吹き鳴らし、その調べのかげに鼻を仰むけ通りがかるときなら、下から上に見上げるその格好でゼムルーデを知ることでございましょう。すなわち、出窓、風にそよぐカーテン、噴水でございます」

20060729141613 カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」II. 都市と眼差 2
ある教会のファサードを見上げる。表面が細かくパターンで覆われていて、視線が滑っていくことなく吸い寄せられていく。それでも空を見上げると青空

20060729141648 カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」II. 都市と眼差 2
New YorkではFire Stairの設置が義務づけられている。鉄の時代の名残か、鋳鉄製のものがほとんどなのだが、その描くパターンがファサードをのっぺりしたものから生き生きとしたエネルギーのあるものへと変えている

20060729141633 カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」II. 都市と眼差 2
ビレッジのアパート。スタッコの剥がれ落ちた下から現れた古びたレンガの風合いと、Fire Stairの細い飾りパターンが絶妙なほどにバランスのとれたファサード。新しい街のイメージのあるNew Yorkだが、建物の多くは実はこうしたクラシックな雰囲気を残す

20060729142432 カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」II. 都市と眼差 2
ゲートから小さなCourtyardを覗く。それにしても”ナインハーフ”とは意味深。このユーモアのセンスはNew YorkerというよりAmerican

20060729141822 カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」II. 都市と眼差 2
柔らかなライムストーンのファサードに、隣のビルの窓で反射した光が投げかけられていた。それにしてもこのファサードに見られる窓の上のペディメント(三角屋根や丸屋根の小飾り)には遊びが多くて、まるでミケランジェロの手によるものみたいだ。三角と円弧の対比(コントラポスタ)があって、それがさらに上階と下階で反転されている。ここではペディメントが窓枠から分離して、まるで浮いているように見えるのも面白い。普通キーストーンと呼ばれる「くさび」が三角屋根の頂点を下方から支える(そういうふりでも良い)のだが、このファサードでは「分離され浮遊する」ペディメントそのものを下の窓枠からつなぎ止めるために、キーストーンが使われ支えて(繋いで)いる。(左上の窓がその例)その下の窓では「キーストーン」が柱の頭飾り=柱頭に置き換わっているが。さらに見回すと、いくつかは普通にペディメント両翼で柱頭飾りの名残に支えられているのだが、支え1つだと危うい2者の連結とアンバランスさがかろうじて浮遊をつなぎ止め、2つだと独立した両者を繋いでいるというより上部を下部が天秤にかけて支えていると見え、(これが最も一般的で、イコール安定感がある)逆に過剰に3つの柱頭で支えられていると安定しすぎて「パターン」となり、3者が独立とその意味あいを無化されて、完全な装飾に堕ちていく。
ーーしかしそんなことにはまるで気付かれない中、光も棘を落として柔らかにファサードとたわむれ揺れる午後の一刻

「もしまた胸に顎を埋め、掌中に爪をしっかと食い込ませて歩いてゆくときならば、その視線は地上を這って、水溜り、マンホールの格子蓋、紙屑にゆき合うことでありましょう。都会の一つの姿を他の姿にもまして真であるとは申すことはできません。それゆえ、上向きのゼムルーデの話を聞くのは、とりわけても下向きのゼムルーデの中に埋もれてゆきながらもう一つの姿を思い出している人たち、毎日おなじ道筋を通り抜け、朝には前日の不機嫌が塀の根もとで固くなってこびりついているのを見つける人たちからなのでございます」

20060729141733 カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」II. 都市と眼差 2
残光の中、もの言わぬFire Plugが長いかげを落として自己主張する

20060729141803 カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」II. 都市と眼差 2
道路工事中に置かれる重々しい鉄のパネルは、のっぺりと舗装された道よりもなぜか都市を感じさせる。まるで都市の絆創膏だ。その上に、誰かが残していったトレッドの痕もまた、都市の、人の息吹

20060729141812 カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」II. 都市と眼差 2
工事の際むき出しになった建物の骨格と、掘り返された地下から、過去があらわになる

「だれにしもあれ、早晩、雨樋にそって視線を下降させ、もはや敷石から目を離すことができなくなる日がやって来るものでございます。その逆もまた排除されてはおりませんが、なお稀でございます。さればこそ、今やわれらは視線を穴蔵や土台や井戸の下へと潜らせながら、ゼムルーデの街をなおさまよい続けてゆくのでございます」

20060729141753 カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」II. 都市と眼差 2
長い間人がくり返し歩いたために磨かれて、鈍く光を跳ね返すようにして静かに歴史と存在を示す石のグラウンドと、人の手になる鉄の滑り止めの鈍い光。仲介を果たすは、これもまた少し崩れかけている赤いレンガ

