— Delirious New York Diary

Archive
New York

今年、世界同時多発テロから10年目を迎える。10年の時間はあっという間に流れ、当時の感情はどこか乾いたかさぶたのようなものになって心の一部に巣食っている。ただ普段にはあまり見えないものになった。それを隠す日々の暮らしの比重が大きくなったためだろう。

あまりにも穏やかな9月始めの青空。街に出た時の普段とは全く異なる静けさ。その静けさを切り裂き、いつ果てるともなくループを描き続ける米軍の戦闘機。そして、数キロも離れたアップタウンにすら流れてくる物の焼けた匂い。あの日ですらそうした断片的な記憶が、まるで白昼夢のように自分の間隔と微妙にずれていた。心に巣食う感情は、怒りや悲しみといった激情とは違い、力を入れようにも入らない足元から絶え間なく襲う悪寒に似たものだった。それらが心までをも完全に支配している。

911については一度以前にも書いた。あの事件が自分の中から消えないのは、まったく同じタイミングで自分の体を蝕み、ついには取り返しの付かない一線を越える病気の進行と重なっていた事が、自分でも感情の上でどうしても切り離せないからだ。ある意味で、自分の中にはそのように両者を見ることで客観視して、それらの外側に自分を置きたいという防御反応のようにも思える。こうしてこの文章を書くこともまた、その行為の一つなのかもしれない。

世界を変えた日。中東の均衡を破るイラク戦争と、それに続くアフガニスタン作戦の引き金を引いた契機。軍産複合体というアメリカの一側面の肥大と、その嵐のあとに残された膨大な憎しみの連鎖。自国民にものしかかる膨大な債務。世界的経済不況の二番底。これらは自分にとって、頭の中でどちらかと言えば整理しやすい「外部の」情報だ。ただそんなもので感情というものは制御できない。全てはある意味遠く、かさぶたを厚くするかのごとく感情の底に積み重なっていくだけだ。

家族を失ったり、怪我や心の傷を直接負った人達と自分は比べるべくもない。その悲しみの大きさは今でもなお、アフガニスタンで命を落とす兵士やその家族、あるいは憎しみに感情を突き動かされ原理主義や一教義に取り込まれる人々に引き継がれ、肉体と精神、思考や感情を瞬時に破壊しながら、どこまでも底無しの渦を拡げていくテロのどす黒い醜さ、暴力で権力を手に入れ、自国民を犠牲にしてまでその権力や富を増幅させる輩いよって拡大している。どう考えようとしても、911は過去であるどころか、さらにその傷を拡げているのである。ただ、それらが遠い世界に感じられるという感情がさらに乾いた悲しみのようなもので心を覆うのだ。それはあの足腰から力が抜け、悪寒だけがこみ上げてくるあの日の感覚とどこか重なる。

激烈な痛みと、その元を断ったがゆえに広がる果てのないような苦しみ。どちらが本当の苦しみであるかどうかなど、大した問いではない。何がその間断なき苦しみやその連鎖を断ち切ることができるのだろう。「敵」を定め、標的を探し、叩き壊す行き方は、その双方に言い分はあれども虚しいものだ。世界は、いいとは言えない方向へ進んでいる。

それが、9月11日を迎える前夜の感想だ。

Read More

被写体は、「外部にあるものではない」というのがこのブログの写真のテーマだと語ってきた。

そして、自らの内に「投げかけられたもの」を捉えるのみではなく、自らを「投げかける」こと、あるいは投げかけられたものと投げかける意識の交点を見つけ出す行為が写真によって記憶されるのを意図することで、世界の広がりを見、またその広がる世界との自分の接点を見極めることが写真というメディア=媒体を通じて可能になる。そこが、偶然と必然の交差する場となるのだ。


ふと書棚の扉を開けると、扉が部屋の光と影をくるりとひっくり返すかのように光と影を揺らす。はっとして扉を開ける手を止めると、扉に反射した夕刻の光が、鋭い一条の光を投げかけた。


