— Delirious New York Diary

今年、世界同時多発テロから10年目を迎える。10年の時間はあっという間に流れ、当時の感情はどこか乾いたかさぶたのようなものになって心の一部に巣食っている。ただ普段にはあまり見えないものになった。それを隠す日々の暮らしの比重が大きくなったためだろう。

911 memorial2 同時多発テロと10年の歳月

あまりにも穏やかな9月始めの青空。街に出た時の普段とは全く異なる静けさ。その静けさを切り裂き、いつ果てるともなくループを描き続ける米軍の戦闘機。そして、数キロも離れたアップタウンにすら流れてくる物の焼けた匂い。あの日ですらそうした断片的な記憶が、まるで白昼夢のように自分の間隔と微妙にずれていた。心に巣食う感情は、怒りや悲しみといった激情とは違い、力を入れようにも入らない足元から絶え間なく襲う悪寒に似たものだった。それらが心までをも完全に支配している。

911 and Ground Zero 12 同時多発テロと10年の歳月

911については一度以前にも書いた。あの事件が自分の中から消えないのは、まったく同じタイミングで自分の体を蝕み、ついには取り返しの付かない一線を越える病気の進行と重なっていた事が、自分でも感情の上でどうしても切り離せないからだ。ある意味で、自分の中にはそのように両者を見ることで客観視して、それらの外側に自分を置きたいという防御反応のようにも思える。こうしてこの文章を書くこともまた、その行為の一つなのかもしれない。

DSC01472 同時多発テロと10年の歳月

世界を変えた日。中東の均衡を破るイラク戦争と、それに続くアフガニスタン作戦の引き金を引いた契機。軍産複合体というアメリカの一側面の肥大と、その嵐のあとに残された膨大な憎しみの連鎖。自国民にものしかかる膨大な債務。世界的経済不況の二番底。これらは自分にとって、頭の中でどちらかと言えば整理しやすい「外部の」情報だ。ただそんなもので感情というものは制御できない。全てはある意味遠く、かさぶたを厚くするかのごとく感情の底に積み重なっていくだけだ。

DSC01481 同時多発テロと10年の歳月

家族を失ったり、怪我や心の傷を直接負った人達と自分は比べるべくもない。その悲しみの大きさは今でもなお、アフガニスタンで命を落とす兵士やその家族、あるいは憎しみに感情を突き動かされ原理主義や一教義に取り込まれる人々に引き継がれ、肉体と精神、思考や感情を瞬時に破壊しながら、どこまでも底無しの渦を拡げていくテロのどす黒い醜さ、暴力で権力を手に入れ、自国民を犠牲にしてまでその権力や富を増幅させる輩いよって拡大している。どう考えようとしても、911は過去であるどころか、さらにその傷を拡げているのである。ただ、それらが遠い世界に感じられるという感情がさらに乾いた悲しみのようなもので心を覆うのだ。それはあの足腰から力が抜け、悪寒だけがこみ上げてくるあの日の感覚とどこか重なる。

DSC01480 同時多発テロと10年の歳月

激烈な痛みと、その元を断ったがゆえに広がる果てのないような苦しみ。どちらが本当の苦しみであるかどうかなど、大した問いではない。何がその間断なき苦しみやその連鎖を断ち切ることができるのだろう。「敵」を定め、標的を探し、叩き壊す行き方は、その双方に言い分はあれども虚しいものだ。世界は、いいとは言えない方向へ進んでいる。

911 and Ground Zero 1 同時多発テロと10年の歳月

それが、9月11日を迎える前夜の感想だ。

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先週、Apple CEOのスティーブ・ジョブスはCEOを退き、今後は会長としてできる限り会社運営に関わっていくと発表した。後任にはジョブスの推薦を受けて、COOのティム・クックがあたることになる。健康上の理由であると思われている。

以前、一度ジョブスのスタンフォード大学での卒業スピーチについて触れたことがある。病気により一時は余命数ヶ月と言われた彼が、死を覚悟することで逆に強い信念に揺るぎのないものが加わったと語ったのを印象深く覚えている。卒業式のスピーチに、死について語る。それも、「命短し恋せよ乙女」的な人生謳歌の勧めを語るのではなく、死そのものについて考える機会と、それがもたらすであろう生き方や考え方の変化について語っているのである。

”death was a useful but purely intellectual concept…death is very likely the single best invention of life.”