20060729142900 カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」II. 都市と眼差 2
以前アップした写真の別バージョン。短い夏の夕立の後、既に晴れ間がのぞいていた。水溜り、車のオイル、青空、時に沈む建物、吹きゆく風

久しぶりのため少し写真が多めに載せてあります。これからもよろしく。

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都市と記憶 3 ザイラ
「ーー今日あるがままのザイラを描き出すという事にはまたザイラの過去の一切が含まれておるはずでございましょう。しかし都市<まち>はみずからの過去を語らず、ただあたかも掌の線のように、歩道の縁、窓の格子、階段の手すり、避雷針、旗竿などのありとあらゆる線分と、またさらにその上にしるされたひっかき傷、のこぎりの痕、のみの刻み目、打った凹みといったなかに書き込まれているままに秘めておるのでございます」

20060504164623 イタロ・カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」I.
マンハッタンの鉄の時代がソーホーの街に残る. 太く錆び付いた柱の鉄のリベットの並びが、’洗練’とは違う美しさを見せる. 人の手で吹かれた古いガラス達が、街のそのさまざまな姿を映し出すかのように、ひとつひとつ違った歪像に切り取っていた

20060504161119 368x600 イタロ・カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」I.
何度も色を重ねられ、それもところどころ剥がれ落ちた窓枠が、外界とは違う時間の流れに沈む内側を垣間見せている. 表裏を繋ぐ隙間と窪みが、街には無数に散らばっている

都市と欲望 2 アナスタジア

「ーー都市はただ一箇の全体として、どのような欲望も何一つ失われてはならず、われわれもまたその一部をなすものというように思われますし、われわれが現に愉しんでいないものでも都市があますことなく満喫しているのであれば、われわれとしてはこの欲望を住処としてそれで満足しているほかはございません。このような力、時により呪われたとも恵まれたとも言われる力を、人を惑わす都アナスタジアはそなえておるのでございます。瑪瑙や玉随や翡翠を切り出す人足となって一日八時間はたらくならば、欲望に形を与えるこの労苦はそれ自身の形を欲望から得ているのであり、またアナスタジアのすべてから満足を得ることができると信じているとき、その実、人はその奴隷にすぎないのでございます」

20060504161105 イタロ・カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」I.
ソーホーの道ばたにあるアートインスタレーション. まぶしい光の中に霧散する鉄のラインと、影の中鈍く光を放つライン. 強いコントラストが、目眩と共に白昼夢へとさそう
20060504161215 イタロ・カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」I.
ショーケースに閉じ込められた、別々の時間を刻んできたアンティークの時計たち. 時間の流れが、無限の重なりとなってゆらぎの中に消えていく

都市と記号 1 タマラ

「ーーようやく旅はタマラの都市へと至り、看板がごちゃごちゃと家の壁から突き出ている道を分け入ってまいります。目は物を見ず、ただ他のものを意味するものの形象を見ております…..かりにある建物が何の看板も絵姿も掲げていない場合でも、それ自体の形なり市街の秩序のなかに占めるその位置なりがじゅうぶんその機能を示しております。王宮とか、牢獄とか、造幣局とか、ピタゴラス派の学校とか、妓楼とか。商人たちが売台に並べて見せている品物でさえもそれ自体としてではなく、ほかのもののしるしとしての価値をもっております。額を飾る刺繍した帯は優雅さを、金塗りの煉は権力を、またアヴェロエスの書物は叡智を、足首にまく環飾りは放逸を意味しております。

眼差は市中の通りをあたかも書物のページの上のように走りぬけてゆきます。都市は人々が考えるはずのことをすべて語り、ただその言葉をわれわれにくり返して言わせるばかりでございます。人はタマラの都を訪れ見物しているものと信じているものの、その実われわれはただこの都市がそれによってみずからとそのあらゆる部分を定義している無数の名前を記録するばかりなのでございます。

この稠密な記号の被いの下には、いったい、ほんとうのところどのような都市があるのか、それは何をひそめ、隠しているのか、人はついにそれを知ることもなくタマラから出て参ります。外には空漠たる大地が地平線まで拡がっており、大空がひらけ、雲が流れております。偶然と風とがその雲に与える形のなかに、人ははやくもつぎつぎと形象を読みとることに夢中でございます。帆舟だ、手だ、像だ….と。」

20060504161135 450x600 イタロ・カルヴィーノ「マルコ・ポーロの『見えない都市』」I.
さえぎるものなく空に伸びるあの姿は、いつも蜃気楼のようだった