漂う影の中に差し込む、一瞬の緊張。


光は反射と拡散を繰り返しながら影へと霧散していく。ただその姿もが回折の波動の穏やかな振幅と感じられるのは午後の光だ。光と影は、往々にして黒白ではない。闇と光というドラマチックな対立を時に演出するのも、実はその間に存在するグラデーションの深淵なのかもしれない。谷崎の「陰影礼讃」は、西洋と東洋の交点を、そのような形で表現した。


陽は移りゆく。黄昏に陰を纏い始める静物達も、一瞬、自らが光を受け空にその存在を放つ瞬間を待ちながら、静けさに沈む。


それは緊張に満ちた空間だ。空間とは、ヴォイドとマスの、単純な関係ではあり得ないことをその空気にみなぎる緊張感は教えてくれる。


その張りつめた空間も、光の移ろいによって揺らめき、振幅する。量子世界の虚と無の絶え間ない生成消滅を、この宇宙が生み出される前の原初のゆらぎの海を、連想する。


暗闇で映画を見ながら、ついグラスをプロジェクターの前に置いてしまったのだけれど、その瞬間画面は消え、拡散して光の帯や塊になって部屋を漂った。壁にはその光が、刻一刻と移り変わりながら姿を見せてくれた。息を詰めるような、瞬間。


写真のビデオバージョン。写真よりビデオの方が、光の移りゆく様が美しい

Read More

「ゼムルーデの街にその形を与えているのは、それを眺めるものの気分でございます。のんびりと口笛を吹き鳴らし、その調べのかげに鼻を仰むけ通りがかるときなら、下から上に見上げるその格好でゼムルーデを知ることでございましょう。すなわち、出窓、風にそよぐカーテン、噴水でございます」


ある教会のファサードを見上げる。表面が細かくパターンで覆われていて、視線が滑っていくことなく吸い寄せられていく。それでも空を見上げると青空


New YorkではFire Stairの設置が義務づけられている。鉄の時代の名残か、鋳鉄製のものがほとんどなのだが、その描くパターンがファサードをのっぺりしたものから生き生きとしたエネルギーのあるものへと変えている


ビレッジのアパート。スタッコの剥がれ落ちた下から現れた古びたレンガの風合いと、Fire Stairの細い飾りパターンが絶妙なほどにバランスのとれたファサード。新しい街のイメージのあるNew Yorkだが、建物の多くは実はこうしたクラシックな雰囲気を残す


ゲートから小さなCourtyardを覗く。それにしても”ナインハーフ”とは意味深。このユーモアのセンスはNew YorkerというよりAmerican


柔らかなライムストーンのファサードに、隣のビルの窓で反射した光が投げかけられていた。それにしてもこのファサードに見られる窓の上のペディメント(三角屋根や丸屋根の小飾り)には遊びが多くて、まるでミケランジェロの手によるものみたいだ。三角と円弧の対比(コントラポスタ)があって、それがさらに上階と下階で反転されている。ここではペディメントが窓枠から分離して、まるで浮いているように見えるのも面白い。普通キーストーンと呼ばれる「くさび」が三角屋根の頂点を下方から支える(そういうふりでも良い)のだが、このファサードでは「分離され浮遊する」ペディメントそのものを下の窓枠からつなぎ止めるために、キーストーンが使われ支えて(繋いで)いる。(左上の窓がその例)その下の窓では「キーストーン」が柱の頭飾り=柱頭に置き換わっているが。さらに見回すと、いくつかは普通にペディメント両翼で柱頭飾りの名残に支えられているのだが、支え1つだと危うい2者の連結とアンバランスさがかろうじて浮遊をつなぎ止め、2つだと独立した両者を繋いでいるというより上部を下部が天秤にかけて支えていると見え、(これが最も一般的で、イコール安定感がある)逆に過剰に3つの柱頭で支えられていると安定しすぎて「パターン」となり、3者が独立とその意味あいを無化されて、完全な装飾に堕ちていく。
ーーしかしそんなことにはまるで気付かれない中、光も棘を落として柔らかにファサードとたわむれ揺れる午後の一刻

