— Delirious New York Diary

昨日夜、仕事が夜中まで長引いていたが、ふと気付くといやに静かだった。
カーテンを開けて外を見ると、ふわっと明るい。昼の雨が雪に変わり、すでに降り積もっていた。

Iced trees in sunrise キルギスの冬の朝

今朝起きてみると雪は止んでいた。辺は白く変わり、葉を落としていた樹々の枝に雪が積もっていて美しい。よく見ると、一部の枝には一度溶けた雪が再び凍り付き、透明な樹氷に姿を変えている。黒い枝を透明な氷が包み、まるで何かの標本のように心を惹きつける。「ザルツブルグの小枝」のように緩やかに積み重なる結晶ではなく、一度溶けた雪が再び凍り付くという緩急と変容のプロセス。そしてまた、日が高くなればしだいに溶け、消えていく。
今は溶けた雪が滴り、屋根板に当たって雨垂れのような音を立てている。

Snow on branches 5 キルギスの冬の朝

Snow on branches 1 キルギスの冬の朝

Snow on branches 2s キルギスの冬の朝

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自分のバックグラウンドを活かしながら、キルギスと日本をつなぐ方法を考えてきました。

そんな中で、幸運としか言いようのないさまざまな出会いを通じて、あるプロジェクトを準備しています。

それは、中央アジアの伝統である羊毛フェルト製品を日本で販売するというもの。ただ販売するだけでなく、製作者であるキルギスのアートグループ、TUMAR社と共同でデザインを起こしたり、企画したりするのです。

TUMAR社は、羊毛フェルト製品作りに必要な全ての工程を自社内の工場やアトリエで行なっています。100%ウールフェルトにこだわり、羊毛フェルトの持つ風合いや手触り、強さを活かした製品づくりをしています。またほとんどすべての工程を、手作業で行なっていますが、そうした作業を行う職人の育成や教育も社内で行なっています。

そんなTUMAR社と共同で製品を作り、また日本で販売するチャンネルとして、”SheepWalk”を立ち上げました。Sheep Walkとは、英語で牧羊場のこと。羊が歩きまわり、餌を食む広々とした牧場のイメージと、羊が群れるキルギスの雄大な大草原のイメージを重ねて、名付けました。

SheepWalk Facebook logo 450x3371 SheepWalk〜羊毛フェルトのお店〜をオープン

SheepWalk〜羊毛フェルトのお店

オンラインショップオープンに関連して、自由に製品への要望や意見、こうしてほしいといった希望などを集約できる、Facebookページも同時にオープンしています。また、Twitterによるつぶやきも反映できればと考えています。

SheepWalk x TUMAR
Twitter: @Sheepwalk530

とあるフェルトのコンピューターケース製品を日本で購入し、キルギスに来て使っていました。購入時の触れ込みでは、とても高いスキルで製造された、手作り品とのことでした。しかし、フェルト自体は”ポリエステル繊維のフェルト”だとキルギスに来て指摘されてしまいました。ナチュラルだと思っていたものが、そうではない。。。それが、いろいろなことを考える切っ掛けになったのです。

工業製品は、人々に必要とされるものを大量生産することによって製品の質を安定させ、安価にし、多くの人の手に渡るよう産み出されたものです。この事自体は素晴らしく、そうして我々の生活が便利になり、楽になった事実は誰の目にも明らかです。
一方で、大量生産は多くのものを犠牲にします。コストの削減、機械が扱える方法への限定、人工的な素材や材料、それによる人体への危険性。。。高いものが良いとは言わない、けれども安いものが良いとも言えない。そうした意味で、日本の今の姿には、問われるべきさまざまなものが明らかになってきていると思います。

 

DSC1015 SheepWalk〜羊毛フェルトのお店〜をオープン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

羊毛フェルト作りは、羊を飼う民族の間では長い間行われてきた伝統のある技術です。羊と暮らし、羊の毛を刈り、その毛を利用して着るものや生活必需品、子供のおもちゃまで作る。羊毛の不思議な効能を知り、その特性を学び、そこからおどろくべき方法で本当にさまざまな物を作り出します。その風合いや手触りを知ると、人と自然との対話の歴史や、自然の中で自給自足する人の姿を思い起こさずに入られません。温かく、柔らかく、それでいて強くしなやか。それは、ポリエステル繊維のフェルトがいくら見た目に整っていようとも、越えられない魅力を持っているのです。

もちろん、今日の文化や生活の中で単純に伝統を再現すれば良いとは思いません。伝統とは過去の文化を引き継ぎ、現代の暮らしの中で改良し、作り替えて次世代へ受け継いでこそ伝統と言えます。アートグループTUMAR社は、伝統的な技術や製法から学びつつ、今日の文化の中でいかにそれを活かしえるかを念頭に、製品づくりを行なっており、その行動が高い評価を得ています。私も、そうした行動に同調し、参加したい。そこに自分のスキルであるデザインや設計を活かしてみたい。その思いが受け入れられ、現在TUMAR社と製品企画やデザインを行っています。

当初は小さな製品企画から始め、次第に製品の幅やフェルト利用の範囲を広げていく話をしています。例えば、家具デザイン。工業フェルトを使った製品は見かけるようになりましたが、羊毛フェルトではどうか。もちろん羊毛フェルトには欠点もあるため、それが利用の妨げになっている点も理解できる。ただ、時間をかけ、手作業で作っていく羊毛フェルト製品制作はモダンな工業製品製造にあてはめにくいものの、不可能ではないと考えています。その可塑性の高さや素材の丈夫さは、自然製品の持つ多少の不均一性の欠点を容易に超えていけます。

DSC1018 2 SheepWalk〜羊毛フェルトのお店〜をオープンこうした大掛かりな企画を開始するにはもう少々時間がかかりそうですが、まずはオンラインショップでTUMAR社製品を日本に紹介し、少しずつ自分のデザイン作品をも増やしていければと今は考えています。