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20060420170659 コロンビア大学、25時
昼間にはハリボテのように見えるロトンダとその列柱も、夜の闇にまぎれる中で古代様式の廃墟を錯覚させる
20060420170642 コロンビア大学、25時

不思議な折衷様式のこの旧図書館も、闇の中その巨大な量塊を潜めている 僅かな狂気と、恐怖
20060420170713 コロンビア大学、25時
 月に向かって伸びる列柱 怪しげな密約
20060420170733 コロンビア大学、25時
 深みを増す陰影の中、静物たちが声を上げ始める  扉の奥の「SAFE HAVEN」は避難所の意だが、「SAFE HEAVEN」と読み違えもし、アイロニーを感じる あの世への扉、とでも言いたげな
20060420170753 コロンビア大学、25時
 帰り道、いつも気になっていた窓の無い壁 ブロンズのパネルに覆われて、隠しているのに自らそれを照らし出し、秘められた内への好奇心をそそる 「飛んで火に入る夏の虫」はどんな人間なのか

20060420170838 コロンビア大学、25時
 建築学科Avery Hallの天井に、古いライトを灯すための生命線が敷かれている その灯りの陰影も手伝って、ひどく空間を豊かに描き出している気がした

20060420170821 コロンビア大学、25時
 後ほど詳しく紹介したい、元建築学部学長ベルナール・チュミによるLarner Hall 昼、外の木々や芝生の緑、煉瓦の赤を内に取り込むガラスの平面は、夜、反転して光を外に投げかけて、その姿を闇に浮かび上がらせる
学生が行き来し、そのさ中にイベントが生まれている
20060420170854 コロンビア大学、25時
 Larner Hallにあるチュミによるインスタレーション ロシア構築主義と映画のシークエンスにテーマの源を見るチュミがここで選んだのは、「戦艦ポチョムキン」の”立ち上がる獅子”の図

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“Hello darkness, my old friend,
I’ve come to talk with you again,
Because a vision softly creeping,
Left its seeds while I was sleeping,
And the vision that was planted in my brain
Still remains
Within the sound of silence.”

20060222190450 The Sound of Silence

“In restless dreams I walked alone
Narrow streets of cobblestone,
’Neath the halo of a street lamp,
I turned my collar to the cold and damp
When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
That split the night
And touched the sound of silence.”


night The Sound of Silence

“And in the naked light I saw
Ten thousand people, maybe more
People talking without speaking,
People hearing without listening,
People writing songs that voices never share
And no one dared
Disturb the sound of silence.”


20060222190228 The Sound of Silence

“Fools” said I, “You do not know
Silence like a cancer grows.
Hear my words that I might teach you,
Take my arms that I might reach you.”
But my words like silent raindrops fell,
And echoed
In the wells of silence.”


20060222190244 The Sound of Silence

“And the people bowed and prayed
To the neon god they made.
And the sign flashed out its warning,
In the words that it was forming.
And the signs said, the words of the prophets
are written on the subway walls
And tenement halls.
And whisper’d in the sounds of silence.”

20060222190759 The Sound of Silence

暗闇よ今日は、僕の旧き友人よ
また君と話すようになってしまった
それはあの幻が 静かに忍び寄ってきて
僕の眠る間に その種を残していったから
心に植え付けられたその幻は
沈黙の音の中に まだ残っている

20060222181551 The Sound of Silence

ざわつく夢の中で 僕は一人歩いていた
街灯の明かりに沈む 狭い石畳の道を
冷たく湿気った風に 僕は襟を立てる
まばゆいネオンの光が 僕の目を刺した時
それは夜を引き裂いて
沈黙の音に触れたんだ

20060222181538 The Sound of Silence

裸の光の中で僕は見た
幾千人の人、たぶんもっとだろう
みんな語りかけることなくしゃべり
耳をかすことなく聞いている
伝わることのない歌を書きながら
それでも誰一人、沈黙の音を破ろうとはしない
「馬鹿者たちよ」僕は言う
「沈黙が癌のように 広がっていくのを知らないのか
聞いてほしい、何かを諭す僕の言葉を
手を取って、君に差し伸べるこの腕を!」
けれど音もなく降る雨粒のように
僕の言葉は沈黙の井戸の中でこだますだけ
そして自ら創ったネオンの神に
人は頭を垂れ 祈りをささげる
するとネオンは警句を発した
きらめく光が織りなす言葉
その啓示はこう言っていた
「地下鉄の壁にも 安アパートの廊下にも
預言者の言葉は記されている」
そしてあの沈黙の音の中で
それは何かをささやいた


Simon & Garfunkel, “The Sound of Silence.”