こうした態度が、ジョブスが他の形式的なリーダーと異なる活躍をする所以だろう。

 


 

彼は最近、その痩せ方から健康上大きな問題があると言われている。退任報告が発表された後にネットで伝えられたジョブスの写真は、確かに健康状態が思わしくないことを伝えるものであったし、ジョブスの実父(ジョブスは生まれてすぐ養子に出されている)が最近ジョブスが実子であることを知り、会えなくなる前に会うことが出来ればと語った記事まで流れた。

CEOを退く前も、病気療養で実際の会社運営は首脳陣によって行われていたであろうし、ここ最近の大きなプレゼンも副社長のフィル・シラーが行なったり、ジョブスがホストを務めても各プレゼン要素を個別担当者が説明するスタイルに変わりつつあった。それでいて、プレゼンの質が落ちたようには感じられない。各担当も非常にうまく、また各担当個人個人の個性や魅力を感じさせるプレゼンを行っている。それだけAppleには魅力的な人物が多いということだろうし、ある意味ジョブスというカリスマのみで存在する企業というイメージを払拭し得るものとなっている。今後は、ジョブスなきプレゼンが普通になっていくのだろう。その引継ぎそのものは完了しているように思う。

Tim Cook Steve Jobs Apple スティーブ・ジョブスのCEO退任と、世界戦略の難しさ

ティム・クックとスティーブ・ジョブス。Photo: WIRED Magazine

強い判断能力を持つジョブスと、そのコンセプトを具現化する能力を持ったチームメンバー達が、Appleを倒産寸前の状態から時価総額世界一の企業へと変貌させてきたことは語るべくもない。ただ個人的にはジョブスのカリスマ性がAppleの現在の成功をもたらした理由と考える必要性をあまり感じないのだ。初代iMacを手始めに、Microsoftからの融資を引き出したところまでは彼の成せる技だとして、iPodやiTunes Store、OS X、iPhoneやiPad、Intel Mac、アップルストアといった一連の事業を発案・展開し、Appleブランドの基に大きなフレームワークとして「15年以上かけて」完成統合してきた背景には、ジョブスのみならず、多くの才能ある人物が関わっていることは間違いないし、この点のほうがより重要だと思う。もちろん多くの岐路を判断し、様々な事業展開を統括し得たジョブスの能力が稀有のものであることは事実であろうが。いずれにせよ、ソフト分野、ハード分野、デザイン分野、メディア分野、マーケティング分野ーーーどのような批判や短所の追求があろうと、幾つかの製品やサービスで大きな失敗していようと、現時点でこれほど確固としたエコシステムと才能ある人脈を持つIT企業は少ないだろう。各分野にライバルはいるとしても。
デザインのジョナサン・アイブがハードでイメージを具現化し、社長に就任するティム・クックが製品生産をすべての点で最高度に高め、フィル・シラーがマーケティングを、ロン・ジョンソンがAppleストアで実現する。そうしたハードをそれに見合ったイメージを持つソフトがサポートし、バートランド・サーレイがOS Xを、(ロンと彼は最近Appleを去った)その下にぶら下がるiLifeやiWorksの各ソフト、その他プロフェッショナル向けソフトでも優れた担当リーダーが開発、製品展開している。もはや、Appleは「デザイナー向けのちょっと良いデザインのコンピューターを作る会社」というレッテルでは表現し得ない多様性を持つものとなった。

ただ企業には寿命があるとよく言われる。才能豊かな人物が率い、その人物の影響力が失われるまでが一つの賞味期限というわけだ。実際、現在のソニーなどを企業組織として見るとそれは言い得て妙、と言えなくもない。Appleが今後どのようになっていくのか、それは一時期飛ぶ鳥を落とす勢いだったマイクロソフトやDELLの現在を見れば想像がつくものではないが、現在までに創り上げたシステムがどのように働き、どのように変化していくかーーあるいは変化や変革をもたらすことができるか、にかかっている。


 