SheepWalkを、よろしくお願い致します。

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今日11月8日は、キルギスは”クルバン・ハイート”、いわゆる犠牲祭と呼ばれる日である。キルギスの祝日はイスラム教にまつわるものが多く、イスラム暦にちなみ、一般的なグレゴリオ暦では毎年その日付が異なる。このため毎年キルギス政府は祝日とする日を年頭に発表する。
Wikipedia曰く、この犠牲祭はイスラム系のもので、いろいろな呼び名があるということだが、通常は”イード・アル=アドハー” として知られ、”クルバン・ハイート” はペルシア語文化圏で使われる名だそうだ。

そんなビシュケクの特別の日。ほぼ一週間ぶりに雪が降った。最高気温1度、最低気温マイナス5度。東京では今やほとんど経験できない寒さだ。ムスリムの人達はモスクに集まり、この日を祝す。ラマダン明けと並んで、最も重要な祝日の一つだ。ただロシア系の住人には本来関係ないものなので、いつもどおり仕事をしている人もいるようだった。TVを見ると、コンサートなどいろいろな催しも行われているようだが、だいたいは家族で静かに過ごすことになる。こんな日には、それぞれの家庭で温かい手料理を家族で囲むのだろう。薄く雪化粧したビシュケク市街は車通りも少なく、とても静かだ。まだそれほど寒くはないが、中央アジアの冬は長く厳しい。そんな中団欒と共に囲む温かい食事は、よりありがたみを感じさせるご馳走となる。

ということで、先日予告したこちらの食事について、まずはこんな祝日や晴れの日に振舞われるごちそうを紹介してみよう。

友人の誕生日や結婚式など、何度か呼ばれる機会があった。さすがに晴れの日とあって、家族の思いのこもった食事や、伝統的なしきたりに則った特別なメニューが振る舞われる。
まずは薪をくべてサモワールにお湯を沸かす。ロシアもそうだが、人をもてなす際にはお茶が最も重要なきっかけの意味を持つ。中央アジアでは紅茶も緑茶も飲まれるが、その代わりコーヒーを飲む習慣がほとんどない。ビシュケクやカザフスタンのアルマティ、タジキスタンのドゥシャンベなどの大きな都市では数件のコーヒーを飲ませるカフェがあるが、外国人や高級志向の人向けに見える。それにしても、「サモワール」という響きにノスタルジーを感じるのは、ロシア文学に描かれるロシア人の「お茶の時間」への憧憬を思い出すからかもしれない。

R0012169 キルギスの宴席で
こんな風に薪をくべてお湯をわかすのだとは知らなかった。薪をつめている穴には、細いパイプのような煙突を取り付けて燃えやすくする

R0012042 キルギスの宴席で
お湯はカンカンに沸騰しておらず、まるで茶道のような扱い。また薪で沸かす湯は「やわらかい」のだという。よくよく考えてみると、ボコボコと水中の空気が沸き立つ沸かし方で茶葉を開かせるイギリス流とかなり違って、長時間お湯を温めておくという感覚なのがサモワール。茶道に近い。水にはほとんど酸素が残っておらず、ミネラル分を感じやすいのかも

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非常に濃く入れたお茶に、サモワールで沸いた湯をさして、お茶をいただく。濃く入れてあるので渋みが強かったりするのだが、そこにはちみつやジャムを入れて飲むと、全く別物に変わるのだ。チャイもそうだが、お茶の楽しみ方も文化や地域によっていくらでもあって、どれが正しいなんてものはないようだ
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テーブルに並べられたご馳走。ところ狭しと埋め尽くすのが流儀らしい。揚げパンを、机に文字通り「撒いて」ある。ただ、この状態はあくまで前菜、スープ、メインディッシュの肉料理、プロフ(ウズベクの炊き込みご飯)などが続く。でもそれらが出てくる頃にはすでにお腹いっぱい

DSC00596 キルギスの宴席で
秋の味覚が並ぶ。季節の果物、アンズやいちごのジャム、はちみつ、何種類ものサラダ、揚げパンや窯焼きの塩パン、ショルポやペリメニなどのスープ、メインの肉料理。実は色々な国の料理がいっしょになっている。それにしても”Feast” という言葉がふさわしい食卓

R0012038 キルギスの宴席で
ロシア風のサラダ数種。ポテトやグリーンピース、人参などをマヨネーズで和えたもの、それに奥に見える鮮やかな紅いビーツとタラのサラダ

DSC00599 キルギスの宴席で
奥に見える丸いパンが中央アジアで広く見られるもの。石窯の内側に貼り付けて焼くタイプ。パリッとした皮ともちっとした中身のパンで、塩味が絶妙で焼きたては本当においしい。しっかりした生地をしっかり焼いてあるので、長持ちするし冷めてもそのまま食べられる

R0012041 キルギスの宴席で
はちみつとジャム。どちらも長い伝統を持つ食べ物だが、中央アジアでもお茶の華として重要なもの。こちらでははちみつはだいたい結晶させておくみたい。それにしても、この写真のジャムのように、普通に熟してとれた果物を普通に砂糖を加えて煮込むだけのジャムが、なぜ普通じゃなくなったんだろう?普通に作らないから、何かを入れないとジャムみたいにならないのだ

R0012039 キルギスの宴席で
キルギス美女と同じぐらい魅力的なフルーツ(笑)

キルギス人の結婚式の宴などでは、式の途中か最後に羊、牛、鶏肉などを塩茹でしたものが振舞われる。晴れの祝の日に、客人をもてなすために自らが飼う家畜をつぶして振る舞う伝統的な習わしから来ている。
一度、もてなしの宴席で「馬肉料理」一式を饗されたことがある。自ら飼う羊をつぶして饗する以上に、馬を振る舞うことは最高の贅沢を示すものと想像できる。贅沢とはいえ、馬肉に限らず、塩茹でしただけの臭みの残る肉はさすがに現代日本人にはキツい。それを、さらにキツいウォッカで流しこむ。ウォッカを飲まないと、脂で胸やけして本当に気持ち悪くなってしまうから仕方がない。