追記:この歌詞をのせた理由は、その歌詞のSFライクな点による。写真もそれをふまえると、感傷的ではなく異次元への扉(笑)に見えてきませんか。

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冬。
20051209152935 冬
立ち上る煙草の煙が、固く冷たい青い朝
20051209152732 冬
時の声も、凍り付いていた
snow1 冬

降り積もった ’冬’ に、見えてくる光景もある

snow2 冬
冬の朝に凍り付く冷たい鋳鉄の手すりが、夜半の雪に彩られ、初めてその ’姿’ を見せていた
tree4 冬

葉を落とした寒々しい木々が、逆に白銀の世界で生命を強く主張する 力強さに満ちた枝々が冷たい空に向かって伸びる美しさ

tree2 冬
『この ’木’ を見よ』
snow3 冬
今年もまた、冬が来る

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忙しさが一段落したので、完璧に忘れ去られていたこのDiaryに少しは注意を向けたい。(時間が空きすぎて前回のテーマをそのまま引き継ぐのはちょっと難しくなったのと、いくつか質問されたことを受けて、まずは考えをもう一度まとめてみようと思っています。)

時間がかなり空いたので、前々回のエントリの一部を引用して始めたい。
”リベスキンドの打ち出すコンセプトが「正しい」ものであるのか、その方向性はユダヤ人の歴史やホロコーストといった過去の<記憶>を伝え行く上で本当に意義を持つものなのか、そしてそれを建築という言語によって翻訳し、表象することにどのような意味があるのかという問いを、彼の建築そのものが投げかけてくる”

リベスキンドの計画案が世界貿易センター復興計画において選ばれた大きな理由は、同時多発テロを建築によって翻訳し表象するその手腕を買われたからだと考えられる。当時はまだ復興計画に携わる人間とそれを待ち望む人々の思惑が「メモリアル」を作るという一定の方向性のもとに集約し、倫理的/道義的な意味合いも手伝って、計画にリベスキンド本来の詩的なコンセプトが反映されることが許されていた。

Libeskind11 Delirious New York〜超高層というタイポロジー
左:リベスキンドのオリジナル提出案/中、右:リベスキンドとディベロッパーとなったSOMが共同で修正を加え提出した訂正案。オリジナルから変更されたが、タワーの基本コンセプトである空中庭園はまだ盛り込まれている

しかし、彼の案は計画が進む中で次々に改変され、今やほとんどその原案をとどめないものとなりつつある。アメリカ独立の年を示す「1776フィートのタワー高」といったわかりやすい記号性のみが残り、その覆いの下でリベスキンドの問いかけた本来の意味は骨抜きにされている。力の誇示ではないことを宣言し、メモリアルとしてのタワーとするために途中から空中庭園として、ボイドとして存在するはずだったタワー部分がいつの間にかその全体をオフィススペースの占める、復興計画における実質的な中心部分に変更された。

Libeskind12 Delirious New York〜超高層というタイポロジー
左:SOMによりさらに変更が進む/中、右:左の案に見られる裾広がりの形が、周辺に空きスペースを作り警護しやすくするという理由で却下、新たな案はテロ以前の建物よりも意匠としてすら後退した

現実的にオフィススペースの需要は大きく、メモリアルなどではない実利的な有用スペースを求める声が計画の初期からあったことは事実だ。しかし、そうした土地の効率利用を声高に叫ぶならば、タワーという力と富のシンボル性と今や同義となったスタイルにのみ固執する理由はもはやない。逆に言えばタワーというスタイルが、この復興計画においては扱いを間違えれば全く違う意味を発信してしまう危険性をはらんでいる。そのシンボル性のはらむ矛盾と誤解の素地は、同時多発テロを理解する上でもカギとなることに目を向ける必要があるのではないか。

ーーこのブログのタイトルのオリジナルである「Delirious New York」において、建築家レム・コールハースは超高層という建造物をカリカチュアの視点と憧憬の念の両方から描き出している。
ヨーロッパや南米、アフリカからの移民が多くを占めるニューヨークにおいて、その民族・文化の多様性は様々なコミュニティーを生み出すと同時に、時に衝突し、時に融和してきた歴史を持つ。それはコニー・アイランドに見られるようなテーマパークによって個々のオリジナルの文化と、ニューヨークの多様性の現状が可視化され、カリカチュアによる黒い笑いが現実における厳しい状況をエンターテイメントのエネルギーに変えるという、ニューヨークのパワーの一つの源となる下地を作ってきた。(例えば、ポルノの集積地だったタイムズ・スクエアが数年で親子連れの闊歩するディズニー・スクエアへ完全に入れ変わることの意味にそれは集約されている)
それらの多様性がマンハッタンの狭い空間に一局化した時、それをコントロールし得るのは碁盤の目に走るアイアン・グリッドであり、とどまることを知らない一局化を許すのはその碁盤の目を空へと押し出すことしかない。初期のマンハッタンにおける高層建築は土地をそのまま空へめがけて押し出すことから始まり、やがてそれはドングリの背比べを抜け出すための更なる高層化とシンボル性を求めた形状操作に突き進んでいった。