海外にいて、特に発展の途上にある小さな国にいて感じること。それは、日本の企業進出や製品展開にも言えることだが、ある意味でAppleのような企業の世界戦略の難しさを示唆するものでもある。ローカリゼーションと一言で言ってしまうと短絡的に捉えられがちになるが、経済的に発展した国や社会で完成され、強固なシステムであればあるほど、それを世界で同じように展開することは難しくなってくるように思われるのだ。

Appleは、ハードそのものの魅力に加え、ソフトやネットワークによるメディアとの連携を軸とするシステムを構築しつつある。どちらが欠けてもAppleというブランドは成立しない。現在もそのシステムは発展展開中であり、電子書籍や新聞・雑誌といった現時点で残された最後の砦ともいえる既存メディアの取り込みに注目が集まっている。そして、それをサポートするネットインフラやクラウド化なども先進国では実用レベルに達しつつあり、スマートフォンやタブレット端末によるさらなるハード・ネット利用形態の進化が見込まれている。

しかし、これは全ての分野がビジネスとして相互作用し共存、共栄できる背景を持つ先進国においての話だ。

発展中の国に来て感じるのは、中国やベトナム、インド、トルコなどが圧倒的物量で生産する「ハード」の点で言えば、もはや世界中である程度の品質を持ったハードを手に入れることはできるようになった、あるいは、先進国では型落ちとなったものの、当初は最先端・最高スペックであった製品が新品・中古の状態を問わず、発展途上国に凄まじい勢いで流入し、多くの人に利用・再利用されるようになった、という点だ。(これにより、多少型落ちでも先進国の住人より高級ハードを多くの人が利用しているというパラドックスも発生している)

そしてソフトとしてのメディア。自国で製作されるコンテンツはほとんどないものの、ハリウッドやヨーロッパで大規模に製作される音楽や映画は、ネット上に溢れている。以前はソフトといえばコンピューターのソフトが最も多くコピーされていたが、音楽を始め、映画などがデジタルデータとして扱われるようになった現在、発展途上国ではもはや手のうちようのないほどにコピーが当たり前になって巷にあふれている。インドや中国などを除き、あまりメディア産業の発展しない発展途上国では、アメリカやヨーロッパの映画、日本のアニメなどが今や当然のごとく知られ、視聴したいという需要を生む。映画館でも映画は上映されているが、チケット自体がネットやテレビとの競合から超低料金であるし、同じく格安のケーブルテレビが数カ月後には最新映画をTV放映する。(自分も、以前はあまり進んで見なかった新作映画など、テレビで見ることが多くなった。日本人などよりよっぽどこちらの人のが色々見ていますよ)ネット環境があるならば、それこそダウンロードし放題だ。ネット環境に慣れ始めた若者の間で、お金をかけてCDやDVD、ブルーレイを音楽や映画を見るために購入するといった発想は初めから存在しない。あったとしても、一枚に5-6本の映画が詰め合わせになった一枚100円程度のDVDや、数百曲がまとめられたMP3のCDなどを買うぐらいが関の山である。そして、インターネットとはそうした「サービス」であり、ネット料金を払えばメディアのダウンロードなどが自由にでき、それが世界中でも当然の状況なのだと思っているフシがある。誰も本来の姿を伝えるものがいないので、あたりまえだろう。(時には、アメリカの最新映画の「映画館撮影海賊版」までもがケーブルテレビで堂々と放映されており、苦笑するしかなかった。ケーブルテレビ局がコピーDVDを再生し、放映しているのだろう)ここまであからさまだと、それを個人レベルで諭すことは不可能であり、理解もされ得ない。先進国の住人がより高いお金を出して音楽や映画のCD/DVD/Blu-ray パッケージを購入し、映画チケットを買っていることは、ある意味でこれら発展途上国の住人の分も肩代わりしていることでもあるのだが。

そして、「音楽ってお金を払うものだろうか」などと無邪気に反論された日には、実際こちらがその意味を深く考えてしまうほどである。そして「現在のメディア産業は、それこそ戦後数十年ほどで音楽はお金を払ってパッケージを買うものと規定し、それを広めた。それを基本にした先進国発のエコシステムは、その根本において、実は危ういシステムなのではないか」という疑問が湧いてくるのだ。(ラジオやテレビでは録音したり録画しても無料なのに、なぜネットでは有料で購入するのか、という線引きは、非常に恣意的なものだ。音質や画質がその差を区別していたのだろうが、現在はその差は一般人にとってないに等しい)