ただあまりにもドヤ顔をされたので、「日本人も馬肉は食べるし、生で食べることが多い」と言ったら、相手はさすがにびっくりしていた。

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「おちゃらけ社会派」として色々なテーマで発信している、「ちきりん」さんのブログ「Chikirinの日記」をまとめ読みしている。「ちきりんをラベル(レッテル)で判断されないようにするには、全部読んでもらってそれで判断・理解してもらうしかない」ということなんである。面白いのでどんどん読める。

このところ世界中で起きている格差デモについて、何となく微妙な違和感を感じていた理由を、このブログのいくつかのエントリが明らかにしてくれた。

リーマン・ショックより2年前、2006年に書かれた「比較優位」のエントリ。

iPadを作るのはそれを使うことなど夢のまた夢である中国の月給2万に満たない労働層で、グローバリゼーションとは極端な話、「ほら君、がんばって働いて我々のハラを満たしてよね、俺は寝て待ってるぞ」と言っている図式でもある。「超傲慢」で、「付加価値の低い仕事は貧乏な国でやってくれ」って考え方なんだとちきりんさんは言う。その通り、でも我々はそれを見て見ぬふりして経済的恩恵を受け続ける

大学で経済学か貿易論の授業で、「比較優位」という概念に感動したという話。「各自、”自分の能力の中で、比較的、得意なこと”に専念して、みんなで分業するのがいいですよ」という理解をしたそう。そしてこれが、グローバリゼーションの中心概念であるわけだけれども、その概念は「全体としての合理性」(グローバリゼーションを牽引する側の言い分)であって、ちきりん流にいえば「他国に向かって、”あんたは鉄鉱石だけほってればいい”とか”キャベツだけ作っとれ”と命じている」のものなんじゃない?ということではないかと。

これに対し、世界中で高まりつつある「アンチ・グローバリゼーション」。「ちょっとくらい効率悪くたって、俺たちだって好きなことしたい!」と言い出した人たちがいて、それがアンチ・グローバリズムの本質だと、ちきりんさんは言うのである。ダボス会議の会場の外などでこの頃からこうしたデモはかなり大規模に行われていた。今世界中で起こっている経済格差への不満を示すデモについても、それほど違いがあるわけではないように感じる。「俺たちだって分前もらって、好きなことしたい!」ということだ。成長した環境の違いから、以前よりマテリアリスティックな要求につながっているかもしれないと考えると、余計に何だか微妙な気分にさせられるのである。

実際の所、グローバリゼーションの最前線である「Foxconn」とか、ウクライナやポーランドの地元農業事業者と巨大企業のぶつかり合いとか、そういうところから出てきた言葉ではない

ちきりんさんも、「こういうことを言い出すのは、現時点での経済成長の恩恵を受けている側の人」であることの皮肉を指摘している。これがこのデモ要求の限界だと。
そして、「今の段階で経済成長の恩恵を受けていない国の人が切実に望んでいることは、「人間らしい生活」などではなく「より経済的に豊かな生活」なんです。というか、そのふたつは同一の意味なんです」とも言っている。

次にもう一つ、2010年7月の「組織度(大)から個人度(大)へ」の記事。

これは「それぞれの時代には固有の”組織度レベル”がある」というもので、時代の移り変わりと共に、組織度が大きくなったり、個人度が大きくなったりを繰り返し、反復しているという分析だ。

その図を拝借した。(ありがとうございますーー自分の頭で作るのと、それをみて「おお」と単に紹介するのでは、決定的な差があるの、わかります)経済は社会と切っても切れないものであり、この図に経済成長の図を重ねるとより面白いかもしれない。(それはしないの?というツッコミはなしで)
20100705195830 ”ちきりん日記”で格差デモについて考えた

とにかく、この反復するさまは、その振幅の傾きは別として、近代史以降は常に繰り返されてきたのではないだろうか。そう考えると、例えば「会社の寿命は50年」という見方もわかりやすくなる。必然的に個人度が大きくなった戦後、小さな個人が始めたホンダ、ソニー、松下が高度経済成長にのって巨大組織化し、しかしその経済成長が沸点に達した以降は、それまでの成長戦略と異なる新しい時代へのビジョンを描ききれず、対応しきれなくなっている。(「古い客・新しい客、古い会社・新しい会社」エントリがわかりやすく説明してくれている)
普通に考えれば、人口と世代年齢数は必ず反復する以上、一国の経済もまた、反復せざるを得ないのである。それを少しでも軽減し延命するための、先進国主導グローバリゼーション。。。


ここらへんで、自分が何を言いたいのかまとめてみる。

高度経済成長からバブルまでの日本と、バブル崩壊後の日本とを共に見た世代とは、上述の反復図に見られる、ある一つの上昇と下降振幅の転換点にいたことになるのだろう。ロスジェネは戦後の第二次ベビーブーマーであり、このことも社会経済があの反復図でよく表されていることを物語っている。

そして、世界経済は冷戦崩壊後にたがが外れてグローバル化したことによって、基本的に経済とは高きから低きに流れる奔流、言い換えれば格差がその強弱を現し、そこに反復を生み出してきたものであるという点に再び気づかせた。
そして今やほぼ全世界にこのシステムが張り巡らされた以上、格差の先にあった国もその波に乗って成長して来るし、それにより格差状況も変化することを今我々は目の当たりにしている。「Win-win」なんて寒気のするような、実は物凄く上から目線な態度が見え隠れする言葉をみんなが口にして、まるで皆が同じ手のひらにあるかのように何とか見せかけようとする。