20051129183034 Delirious New York〜超高層というタイポロジー
左:Theodore Starrettによる100階建てビルの構想。有効土地をそのまま持ち上げたビルの究極。(もちろん建てられていない) 1916年のゾーニングレギュレーションによりこうした建物は建設不可能となる。右:Equitable Building, 1915. 奥に見えている建物。39階建ての、持ち上げ型ビル。巨大な量塊に圧倒される

タワーとトンガリ屋根のスタイルをという一点突破の形態が高さを競い合い、それが碁盤の目の押し出しという土地の効率利用をともなって、超高層ビルは富の集積と、それを生み出す多様なエネルギーの収束していく場として認められるようになってゆく。その究極の姿が、ロックフェラー・センターであり、クライスラー・ビルであり、またエンパイア・ステートビルであり、「キング・コング」なのだ。そしてしだいに土地の効率利用という実態を超えて、様々な思惑や収束するエネルギーから象徴性や記号性をも身にまといながら、超高層建築はやがて偶像として外部から受け止められる存在になっていったのだ。

drawing2 Delirious New York〜超高層というタイポロジー
1916年に定められたレギュレーションにより、一定の高さにおける容積率などが定められた。建築パースを手がけていたHugh Ferrissは、新たなレギュレーションにより不可避となったセットバックを逆に利用して新たな高層建築のイメージをドローイングによって模索し、実際に多くの高層ビルのデザインに関わりながら多大な影響を与えた(Delirious New Yorkより)

20051129170654 Delirious New York〜超高層というタイポロジー
左:Woolworth Building, 1913. 60階建ての、”The Cathedral of Commerce.” タワーというタイポロジーが近代高層ビル建築で現実化された最初の建物。右:Empire State BuildingとBryant Park Hotelの冠部分。
drawing Delirious New York〜超高層というタイポロジー
Madelon Vriesendrop, Flagrant delit.(Delirious New Yorkより)

しかし世界貿易センターに目を移したとき、それは過去の象徴性を持った超高層建築とは異なる性質を持っていたことに注目すべきだ。実際の土地効率利用やオフィススペースとしての能力を見た時、建物のシンボル性に費やされる部分は次第に有用性を持たなくなっていったし、力や富の誇示としても「高さ」以外に示せるものがなくなりつつあった。世界貿易センターはそれらすべてをいったん別の次元に引き戻そうとした、ある意味で過去の超高層建築とは一線を画すものであったと言える。

20051129142943 Delirious New York〜超高層というタイポロジー
テロ直前の世界貿易センタービル。一時世界最高の高さを獲得したが、象徴性という点では目立たない存在だった。”ツインタワー”の愛称で呼ばれ、端正な姿と双子の塔は、逆に空の広さを際立たせ、自信の存在はそれほど主張しない

まず、タワーが空を指し示すことを象徴/表象化するトンガリ屋根/キャップが廃され、”アイアン・グリッド”の透明性に準ずるかのような土地の重層化を究極に突き詰めた完全な押し出し形態(直方体)が採られている。それだけでも過去の超高層タイポロジーが作り上げた「象徴性」を打ち消すパワーがあるが、この直方体を同形のまま隣にコピーしミラーイメージとすることで、「唯一無二」と宣言することがテーマの超高層タイポロジーの象徴性を否定、あるいは”宣言すること”自体を無意味化するかのような態度を示した。(高層建築のツインタワー化はその後タイポロジーとして定着した)そしてまた、鋼鉄とガラスの可能性としてのモダニズム高層である6th Avenueやパークアベニューのビルの数々(ex. ミースによるシーグラムビル)とも一線を画す、鋼鉄の固まりであることを感じさせない表皮=カーテンウォールの扱いも、建造物の象徴的あるいは物質的な存在のどこにも焦点を集めさせない。もちろんアメリカ経済力の在処としてのシンボルとして捉えられてはきたが、世界貿易センタービルは何物かの象徴となることをその物質性と肉体においては静かに否定していたとは言えないだろうか。

XYZ Delirious New York〜超高層というタイポロジー
X, Y, Z Buildings, 6th Ave. ロックフェラーセンターに戦後加わった追加ビル群。マンハッタンの高層ビル文化を受け継がない、ある意味で世界貿易センタービルの原型となった高層ビル群といえる(Delirious New Yorkより)