「もしまた胸に顎を埋め、掌中に爪をしっかと食い込ませて歩いてゆくときならば、その視線は地上を這って、水溜り、マンホールの格子蓋、紙屑にゆき合うことでありましょう。都会の一つの姿を他の姿にもまして真であるとは申すことはできません。それゆえ、上向きのゼムルーデの話を聞くのは、とりわけても下向きのゼムルーデの中に埋もれてゆきながらもう一つの姿を思い出している人たち、毎日おなじ道筋を通り抜け、朝には前日の不機嫌が塀の根もとで固くなってこびりついているのを見つける人たちからなのでございます」


残光の中、もの言わぬFire Plugが長いかげを落として自己主張する


道路工事中に置かれる重々しい鉄のパネルは、のっぺりと舗装された道よりもなぜか都市を感じさせる。まるで都市の絆創膏だ。その上に、誰かが残していったトレッドの痕もまた、都市の、人の息吹


工事の際むき出しになった建物の骨格と、掘り返された地下から、過去があらわになる

「だれにしもあれ、早晩、雨樋にそって視線を下降させ、もはや敷石から目を離すことができなくなる日がやって来るものでございます。その逆もまた排除されてはおりませんが、なお稀でございます。さればこそ、今やわれらは視線を穴蔵や土台や井戸の下へと潜らせながら、ゼムルーデの街をなおさまよい続けてゆくのでございます」


長い間人がくり返し歩いたために磨かれて、鈍く光を跳ね返すようにして静かに歴史と存在を示す石のグラウンドと、人の手になる鉄の滑り止めの鈍い光。仲介を果たすは、これもまた少し崩れかけている赤いレンガ


以前アップした写真の別バージョン。短い夏の夕立の後、既に晴れ間がのぞいていた。水溜り、車のオイル、青空、時に沈む建物、吹きゆく風

久しぶりのため少し写真が多めに載せてあります。これからもよろしく。

Read More

都市と記憶 3 ザイラ
「ーー今日あるがままのザイラを描き出すという事にはまたザイラの過去の一切が含まれておるはずでございましょう。しかし都市<まち>はみずからの過去を語らず、ただあたかも掌の線のように、歩道の縁、窓の格子、階段の手すり、避雷針、旗竿などのありとあらゆる線分と、またさらにその上にしるされたひっかき傷、のこぎりの痕、のみの刻み目、打った凹みといったなかに書き込まれているままに秘めておるのでございます」


マンハッタンの鉄の時代がソーホーの街に残る. 太く錆び付いた柱の鉄のリベットの並びが、’洗練’とは違う美しさを見せる. 人の手で吹かれた古いガラス達が、街のそのさまざまな姿を映し出すかのように、ひとつひとつ違った歪像に切り取っていた


何度も色を重ねられ、それもところどころ剥がれ落ちた窓枠が、外界とは違う時間の流れに沈む内側を垣間見せている. 表裏を繋ぐ隙間と窪みが、街には無数に散らばっている

都市と欲望 2 アナスタジア

「ーー都市はただ一箇の全体として、どのような欲望も何一つ失われてはならず、われわれもまたその一部をなすものというように思われますし、われわれが現に愉しんでいないものでも都市があますことなく満喫しているのであれば、われわれとしてはこの欲望を住処としてそれで満足しているほかはございません。このような力、時により呪われたとも恵まれたとも言われる力を、人を惑わす都アナスタジアはそなえておるのでございます。瑪瑙や玉随や翡翠を切り出す人足となって一日八時間はたらくならば、欲望に形を与えるこの労苦はそれ自身の形を欲望から得ているのであり、またアナスタジアのすべてから満足を得ることができると信じているとき、その実、人はその奴隷にすぎないのでございます」


ソーホーの道ばたにあるアートインスタレーション. まぶしい光の中に霧散する鉄のラインと、影の中鈍く光を放つライン. 強いコントラストが、目眩と共に白昼夢へとさそう