どれだけ「先進国」であると信じ、経済発展前の人々に「キャベツだけ作っとれ」と言ったとしても、彼らもまた先進諸国が通り過ぎていった「豊かな”物的”生活」へのあこがれを強く抱き、かつ実現化する段階に来ている国もある。この「格差」というズレは、言ってみれば参加タイミングのズレに他ならないかもしれず、今や明らかに以前とはそのバランスが異なる。そうした成長を眺めてやれ「バブルだ」「質的生活が伴っていない」といくら遠吠えした所で、それは自らも通ってきた道である。そんなふうに裏で考えながら「win-win」なんて口にするのである。
経済格差を利用することで維持してきた自国の豊かな生活が今や急速にしぼみつつあり、それを維持するのに成長過程にある国の市場を潤し、気付いてみれば自分はそんな国の人よりも経済的・物的豊かさが低くなっていたーーーそんないら立ちへの反動が、「多民族主義の失敗」発言や「アンチ・グローバリゼーション」、そしてデモの動機には垣間見えるのである。それはそれでまたごく普通の反応であるとも思うが、自分にもやはりどこかこうしたいら立ちが心のなかにあることに気付いて神経を微妙に逆なでするのである。「我が身を振り返っている」かのような感覚なのだろう。

「現状のグローバリゼーション」の中で日本の存在感が薄れつつある、ことを本気で考えるのであれば、我々の生活が実際にどこまで本当の意味でより多くを経験した、先進的なものであるかを証明して見せなければならない。「グローバリゼーション」という、ここ数十年単位で見られた経済活動の次の時代を見据えることができるかどうか。(それが経済主導の国家戦略の終わりを告げるものなのかどうかはわからないが)
未曾有の被害を与えた今年の地震と、その後に続く原発事故の問題は、その意味で我々を強く試す試金石とも言える。グローバリゼーションの観点で見れば最も合理的で有利である「はずであった」原子力発電問題は、その影の大きさを見て見ぬふりをしてきた我々に今や覆いかぶさろうとしている。これは、ある意味で上述の反復図には通常現れない特殊な機会を我々日本人に与えた。それこそ人類存続の鍵を握る次の時代の鍵について、他のどの国よりも先に考える貴重な経験としなければならないものだ、と思うのである。

それでこそ、「先進国」などと自称するに足る国になるだろう。
いつから自分が「先進」していると考えるようになったのか、見直すことが第一歩かもしれない。

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今日、キルギスは重要な日を迎えている。大統領選挙投票日である。

こちらの内容については“Kyrgyzstan Today”の方を参照頂くとして、今日は写真を何枚か。

ほんの10日ほど前、木々の色がなんて鮮やかなんだろう、と散歩中に感じたと思ったら、数日前から東京で言えば「今年一番の冷え込み」というくらいの寒さにまで気温が下がり、そして雪が降り始めた。
先日の夜まで降り続いて、一面うっすらと雪化粧した。しかし選挙本番当日、やはりあっぱれというほどの「快晴」である。キルギスは本当に「晴れ男女」の国、国旗にもあるとおり太陽の国だ。

首都ビシュケクには火力発電所があり、通常アパートであれば冬季には暖房用の温水が配給される。よほど大きなアパートか一軒家でなければこちらでは暖房器具をあまり見かけない。そして一旦供給が始まれば、だいたい全部屋にラジエーターがあるのでアパートの中では薄着でいられるくらいに暖かくなるのだが、今年は雪が降るまで配給がなくて、とにかく朝晩寒かった。(なお、ビシュケクは寒い年には-20度位まで冷え込むが、例年気温は東京より多少低いぐらいだ。それなのにこの設備はーーちょっとうらやましい)

IMG 0367 キルギスに冬の訪れ
こちらのアパートはソビエト時代の古いものがほとんど。ただアイビーが絡んだり街路樹が多くてうまく彩られている

IMG 0372 キルギスに冬の訪れ
一番多いポプラの木は、黄色だったりオレンジだったり紅葉の色が場所によって違う

IMG 0369 キルギスに冬の訪れ
”壮絶”といえるほどに真紅の木に囲まれた建物が近くにある。その鮮やかさにiPhoneでは色がコケた

IMG 0375 キルギスに冬の訪れ

DSC1029 キルギスに冬の訪れ
そして、雪。初雪なのにサラサラの粉雪で、うっすらと粉砂糖のように全てを覆い始めた

DSC1033 キルギスに冬の訪れ

DSC1039 キルギスに冬の訪れ
今朝。先日より雪が積もり、地面も土の部分は白くなっている

DSC1041 キルギスに冬の訪れ

DSC1043 キルギスに冬の訪れ
小さなリンゴ。紅い

DSC1047 キルギスに冬の訪れ

今朝、もらってきたリンゴがこれもまた鮮やかだったので、写真に撮ってみた。中央アジアではリンゴが一年を通じて採れるが、この時期のリンゴが一番美味しいという。とても小ぶりで、子供の握りこぶし程しかないが色は真紅と言っていいほど濃く、味も強い。酸味が強いので、火を入れると甘みが増す。

次回はちょっとこちらの冬の食事など、ご紹介しましょう。

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久しぶりにキルギスの記事になる。現在こちらでは10月30日に行われる予定の大統領選挙が次第に話題の中心となってきているが、こちらは姉妹ページKyrgyzstan Todayで詳しく紹介しているのでそちらをどうぞ。また、今回の写真は以前まとめたものを再編集したものでKei Satoh Photo Galleryにも下記写真を掲載している。

今回紹介するのは首都ビシュケクから車で約1時間ほど東に向かい、トクモクという大きな街を過ぎて程近い所にある「ブラナの塔」である。中央アジアは、西アジアと東アジア地域の中間に位置し、東西交易の中間点もあり、また東西勢力がその限られた肥沃な土地を求めて相争った地域でもあった。トクモクはキルギスの南部地域と同様に今日でも他民族が暮らす街だが、それはある意味この地の雄大な歴史を今も伝えるものでもある。