それでも、前回の世界貿易センター爆破事件を含め、繰り返しテロの標的になった。以前の意識ならば、キングコングが上り詰めるのは、頂点のはっきりした、唯一無二のエンパイアステートビルでなくてはならなかったし、「ディープ・インパクト」で地上に崩れ落ちるのも、クライスラービルの冠である必要があったわけだ。(実際、世界貿易センタービルがそうした象徴として捉えられることはあまりなかった)そうした中アル・カイーダが、象徴性以上に世界貿易センターの実効性とその無効化による効果を計算にいれてこのビルに対するテロを幾度も実行に移したことは、単なる憎悪の発露といったレベルを超え、アメリカ人のみならず一般人が普通に考えるアメリカの象徴(例えばエンパイアステートビルやホワイトハウスなど)への攻撃とそれによる精神的ダメージという想像可能なレベルを超えた、二つの超高層ビルへの波状攻撃をTVスクリーンのフレーム内で効率的に視覚化し、イラク戦争後に現実化した”混乱状況の現出”に通じるさらに高次のカタストロフの視覚化を目的としている点に注目しなくてはならない。そしてメディアというフィルターを通して事件を知る我々は、超高層ビルのような定式化したタイポロジーが”望まずとも”提示してしまう象徴性が、今やいくらでも受け手によってイメージ操作され別種の象徴として発信されてしまうほどに中途半端なものとなり、可能性を持ってしまったということをもっと真剣に受け止めるべきだ。そうした制御の範囲を超えた象徴性の扱いの難しさがさらに増す中で、表面的に象徴としての世界貿易センターを復興させようとリベスキンド案を翻し、明らかに前時代的な案へ改変している勢力のテロの理由や現状に対する認識の甘さには危機感を覚える。

CCTV 2 Delirious New York〜超高層というタイポロジー
(クリックで拡大)レム・コールハース率いるOMAによる、北京に計画中の中国中央電視台本社ビル。超高層というタイポロジーを抜け出し、プログラムの詳細なリサーチと形態スタディを繰り返した末に生み出された新たな都市建築は、高さ競争などによる示威行為をはるかに超えた強烈な存在感を生み出し、都市とその多様性そのものを内包させる容れ物としての都市建築を実現させる。右はループする建物の内部に従来の超高層とは違ったプログラム配置がされていることを示すダイアグラム(designbuild network.com/JA OMA CCTVより)

リベスキンドのみならず、多くの設計競技参加者が提示したメモリアルという”方法”は、だからこそそうした対立やそれに対する反抗を求める構図となりかねない力の示威としての(もちろんそれが復興への意思と希望だと100歩譲って認めたとしても)超高層タワーとそうした象徴性の利用とは別の次元をそのコンセプト自体が作り出す可能性と多様性の幅を持っている。現在の案では地上メモリアル部分がタワーの存在に従属する程度の規模に抑え込まれ、多くの建築家の参加によってまるで湾岸戦争多国籍軍のようにイメージ戦略で逃げ切る構えを見せているが、リベスキンド本来の、タワー部分そのものが高層になればなるほど空洞化し空中庭園となることで、示威行動として空を目指す従来の超高層建築となることをその起源から回避し、テロへの敵対対抗ではない、別の出発点からのより豊かな未来への希望としてのタワーというコンセプトは失われてしまった。

何のための設計競技だったか、参加者が提案した多くの案がどのように受け取られ、扱われているのか、我々が知ることは今以前にも増して必要になってきている。幾度かにわたって競技参加プランをとりあげてみたい。

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最近忙しさにかまけて更新不足なので、写真を何枚か。

20050521093943 閑話休題
 道に、無造作にガラスが捨てられていた。板ガラスを、地面に捨ててから割ったのかもしれない。断片となった一つ一つの破片が、地上と空を微妙に違った角度で映し出していたのだろう。

building reflection3 閑話休題
 校舎の壁面が青空の下夕日に浮かび上がる。直接の光ではなく、別の校舎の反射する光をその淡い石の模様の上に受け止めていた。そこに偶然木々の影が重なり、いくつかの出来事が一つの場面で出会う光景に立ち会うことになった。

building reflection2 閑話休題

なんだか光の樹。

building reflection 閑話休題

古く緑青の浮き出た銅の門扉にも、柔らかな夕陽と木々の陰影が淡く投げかけられていた。時の流れを感じながらも、それが一瞬停止するかのような午後。
20050521094321 閑話休題

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今回は、前回最後に引用した磯崎新の言葉から始めてみようと思う。