ショーケースに閉じ込められた、別々の時間を刻んできたアンティークの時計たち. 時間の流れが、無限の重なりとなってゆらぎの中に消えていく

都市と記号 1 タマラ

「ーーようやく旅はタマラの都市へと至り、看板がごちゃごちゃと家の壁から突き出ている道を分け入ってまいります。目は物を見ず、ただ他のものを意味するものの形象を見ております…..かりにある建物が何の看板も絵姿も掲げていない場合でも、それ自体の形なり市街の秩序のなかに占めるその位置なりがじゅうぶんその機能を示しております。王宮とか、牢獄とか、造幣局とか、ピタゴラス派の学校とか、妓楼とか。商人たちが売台に並べて見せている品物でさえもそれ自体としてではなく、ほかのもののしるしとしての価値をもっております。額を飾る刺繍した帯は優雅さを、金塗りの煉は権力を、またアヴェロエスの書物は叡智を、足首にまく環飾りは放逸を意味しております。

眼差は市中の通りをあたかも書物のページの上のように走りぬけてゆきます。都市は人々が考えるはずのことをすべて語り、ただその言葉をわれわれにくり返して言わせるばかりでございます。人はタマラの都を訪れ見物しているものと信じているものの、その実われわれはただこの都市がそれによってみずからとそのあらゆる部分を定義している無数の名前を記録するばかりなのでございます。

この稠密な記号の被いの下には、いったい、ほんとうのところどのような都市があるのか、それは何をひそめ、隠しているのか、人はついにそれを知ることもなくタマラから出て参ります。外には空漠たる大地が地平線まで拡がっており、大空がひらけ、雲が流れております。偶然と風とがその雲に与える形のなかに、人ははやくもつぎつぎと形象を読みとることに夢中でございます。帆舟だ、手だ、像だ….と。」


さえぎるものなく空に伸びるあの姿は、いつも蜃気楼のようだった

Read More



昼間にはハリボテのように見えるロトンダとその列柱も、夜の闇にまぎれる中で古代様式の廃墟を錯覚させる


不思議な折衷様式のこの旧図書館も、闇の中その巨大な量塊を潜めている 僅かな狂気と、恐怖

 月に向かって伸びる列柱 怪しげな密約

 深みを増す陰影の中、静物たちが声を上げ始める  扉の奥の「SAFE HAVEN」は避難所の意だが、「SAFE HEAVEN」と読み違えもし、アイロニーを感じる あの世への扉、とでも言いたげな

 帰り道、いつも気になっていた窓の無い壁 ブロンズのパネルに覆われて、隠しているのに自らそれを照らし出し、秘められた内への好奇心をそそる 「飛んで火に入る夏の虫」はどんな人間なのか


 建築学科Avery Hallの天井に、古いライトを灯すための生命線が敷かれている その灯りの陰影も手伝って、ひどく空間を豊かに描き出している気がした


 後ほど詳しく紹介したい、元建築学部学長ベルナール・チュミによるLarner Hall 昼、外の木々や芝生の緑、煉瓦の赤を内に取り込むガラスの平面は、夜、反転して光を外に投げかけて、その姿を闇に浮かび上がらせる
学生が行き来し、そのさ中にイベントが生まれている

 Larner Hallにあるチュミによるインスタレーション ロシア構築主義と映画のシークエンスにテーマの源を見るチュミがここで選んだのは、「戦艦ポチョムキン」の”立ち上がる獅子”の図

Read More

“Hello darkness, my old friend,
I’ve come to talk with you again,
Because a vision softly creeping,
Left its seeds while I was sleeping,
And the vision that was planted in my brain
Still remains
Within the sound of silence.”



“In restless dreams I walked alone
Narrow streets of cobblestone,
’Neath the halo of a street lamp,
I turned my collar to the cold and damp
When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
That split the night
And touched the sound of silence.”


“And in the naked light I saw
Ten thousand people, maybe more
People talking without speaking,
People hearing without listening,
People writing songs that voices never share
And no one dared
Disturb the sound of silence.”