PICT0128 シルクロードの風に立つブラナの塔

東西シルクロードの交易路は、天山北路と天山北路がこの地域を通っていたことが知られているが、その内天山南路は現在は新疆ウイグル自治区となったタクラマカン砂漠北縁を伝い、ウイグルの西端に位置するカシュガルを抜けて現在のキルギスに入るルートがあった。トルガルト峠を超えて川伝いにソン・コル湖へ出、さらに北を目指して西突厥などの王朝の首都であったシルクロードの都市スイアーブに辿り着く。そこからは西進してタシケント、サマルカンド、ブハラを目指していった。ビシュケクとトクモクのほぼ中間には、夏の間スイアーブにかわって首都となったといわれるナヴァカートという、シルクロードで最も大きいと言われた街もあったとされ、(現在はクラースナヤ・レーチカという村が遺跡跡にあるが、過去には日本の発掘調査隊が遺跡調査を行ったことがある)さらには現在ビシュケクのある位置にもテルサケントと呼ばれる街–ペルシャ語で”キリスト教徒の都市”–がかつて存在したと考えられている。

PICT0171 シルクロードの風に立つブラナの塔

ブラナの塔は、10世紀半ばにこの地を中心に興った、カラハーン朝の中心都市であったバラサグンという都市の遺跡だと見られているが、あるいはこの地に東西に広く点在した城塞都市の一つであったのではと唱える人もおり、未だ定かではない。カラハーン朝はウイグル王朝などの勃興によりテュルク化しつつあったこの地で初めて仏教からイスラム教に改宗した王朝で、バラサグンの建物もその影響を受けたものとなっているのがこの塔の姿(ミナレット)からも窺い知れる。王朝華やかなりし頃にはブハラやサマルカンドに匹敵する都市が存在していたのかもしれない。モンゴル帝国の隆盛した13世紀以降はしだいに衰え、今はその一部が遺跡として残るのみとなっている。現存するミナレットは地震で一部崩壊し、王墓なども一部発掘されたみだが、復元図や想像図で往時の姿を蘇らせている。

Combined シルクロードの風に立つブラナの塔

Combined6 シルクロードの風に立つブラナの塔

スイアーブやナヴァカートには5-6世紀に西方からソグド商人が定住し始め、西突厥などの王朝の首都として、また唐王朝の重要拠点として栄えた。その後バラサグンにその勢いを奪われるまでこれらの都市は繁栄したが、異なる人種(インド・アーリア系や漢民族、ソグド系民族、テュルク系)とその言語、文化(マニ教、ゾロアスター教、キリスト教、仏教などの宗教や民族文化)技術(遊牧、農耕、その折衷など)が集まり、様々な民族や文化、社会形態が起こり、消えていった。時に大きく対立しながらも、太古より相対の認識と共存のバランスが日常の風景を作り出し、生活を支える意識であったことが窺い知れる。

Combined5 シルクロードの風に立つブラナの塔

定住の農耕民族と季節により移動する遊牧民族。そうした人の交わりや関わりの中から生まれ、消えていった都市の姿が偲ばれる。 開けた草原の中アラ・トーの山並みを背に立つ赤土の塔は、往時の姿をそのままに残すウズベキスタンの都市や、砂漠の砂に呑まれて朽ちた街とも多少違う歴史の流れを、この地に立つ者に感じさせる。 

PICT0091 シルクロードの風に立つブラナの塔
陽が傾き、折からの雲がその弱い光をさらに遮り、赤い煉瓦の肌に影を落としていた

Combined2 シルクロードの風に立つブラナの塔

塔の入り口から中に入ると、頭頂部へと昇る階段がある 小さな銃眼のような開口部以外は完全な暗闇となり、非常に狭く、煉瓦のざらついた感触と土の匂い、そして日光に温められ熱を放つ乾いた空気の中を進む 

Combined3 シルクロードの風に立つブラナの塔

煉瓦は精緻に組み上げられて曲線を描き、次第に有機的なものに感じられてくる中をゆっくりと進むと、上から光が見えてくる

PICT0110 シルクロードの風に立つブラナの塔

暗闇に慣れた目には眩しい光が小窓から射している 目を凝らしていると外の景色が光の中に浮かび上がってくるが、小さく縁どられたその風景は白昼夢のように遠く現実味を持たないかのようだった

やがて上からより強い光が差してくる

Combined4 シルクロードの風に立つブラナの塔

細かい煉瓦の積層が光を拡散し、柔らかく表面を浮かび上がらせている 煉瓦に音が吸い込まれ、同時に響いているかのように空気が張り詰めている 光が強くなるたびにその緊張が晴れていき、空間が広がっていく錯覚を受けた

PICT0119 シルクロードの風に立つブラナの塔

何も無い開けた風景が広がった 自分の発する音しか聞こえない中から、風が過ぎていく音の中に取り残されたように立ち尽くす

PICT0159 シルクロードの風に立つブラナの塔

PICT0160 シルクロードの風に立つブラナの塔

塔を降り、草原の中を歩くと石像があちこちに点在している テュルク系民族が残したというバルバルと呼ばれる石像は、故人の墓を守る目的で置かれたという 故人が倒した敵を形取り、墓を守らせたという記録もある なだらかに草に覆われ盛土になっている所は故人の墓であろうか

combined7 シルクロードの風に立つブラナの塔

塔の頂上で出会ったキルギス人の家族と、ちょうど同じ時に塔を訪れた結婚したばかりの夫婦 地元の人の間では結婚するとこの塔に二人で登る習慣があるという ドレスで登るには厳しい塔だが、頂上で誓いを立てると一生添い遂げられるという言い伝えがあるようだ 他にも何組かの新婚グループが訪れていた 都市は滅びるとも、人の営みは続いていく

PICT0172 シルクロードの風に立つブラナの塔

厚い雲が垂れ込め、辺りが一気に夕闇に沈んだかと思ったとき、雲の切れ間から一瞬の陽が射して塔のシルエットを浮かび上がらせた

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Steve Jobs スティーブ・ジョブス逝く

スティーブ・ジョブスが亡くなった。

その訃報に触れ、想像していた以上に衝撃を受け、動揺している。これほど動揺するとは思っていなかった。
多くの人が自分の姿を重ね得るエバンジェリスト。遠くて近い存在。

iPhone 4Sをアップルが新体制で発表した直後だった。
ふと、ハレー彗星が回帰した年に生まれ、「自分はハレー彗星と共に地球にやって来た」と生前語り、「ハレー彗星と共に去っていくだろう」と言っていた通り次回ハレー彗星回帰の年に亡くなった、マーク・トウェインを思い出した。