「庭園を<自然>の虚構として構成した時代から始まって近代と呼ばれる知の一つの形成が波紋のように世界を何度か襲ったあげくに、その虚構をあらためて虚構として描くほかに採用する手段の無い時代を私たちは生きさせられている。記号が実態から剥離して時元と位相をかえて操作可能になるべく再配列させられている。その記号の波のさなかに投企される新しい記号はあくまでも、揺らぎを起こし、波紋を増幅するだけなのだが、それが、オーバーレイされたマルチスクリーン上の映像のように、際限のない振動を続ける。それ故に…18世紀中期に始まる<建築>の危機も、その危機の内容こそが実像であって、それを説明する諸事実は、スクリーン上の映像のように、流動し点滅せざるを得ない。”廃墟図”というクリシェも異なる文脈の中で意味を変え、しばしばレトリックとして政治的な作動をする。それが未だに有効な手段にしうることにこそ実は注目すべきであって、この虚構を虚構として描く時代がやはり、あの18世紀中期の”危機”に始まる近代の連続である証拠の一つと言えるのだろう」

ーー過去を<イベント>の蓄積とその記録として客観性を与え、<歴史>として解釈や引用の自由を得たかにみえる<現在を生きる我々。> もちろん、そうした事実とされる<イベント>を再定義し体系化していくことが過去を可視化し、認識し、イベントの連なりを見いだす指針になることは確かだ。しかしそうして再構成されたものは、我々が取り上げ、解釈し、引用する過程においては記号としてその意味するところを限定され、また実態とは異なった意味や物語性を与えられる危険性をはらむ。ではその定義化/体系化を促す推進力となるものはいったい何なのか。そこでは常に外部からの影響力が及び、認識の歪曲が起こる危険性を常にはらんでいる。あるいは逆に体系化の隙間をこぼれ落ちていった見えない事象は、現在と未来に影響を及ぼすすべを全く失ってしまうのだろうか。その取捨選択を行う理由は、権利は、能力は、現在の我々にあると言えるのか?

wtc11 西洋建築史再考~3. リベスキンドの描く世界
この写真を掲載することもはばかられるところではある

我々は同時多発テロやホロコースト(あるいはヒロシマ、その他多くの過去の記憶)をメディアの目を通して「理解可能な物語/体系化された歴史の流れ」として知り、それらを過去のものとして距離を保ったまま安全な場所から眺めながら、過去を記録として固定し<現在の我々>との関わりを知らず断ってしまうことに加担しているのではないのだろうか。
<現在>の我々が過去を扱う難しさと責任は、重い。

前々回は Jewish Museum Berlinを紹介したが、その理由はリベスキンドのコンペ案が世界貿易センター復興計画案として採択された経緯には、彼がユダヤ人であり、その文化的背景を色濃く反映させることで完成したJewish Museumの存在が大きいからだ。ユダヤ系移民の多いニューヨークでは、彼の背景とJewish Museum誕生の経緯を、同時多発テロと復興計画に重ね合わせたいところがあるとは考えられる。

しかし上でも述べたように、リベスキンドの作品やプロジェクトを読み解く中で、彼のユダヤ人としての生い立ちや経緯に重点を置き、彼の使命や創造の源泉の在処を問うことは、彼のプロジェクトの想起や展開をうかがい知る手がかりとなることは確かだろうが、同時にそれのみを注視すると彼のプロジェクトの持つ可能性や問題提起の視点を限定してしまう可能性があることも明記しておく必要がある。

リベスキンドのプロジェクトに限らず形式を踏まえたところで活動することを余儀なくされるポストモダニズム全体に言えることだが、リベスキンドの打ち出すコンセプトが「正しい」ものであるのか、その方向性はユダヤ人の歴史やホロコーストといった過去の<記憶>を伝え行く上で本当に意義を持つものなのか、そしてそれを建築という言語によって翻訳し、表象することにどのような意味があるのかという問いを、彼の建築そのものが投げかけてくる。もちろんそこには何を可視化し、建築の肉体としてゆくのかという問いも当然生まれ、ポストモダン的記号論に対する批判と同様にリベスキンドのテーマの取りあげ方と取り扱いに対する批判ともなっているが、リベスキンドはそうした誤解の可能性や拒絶反応をも含む数多くの過去と、我々の過去への関わり方ーー目に見えるだけでなく、記憶、思考、感情/詩性といった不可視であるものも全てーーを新たな言語によって再構成し表象する際のテーマとしてコンセプトの想起プロセスに内在させ、歴史的形式や定型化した建築言語によって表象されてきた「建築」を解体し、知と記憶の融合と構築を模索する新たな肉体と精神を建築として創造しようとしているのではないか。我々は抽象性という言葉を容易に使うが、その意味するもの、抽象性がもたらす影響とは何かを問うことで、彼は<過去の記憶>という、”客観的事実の記録ではない過去”に向き合う意味を我々に再考させる。