“Fools” said I, “You do not know
Silence like a cancer grows.
Hear my words that I might teach you,
Take my arms that I might reach you.”
But my words like silent raindrops fell,
And echoed
In the wells of silence.”


“And the people bowed and prayed
To the neon god they made.
And the sign flashed out its warning,
In the words that it was forming.
And the signs said, the words of the prophets
are written on the subway walls
And tenement halls.
And whisper’d in the sounds of silence.”



暗闇よ今日は、僕の旧き友人よ
また君と話すようになってしまった
それはあの幻が 静かに忍び寄ってきて
僕の眠る間に その種を残していったから
心に植え付けられたその幻は
沈黙の音の中に まだ残っている



ざわつく夢の中で 僕は一人歩いていた
街灯の明かりに沈む 狭い石畳の道を
冷たく湿気った風に 僕は襟を立てる
まばゆいネオンの光が 僕の目を刺した時
それは夜を引き裂いて
沈黙の音に触れたんだ



裸の光の中で僕は見た
幾千人の人、たぶんもっとだろう
みんな語りかけることなくしゃべり
耳をかすことなく聞いている
伝わることのない歌を書きながら
それでも誰一人、沈黙の音を破ろうとはしない
「馬鹿者たちよ」僕は言う
「沈黙が癌のように 広がっていくのを知らないのか
聞いてほしい、何かを諭す僕の言葉を
手を取って、君に差し伸べるこの腕を!」
けれど音もなく降る雨粒のように
僕の言葉は沈黙の井戸の中でこだますだけ
そして自ら創ったネオンの神に
人は頭を垂れ 祈りをささげる
するとネオンは警句を発した
きらめく光が織りなす言葉
その啓示はこう言っていた
「地下鉄の壁にも 安アパートの廊下にも
預言者の言葉は記されている」
そしてあの沈黙の音の中で
それは何かをささやいた


Simon & Garfunkel, “The Sound of Silence.”


追記:この歌詞をのせた理由は、その歌詞のSFライクな点による。写真もそれをふまえると、感傷的ではなく異次元への扉(笑)に見えてきませんか。

Read More

冬。

立ち上る煙草の煙が、固く冷たい青い朝

時の声も、凍り付いていた

降り積もった ’冬’ に、見えてくる光景もある


冬の朝に凍り付く冷たい鋳鉄の手すりが、夜半の雪に彩られ、初めてその ’姿’ を見せていた

葉を落とした寒々しい木々が、逆に白銀の世界で生命を強く主張する 力強さに満ちた枝々が冷たい空に向かって伸びる美しさ


『この ’木’ を見よ』

今年もまた、冬が来る

Read More

最近忙しさにかまけて更新不足なので、写真を何枚か。


 道に、無造作にガラスが捨てられていた。板ガラスを、地面に捨ててから割ったのかもしれない。断片となった一つ一つの破片が、地上と空を微妙に違った角度で映し出していたのだろう。

building_reflection3.jpg
 校舎の壁面が青空の下夕日に浮かび上がる。直接の光ではなく、別の校舎の反射する光をその淡い石の模様の上に受け止めていた。そこに偶然木々の影が重なり、いくつかの出来事が一つの場面で出会う光景に立ち会うことになった。



なんだか光の樹。

building_reflection.jpg

古く緑青の浮き出た銅の門扉にも、柔らかな夕陽と木々の陰影が淡く投げかけられていた。時の流れを感じながらも、それが一瞬停止するかのような午後。

Read More

「地図」という言葉において、図は道とその境界を表し、地をその境界に生み出す。


人は生きるために常に何処かに向かい、辿り着こうとする。道はその指標であり、何処かへ辿り着けるだろうという希望でもある。「初め地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」と、魯迅は言った。道は途中とどまるための駅/宿場を次第に周囲にまといながら、「図」の部分を埋めて行く。そしてさらなる道が、他の目的地へと辿り着く道が生まれていく。




やがて寂れていく道もあるだろう。人通りが途絶え、とどまる人の絶えた道、そして取残された路傍の建造物。それでも道は過去へ通じ、還るべき人を待って静寂に沈む。朽ちている壁が、時の経過を刻んでゆく。