自らが長年の夢として生み出したiPhoneが無事世に送り出されたのを知り、安らかに眠りについたのだと思いたい。それこそ我々が描くスティーブ・ジョブスというカリスマの姿と言えるではないか。

一つの時代が終わったことは間違いない。

 

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この所カメラの話は書くのに「写真がないじゃない」というコメントをよくもらう。

実際、情報記録としての写真は撮るのだが、写真を撮ろうと街に出ることが少ない。良くないことだと思う。自分の周りを見回して、注意を向けようという気持ちが薄くなっている。身体的感覚はともかく、精神的感覚が鈍っている。

最近の写真で掲載するようなものがないので、以前撮った写真のなかから中央アジアの深まりゆく秋のものをいくつか紹介しよう。自戒の念も込めて。このため場合によっては以前掲載した写真が混じっているかもしれない。

(なおアップルのmobile meサービス終了アナウンスを受け、別のサービスに写真ギャラリーを移行中である)

Kei Satoh Photo Gallery

PICT0047 深まりゆく中央アジアの秋
秋のキルギス・アラルチャ国立公園。東山魁夷の一幅の絵のようだ

PICT0074 深まりゆく中央アジアの秋
樹木に一部覆われた山と、岩や氷河に覆われた山を背景に、一本の白樺の木がうっすらと紅葉し始めている

PICT0166 深まりゆく中央アジアの秋
オアシスのようなナリンのポプラ林

Tekeli in seasons 12 深まりゆく中央アジアの秋
白樺が色付き、地面も枯葉で黄色に染まっていく。カザフスタンは中央アジアで最北に位置し、寒さの訪れも早い

PICT0197 深まりゆく中央アジアの秋
秋の平原を行く二人。夫婦だろうか。風の音以外に聞こえない中でゆったりと時が流れている

Tekeli in seasons 4 深まりゆく中央アジアの秋
草を食む遊牧民の馬

Tekeli in seasons 6 深まりゆく中央アジアの秋
金色の起伏する丘の間を細い小川が流れている。絵画のような光景

PICT0153 深まりゆく中央アジアの秋
カザフスタンの冬は早い。特に高地では、10月半ばには雪が降ることも普通で、山は既に冠雪を抱いていた

PICT0177 深まりゆく中央アジアの秋
凍れる冬の到来は近い

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タイトルだけを読むと「何のこっちゃ」と思われるだろう。
唐突ついでにと言っては何だが、映画「Blade Runner」の写真解析シーンをご存知だろうか。

主人公がある写真を機械にかける。それを音声でガイドしながらある部分を拡大したり移動しながら写っているものを解析するシーンである。今となっては別段驚く程のものではないかもしれないが、初めて見た時には「凄い!!」と思ったものである。(実はどちらかというと音声でコントロールする部分に惹かれたのだが)もう一つ、屋台のオバちゃんが何かの鱗を電子顕微鏡で拡大して見て、製品の質の高さに言及し、さらにそこに記されたシリアルナンバーから製品を特定するなんていうシーンもあった。

今やデジタル写真は、それが必要であるかどうかは別として、ある意味でこの解析シーンを再現することが可能である。最大解像度で撮影した写真をパソコンのモニターで等倍にしてみれば言わんとしていることがわかっていただけるだろう。縮小しているときには見えない情報もそこには写り込んでいる。(もちろん、映画の解析シーンは「印刷技術」も同様に超高解像度情報を記録しており、拡大に耐えることが再現条件になる)今回この写真の解析シーンが浮かんだのは、写真の解像度をその写真の良し悪しではなく情報を取り出すために利用している点を思い出したからだろう。

自分の所有するNEX-5ダブルレンズキットの16mmレンズ、18-55mmレンズは、周辺画像が流れる、周辺減光が酷い、解像度が低いと特に16mmレンズは一部で叩かれた。さらにNEXシリーズと比較されるパナソニックのM3/4は、特に20mmレンズの解像度が高いと一部で騒がれ、NEXと比較されたことで「ソニーのEマウントレンズはよくない」という評価がかなり広まったように思う。アダプター経由でライカやツァイス等の光学的に性能が高いと言われるレンズとも比較されてしまい、「センサーはいいのにレンズは。。。」と結論付ける人が後を絶たないのである。
実はNEX-5後継のNEX-5Nや、同時期に出たα77などではレンズの光学性能を補正するデジタル補正がかけられるようになったとのことで、センサーや画像処理エンジンが相当性能アップした上、このレンズ光学補正によりさらに見かけ上の解像度や歪み補正が向上しているということだそうだ。サンプルを見ても実際明らかだった。「見た目」には。色再現や解像感の向上によって、まるで写真が良くなったかに思うのはまあ個人の自由である。それは結局、我々の知覚や認識能力の限界を示すものでもあるのだが。(自分も建物の写真を情報として撮ることが多いため、たる巻き歪みをソフトで修正することは多い)そこまで求める人はそれくらい可能なソフトを利用している場合が多いだろう。カメラ上で処理するか後でソフトを用いて処理するかの違いに過ぎない。

以前、我々がある写真をより「美しい」あるいは「好ましい」と判断する材料の一つとして、コントラストの強弱が与える影響について紹介したことがある。それに似た要素の一つとしてこの「解像感」がある。(記事を参照していただければわかると思われるが、実際の「解像度」ではなく「解像している感じ」と言うべきものだ。シャープネスを写真ソフトで上げると、実際の解像度が上がったかどうかではなく、上がったように感じる。これは解像度が上がるのではなく解像が上がったと感じるような操作である。もちろん言葉のアヤではあるので、「技術的に解像度を上げている」と言うこともできるのだろうが。これもデジタル時代になってより自由に広く利用することが可能になった技術であり、SFだった映画のワンシーンも我々には実用可能なものになった)