脱構築主義という運動は、ある意味でこうした様々な批評/解体活動をすべて盛り込むことを目指し、実践しようとした、不安定で転覆の危険をはらんだ運動であると言えるかもしれない。その上さらに過去の歴史や記録、あるいは記憶をも取り込み、建築がそれらを記述する言語として、あるいは空白、不可視なもの、無意識といったものさえわれわれに認識させる可能性の言語として、脱構築主義はあった。その意味では、磯崎が語るように、脱構築主義は「記号が実態から剥離して時元と位相をかえて操作可能になるべく再配列させられている。その記号の波のさなかに投企される新しい記号はあくまでも、揺らぎを起こし、波紋を増幅するだけなのだが、それが、オーバーレイされたマルチスクリーン上の映像のように、際限のない振動を続ける」という<状況>を現出し、そうして可視化された建築の肉体性は常に解体し変容し続ける運命を背負っている。

次回は、実際にリベスキンドがどのように不可視なものを扱うかについて、いくつかの例を取り上げながら見ていく。

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グラウンドゼロ跡地の計画コンペでダニエル・リベスキンドの案が採択されてから、3年近くが経つ。

全米、そして世界中がニューヨークの象徴であった世界貿易センターの復興への連帯感を強める中、リベスキンドの案は非常な好意と期待を持って受け止められた。「フリーダム・タワー」と名付けられた、アメリカ独立の年をその高さとする(1776フィート/541メートル)メモリアルタワーを中心とした彼の案には、テロ直後に出された機能的に現実的だが事件の記憶をとどめるには凡庸で印象の薄いいくつかの計画案と違った、未来への期待を抱かせる強い意志が込められていたのだ。


最初期の計画案。過去のタイポロジーをバリエーションとして取り上げただけで、テロの記憶をとどめるメモリアルとしてのイメージはない。誰が見ても凡庸と感じられるとして、知事や市長を含めた計画当局から却下され、コンペのやり直しが命じられた

この第2次コンペには第1次コンペと違い世界中から多くの建築家が参加した。グラウンド・ゼロはニューヨークとアメリカに限られたテーマではないだけに、多くの参加があること、さまざまな案が提案されることそのものに意義が生まれる。テロの事実と記憶に対峙するアプローチとして、また現在を生きる我々の未来への展望と希望として、建築は新たな言語となり得るのだろうか。
これから幾度かに分けて、さまざまなコンペ案を紹介していくつもりだ。

Libeskind2 Ground Zeroプロポーザル 〜4年の後に〜
ダニエル・リベスキンドによるコンペ採択案。現在のプランは大きく変更され、この姿をとどめていない。

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「地図」という言葉において、図は道とその境界を表し、地をその境界に生み出す。
20050521095437 「普通の道」にて思う

人は生きるために常に何処かに向かい、辿り着こうとする。道はその指標であり、何処かへ辿り着けるだろうという希望でもある。「初め地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」と、魯迅は言った。道は途中とどまるための駅/宿場を次第に周囲にまといながら、「図」の部分を埋めて行く。そしてさらなる道が、他の目的地へと辿り着く道が生まれていく。
20050819000047 「普通の道」にて思う

20050819102326 「普通の道」にて思う

やがて寂れていく道もあるだろう。人通りが途絶え、とどまる人の絶えた道、そして取残された路傍の建造物。それでも道は過去へ通じ、還るべき人を待って静寂に沈む。朽ちている壁が、時の経過を刻んでゆく。
20050818234655 「普通の道」にて思う

マンハッタンのBroadwayは、ネイティブインディアンの通う道であったという。アイアングリッドを切り裂き、飛び地を生み出しながら、過去と現在が交差する。そして今世紀、人々は目的地を空に定め、高層ビルは新たな次元へと伸びていった。
20050819102353 「普通の道」にて思う

地上の道から遠く離れ、やがて足下を見失いかけた。地上から見上げる空は、壁に遮られて見えなくなっていた。わずかな隙間から射してくる陽の光は、辿り着く所の未だ遠いことを物語る。それでも、そのわずかな光を受け止めた瞬間が、未来へのベクトルへと変わっていく。
20050818234610 「普通の道」にて思う

やがて辿り着く場所は、到達点というより、”home” であることを望みたい。「ただいま」の声に、「おかえり」と応える声を求め、信じながらオデュッセイアは旅を続けた。
自らが求め、自らを迎え入れてくれるゲートは、何処かに、もしかしたら見逃しているすぐそばに開いているのかもしれない。

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