マンハッタンのBroadwayは、ネイティブインディアンの通う道であったという。アイアングリッドを切り裂き、飛び地を生み出しながら、過去と現在が交差する。そして今世紀、人々は目的地を空に定め、高層ビルは新たな次元へと伸びていった。


地上の道から遠く離れ、やがて足下を見失いかけた。地上から見上げる空は、壁に遮られて見えなくなっていた。わずかな隙間から射してくる陽の光は、辿り着く所の未だ遠いことを物語る。それでも、そのわずかな光を受け止めた瞬間が、未来へのベクトルへと変わっていく。


やがて辿り着く場所は、到達点というより、”home” であることを望みたい。「ただいま」の声に、「おかえり」と応える声を求め、信じながらオデュッセイアは旅を続けた。
自らが求め、自らを迎え入れてくれるゲートは、何処かに、もしかしたら見逃しているすぐそばに開いているのかもしれない。

Read More

ニューヨークでDe La Vegaというハンドルネームを使ってチョークによるストリートペインティングや短い詩を残すストリートアーティストがいる。この街に長く住んでいれば一度は目にすることだろう。

歩道というのは公共の場であって、そこに何か描いたり物を残していく行為は落書きやゴミ捨て行為と同等に見なされる。なぜなら公共の場での創作活動を許されるのはアーティストという肩書きを社会的に認められた人物に限られ、その肩書きのもとに彼らは「何らかの」目的のために公共の場に何かを残すことを許可されているからだ。


SOHOにて。手前の建物が解体されたことで現れた壁のグラフィティと、工事現場の壁に貼られたポスター。ポスターを貼れる場所ができた瞬間、一気に貼られていく

グラフィティアーティストは、そんなパブリックアートのあり方をポンと飛び越えて活動することで、逆に社会やアートの存在意義について強く問いかける行為としての「何か」を残す。いわば、無名人によるマニフェストであり、完成作品を残すというより行動原理そのものが創作活動であって、残される作品自体もその行動を体現するかのように躍動的で、かつエフェメラルな物が多い。


SOHOで見つけたかなりスタイライズされ「残る」ことを意図したグラフィティ

それは、社会がアートを認知するために定める線引きーーアートと呼ばれるための基準、ここからはアートでここからはジャンクであるというふるい分けーーを始めから宙吊りにし、あいまいにしてそのこと自体を問うことにもつながっていく。ニューヨーク、特にハーレムやイーストビレッジではその行為自体の魅力によって多くの若者を引きつけ、時に行き場のない社会への思いのはけ口としてグラフィティ行為が機能する。それが公共の場において不評を買うことになろうとも、グラフィティ行為に走らせる要因が社会に厳然として存在する限り、拒絶否定するだけでは矛盾を浮き彫りにするだけだ。


SOHOのギャラリーから捨てられたパネル。何かの歌の歌詞だろうか、捨てられているというより「飾られている」かのようだった

事実、ハーレムの子供達はグラフィティ行為をスリリングなスポーツと捉えていることが多い。夜間地下鉄の線路内に入り込み、線路脇の壁にグラフィティを残す。これは一種の肝試しで、時々通り過ぎる地下鉄がくる前にいかに立派な物を書き上げるかを競っているのだ。時に子供達が逃げ遅れて命を落とす。以前クラスメートの近所の子供達3人が同時にはねられ、哀悼の意を彼女もグラフィティのようなコラージュで表現していた。メモリアルとしてのグラフィティは誰からともなくいろいろな人が書き込むために、ある種荘厳な物さえ出来上がることがあった。