現実として、我々の目はもはや、今日のデジタルカメラがセンサーで捉える情報を全て知覚する能力は持ちえていない。もちろん実際には、そうした知覚認識を超えた情報の集積が見た目のコントラストや解像度に影響を与えている可能性は強いとしても。(写真に限らず、音などでも同様のことが言われる) レンズなどの光学性能は、ある意味で我々の知覚能力に即したレベルに限定されてきた。カメラや天体望遠鏡を例にとるならば、レンズや反射鏡の大きさが光の集光力を既定し、それを接眼レンズや写真フィルムなどを用いて我々が知覚できるよう可視化する。短所や限界を補う形で肉眼はフィルムへ、フィルムはデジタルセンサーに取って代わり、さらにはデジタル処理技術がセンサー知覚情報を拡張する。この拡張操作自体はフィルム増感だろうがデジタル処理だろうが、性能に差はあれ求めるものは同じである。我々の知覚能力を超えた世界を認識可能にすること。
もちろん、光学性能が低ければいくらセンサーが良くても性能は向上しない。「拡張」という言葉を用いたのはそのためだが、その意味で言えば、人の知覚機能の拡張を手助けするデジタル化とデジタル処理という「手法」もまた、人の世界認識や処理操作能力を向上させるためのある一つの概念を基にしたものでしかない。 だからだろうか、写真を語る際に解像度や色についてばかり拘る輩に対してヒトコト言いたくなるのである。それは入口であって目的地ではないのだから。


先に述べたように、デジタル技術を用いて世界を認識しようとする方法は、今や我々人間の知覚認識などをはるかに超えた別の次元に入っているのではないだろうか。我々がこれまで知覚・認識出来なかったものを我々が知覚可能なレベルに処理し、我々の理解と認識を深め利便性を高めることに寄与している。ポイントとなるのは、それが我々にとってどういう意味を持つのかという点に焦点を向けるべきではないのか、ということだ。それを考える事の方が圧倒的に面白く、可能性も感じられるように思うのだが。

ペンタックス O-GPS1という天体撮影のための装置は、「レンズの向いている高度、方位、カメラの姿勢の情報と、カメラが持つレンズの焦点距離の情報をもとに、写野内の星の動きに合わせて撮像素子を動かし、星を点像に止める追尾撮影を実現」するーーなんていう装置も市販されている。なおコンポジット合成自体は惑星の撮影等にフィルム時代から用いられ、別に新しいものではない。(ex.天体写真撮影術 http://motoraji.com/blog/722/)

一つ、先述のSF画像解析に似た実例をあげてみよう。 現在NHKで、「コズミック・フロント〜発見!脅威の大宇宙」という素晴らしい番組が放送されていて、宇宙や天文好きにはたまらないのだが、「爆発寸前!?紅い巨星・ベテルギウス」という回である面白い実験が行われていた。 地球は大気でお覆われているため、地上から宇宙を「可視光」で見ると大気の流れにより目に見える像は揺らいでしまう。それ故大気の薄い、空気の揺らぎの少ない高山等に光学望遠鏡が置かれることが多いのだが、いくらスペックでは上回っていても宇宙に浮かび大気の影響のないハッブル宇宙望遠鏡には実性能でかなわない場合が多い。

この番組では、爆発寸前と考えられている馴染み深いオリオン座の一等星、ベテルギウスが「円形ではなくコブを持ち歪んでいるのではないか」という仮説を確かめるために行われた「撮影」方法を紹介している。地上から撮影すれば、大気により星像は揺らいで歪みを確認するどころではない、と普通なら考えるところだが、これをある方法で「補正」するのだ。 番組ではその方法を説明するのに、トランプのカードを揺らいだ水中に沈め、これを何枚も撮影する方法を紹介していた。いくら水が揺らいでいても、数多い写真の中には歪みの少ない、良く「解像」している写真が偶然得られる時がある。天体の撮影でも同様、大気の揺らぎが偶然おさまった瞬間に撮られた「スーパーショット」が、数十万枚もの写真の中にはある程度存在する、と仮定したのだ。それら一部のスーパーショットをアルゴリズムを用いて自動的に抽出し、これらをコンポジット合成することでより精度の高い、言わば解像度の高い最終画像を得るのである。これなどはデジタル撮影やデジタル画像処理、デジタル画像解析が初めて可能にしたと言えるものである。これとてハッブル宇宙望遠鏡はいともカンタンに超えていくのだが。

こうした技術がやがてそこいらのコンパクトデジカメにフィードバックされないとも限らない。実際に一部利用されつつあるではないか。HDRや高感度・超高速シャッターによる連続撮影を用いたスローモーション撮影など。デジタルノイズリダクションや解像感を高める画像・映像アルゴリズムの利用は、今や我々の知覚認識能力などを圧倒的に越えるレベルを持つに至ったが、我々の周りには既に日常的に数多く存在している。

あるいは、可視光線の撮影のみならず紫外線や赤外線で捉えられる光などを全て合成し、一つの画像にしてその天体の「ある種の」姿を可視化することも行われている。さらには、光学の力では知り得ない世界を垣間見ることの出来る電子顕微鏡など、まったく異なる手法を用いた可視化装置もある。 もはやそうなると、眼に見える知覚という範囲を超えた世界を可視化しているわけで、もはや光学的なものかデジタル補完によるものかを「区別する」事自体意味のないものと言うこともできる。「レンズの光学解像度が高い」方が「デジタル補正による解像」より優れていると考えるロマンティックな時代も、そのうち過去のものとなってしまうだろう。それほどのインパクトある変化が一気に来る可能性もあるのではないか。
もともと天文や物理学の世界を見てみれば、その大部分が視覚に頼らない、想像力と認識力の世界であるのだから。


飛躍のし過ぎはともかくとして。 我々が写真メディアによるある画像を「認識」するという行為は、既知の情報や知識、記憶とのすり合わせにより判断する行為と言える。写真というメディアの存在意義もそこにあると考えている。しかし、だとしても写真とは、我々が世界を認識し、感情を寄せ、記憶に留める行為の一つの形として存在するに過ぎない。 共有をしやすくそれを求めやすい写真というメディアが(だからメディア足りえるのだが)その「良し悪し」を評価して価値を定めようとする行為に結びつきやすいことは確かであり、それ故にニュースやアートへと昇華し得るメディアでもあるのだが、それがもし我々の想像力や思考力を一瞬の知覚の強弱によって限定し、固定してしまうのであれば、それはまた危ういメディアと言うこともできる。そういう認識や判断といった行為そのもの自体が曖昧で、簡単に操作されやすいものであることもまた、忘れるべきではないと思うのだがいかがだろう。

カメラの性能至上主義に陥りがちな自分に対して自戒の念も込めて。(GR DIGITAL IVについても書きたいのだが。。。矛盾しがちな物欲を抑えるためでもある)

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DPA通信によると、ベルリン交響楽団、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の首席指揮者を歴任したクルト・ザンデルリンクが18日、ベルリンで死去したとのニュースがあった。享年98歳。クラシック音楽が最後の輝きを放っていたであろう20世紀初頭に生まれた最後の巨匠とも言える指揮者であった。

経歴を見ると、東プロイセンのアリス(現ポーランド領オジシュ)で生まれ、初期にはオットー・クレンペラーやヴィルヘルム・フルトヴェングラーなど、その後巨匠と呼ばれる指揮者達に指導を受けている。ユダヤ人であった彼は、ナチスの反ユダヤ政策から逃れるために23歳でロシアに亡命、同じく亡命していたハンガリー人のジョルジュ・セバスティアンの下でモスクワ放送交響楽団のアシスタントとなる。
その後、ソビエトで活動を続け、29歳の時にエフゲーニイ・ムラヴィンスキーの下でレニングラード・フィルハーモニー交響楽団の第一指揮者となった。圧倒的な技術とムラヴィンスキーの薫陶を受けたレニングラード・フィルと共に歩むことで、ザンデルリンクの指揮者としての生き方が定まったと言えるのではないだろうか。さらにソビエト滞在中にはドミートリー・ショスタコービッチら作曲家とも親交を結んでいる。1958年にはレニングラード・フィルの初来日公演が行われたが、病気で来日ができなくなったムラヴィンスキーの代替指揮者の一人として、初めて日本を訪れている。
1960年には東ドイツに帰国、ベルリン交響楽団の首席指揮者となり、1964年から3年間シュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)の首席指揮者も兼ねねた。その後はオットー・クレンペラーを引き継いでニュー・フィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者となり、76年からは客演指揮者として読売日本交響楽団を数度指揮することもあった。77年にはベルリン交響楽団を辞し、フリーで活躍。2002年に指揮活動の引退を表明していた。

 


 

手元にはブラームスの交響曲の録音CDが数枚あるが、初めて聴いた時にはその演奏の違いに驚いた。新しい世代の、例えばカルロス・クライバーやレナード・バーンスタインの演奏に馴染んでいた耳には、「全く違う」世界の音楽のように聞こえ、強い印象を受けたのである。その後ブラームスを聴きたくなった時にはよく選ぶようになった。

彼が一時期率いたシュターツカペレ・ドレスデンは今やNHKなどでもその演奏がよく放送され、演奏CDも今や数多く手に入る。しかしムラヴィンスキーやザンデルリンクの活躍当時には共産圏の文化が西側に広く紹介されていたとは思えない。ベルリンの壁崩壊後にそれまで伝わっていなかったこうした旧東側の文化活動に触れることが出来るようになったわけである。自分にとっては同時代を生きたとは言えない、故に過去の遺産に触れる行為である。

現在、自分はいわゆるこの「旧共産圏」の国に滞在しているわけだが、一つとても魅力に感じるのは、ソビエト時代を経験した人達の謙虚でありながらしっかりとした視点を持つ見識や、文化に対する際の真摯さである。我々から見れば地味で堅実、質素な生活の中で、ロシアの文化に対して、あるいは自らが認めた文化遺産に対して高い誇りや理解を抱き、現在もそれを守り伝えようとしている。ザンデルリンクやシュターツカペレ・ドレスデンの演奏(カール・ベームを始め、ヘルベルト・ブロムシュテットなど)を聞くと、時代の流れやエンターテインメントの側面をも強調された西側経済下の演奏とは異なり、そうした地道な生活の中に寄り添う文化の頂点としてのクラシック音楽が感じられるのだ。どこまでも地道に真摯な姿勢を貫き、派手さや誇張が全く感じられない緻密な音楽。言い換えるとそれは、まるで新しいものや驚きのない、それでも堅実に質素に繰り返され、確実に、間違いなくとり行われる日々の暮らしの反復の如く響く、とでも言えようか。大仰な抑揚や熱狂とは違う、しかし圧倒的な全体の安定とそれが可能にする細部への視線と注意。

もちろんクラシックと呼ばれる様々な要素を持った文化全体を見渡せば、そうした安定や堅固さばかりではないと思う。現代という時代において予測できない未来を思い描くか、もしくは我々の辿って来た過去から何かを得ようと俯瞰してみるか、その立場や態度の違いによって我々は求めるものや視点を変える。ただその時、どちらが重要であるかは焦点ではなく、時にはそのバランスの取りようが我々の立ち位置を定める指標となる。それを念頭に改めてこうした演奏を聞くと、そこにはまた違った意味で圧倒的に豊穣な、薫り高い世界が広がっている様に出会うことができるように思うのだ。

東側・西側という大きな対立のあった時代、あれは何だったのだろうか。それを知るにはまだ自分は幼すぎたものの、こうして今、東側と呼ばれる別世界に触れることができるようになり、またその壁が取り払われた影響が今も根強く残っているのを感じるのに際し、我々は何を感じ、思うのだろうか。

その指標の一つとなるようなザンデルリンクの音楽が聞こえてくる。まごうかたなき本物の響きの一つである。

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