上に記したDe La Vegaも、匿名性を利用して逆に一般人の側に紛れ込み、あるいは一般人の立場を貫きながら、単純ではあっても鮮烈な詩や絵を繰り返し歩道に残していくことで、それが一般の多くの人の目に触れる機会を与え、その中から少しでも共感を引き出せれば行為そのものは成就する。
De La Vegaのチョークで描かれた詩や絵はニューヨークの雑踏の中ではあまりにもはかなく、消えやすい。多くの人には気付かれもせず踏みつけられ、人々の足下に消えてゆく。どこに描かれるかも判らないために、神出鬼没で、けれども一度出会ったら、繰り返し目に入ることもあって不思議な余韻を持って心の中に残る。時には誰かが彼の詩に返答し、そのやり取りが残されることもある。De La Vegaは特定の誰かではないかもしれない、といった風にも受け取られるその存在が、言ってみれば多くの人の声であるかのような感覚さえ受けるのだ。あるいは、それは彼の狙いかもしれない。


時々とんでもない場所に描かれるが、普通地についた、目線の高さにあるグラフィティ。ビルの谷間、空を見上げるような場所に、何を思いながら描いたのか

その彼が、2年前グラフィティの現行犯で逮捕された。裁判が行われ、3ヶ月の禁固刑を求刑されたが判決はパブリックサービスにとどまった。(ある意味、皮肉だが)
ここで「公共の総意」という点で見れば、この逮捕劇そのものが「公共」を定義し、その「総意」を引き出し利用することのあいまいさをあばき出す。圧倒的な知名度と記名性を用い、あたかも公共の共感を得られることを前提にした高みから作品を公共の場に現出させるクリスト(ニューヨーク・セントラルパークの「The Gate」は記憶に新しい)が社会的に肯定される中で、ではなぜ匿名性や無名性を貫こうとするDe La Vegaのようなアーティストの創作活動は否定されるのか?


積み重ねられた記憶の、こぼれ出る場所

グラフィティアーティストとして広く知られることになったキース・ヘリングやバスキアは、もともと彼らの創作の原点だった、グラフィティという匿名性と反復性の結合によってはじめて存在意義をもつ創作活動から、作品の商品化による反復行為とそれへの記名性への変更によって社会的にはアーティストと認められた。バスキアはそれによって創造性を失っていったし、キースは有名になっても彼の創作スタイルとその場を変えることは無かった。(有名になってからも、彼は何度も逮捕されている。)彼らの作品がコモディティ化され、社会に商品として広く還元されることがさらに認知度を高め、彼らの存在そのものが社会に認められるという現代アートのプロセスは、突き詰めて言えば誰かがプロデュースしたマーケティングであるし、消費社会においてそれはもはや否定されるものではない。アートがマスプロダクションを前提にしたデザイン業界に吸収されていくことはモダニズムの一般化とともにごく当たり前のことになった。ならば、匿名性や無名性を保つには、De La Vega的なゲリラ的創作活動を行う他にないのではないか。


スタイリッシュなレストランの隣に、グラフィティに埋め尽くされたトラックが止まった。不思議と違和感はなく、ニューヨークらしさになっていく

アートと呼ばれるものの社会的存在意味は、現代においてあまりにも複雑なものとなっている。それ故にアートのプロモーションを行うマーケティングのプロセスの中でそういった複雑性は巧妙に隠され、わかりやすさが前面に押し出される。今やわかりやすさとは付加価値だ。そこに欺瞞を見いだす者、在野のより自然な共感を求めるものは、今や意図的に無名でいることを選ぶのだろうか。

ボブ・ディランのあまりにも有名なBlowin’ the wind で繰り返される、「友よ、答は風に吹かれている」という歌詞が、風雨にさらされて色あせたポスターやペンキ跡を見ながらふと思い出された。

How many times must a man look up
Before he can see the sky?
Yes, ’n’ how many ears must one man have
Before he can hear people cry?
Yes, ’n’ how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer, my friend, is blowin’ in the wind,
The answer is blowin’ in the wind.

Yes, ’n’ how many years can some people exist
Before they’re allowed to be free?
Yes, ’n’ how many times can a man turn his head,
Pretending he just doesn’t see?
The answer, my friend, is blowin’ in the wind,
The answer is blowin’ in the wind.

無名人の詩は、今日も風に吹かれ、ニューヨークの街に漂っている。

Read More