今後、発展途上国が経済的に成長して人々が経済的に豊かになったとしても、その時になって「じゃあ、今後は分相応な金額を支払ってね?」と言ったところで受け入れられることはまずないだろう。ダウンロード販売?なんだそれは? こうした問題に強いとされるフリーミアムの考え方にしても、先進国においてさえ「課金」が始まれば利用者が圧倒的に減ることは統計的に裏付けられているわけで、後々お金を必要とするサービスであることを知った上でも利用するか、と聞かれれば「難しい」と思わざるをえない。

ハードが開いてしまった門戸を、どのようにして埋めていくかが鍵になる。その反応の一つがgoogleの求めるシステムとサービスであり、利用者レベルでメディアを生み出すソーシャルネットワークのサービスだろう。チャットや掲示板から始まり、自作動画共有のYou Tube、写真共有のFlikerやPicasa、ブログ、そしてTwitterやFacebookなど、今や人々は自分で発信するサービスを取り込み、多くの時間を費やすようになってきている。Facebook利用者が世界第2位だというインドネシア。ソーシャルネットワーク革命とまで言われたチュニジアやエジプトの政権交代。高速鉄道事故で中国共産党をも揺るがした中国版ツイッターやソーシャルネットワークサービス。もはや、音楽や映画さえそうした広い拡がりを持つネットワークサービスの話題提供の一メディアであると考えるならば、お金のある人がその分多く払うという富の平均化は肯定されるかもしれない。あるいはするしかない。

最近中国でAppleストアを模した店が数多く生まれ、いろいろな意味で注目されているが、先進国的目線を外して世界規模で見れば、iPhoneやiPadが世界中でここまで人気を博している以上ごくごく当然のように思う。先述したように、ハードは最も課金と収益が得やすいものである以上、今や国境を越え世界中に製品は流れている。それを売る店が、戦略上集客しやすい店のデザインやサービスを真似るのは当たり前とも言える。もちろん中国がパクリ大国の本領を発揮し、新幹線まで真似ようとして大きな傷を負ったことは、ソフトや経験値をも模倣するのは極めて難しいというこれまたはっきりとした事実を示しているわけだが。

いずれにせよ、iPhoneは家のWiFi環境以外では日本のような使い勝手を経験することはできない。そして、iPhoneも店で見かけるものの、Android製品が増え始めたのはやはりコンテンツの縛りを嫌気する人が多いためだろう。現実として、iTunesストアはキルギスでは提供されていないため、アカウントを作成できない以上フリーであってもアプリをダウンロードすることすらできない。強固なエコシステムは、それを利用できない人にとっては単に排他的な、宇宙人のようなものでしかない。その心理を突くのは、現状ではやはり課金のない、コピーが主流のシステムしかないのだろう。それは、ある意味でローカリゼーションを行う際の「キモ」であるのかもしれない。それを受け入れることができるのかーーー非常に難しい、新しいバランス取りのひつような問である。

 

追記:ヒトコト言うと、日本はこの点非常に、誠に弱いとしか言えない。新しい変革システムを生み出せないだけでなく、日本で成功したシステム=ガラパゴスにすがりついたまま海外に出ようとして、失敗している部分が大きい。海外に積極的に出よというのは何も海外に生産拠点を移せということではなく、海外の現状を知り、そこから自らの姿や立ち位置、現状への対応を考えるために海外の空気に出来るだけ触れ、水に慣れろということなのだ。それは、時々出張に出向く程度では成し得ず、やはり一定期間住んでみたり、その土地の人と個人レベルで知り合いになる必要がある。その点で言えば、日本はアメリカだけでなく、中国や韓国、トルコなどの足元にも及ばないのが現状だろう。

 

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チュニジア、エジプト、イエメンと、安定していると思われていた政権が一気に揺らぎ始めている。

強大な権力をもって国内の言論や反対派を封じ込め、自らを保身する憲法や法制度を強制し、権力や富を独占するーー国民に選出された政治家が政治を執り行い、その規定するシステムが国民の暮らしや生活、国際社会における立場などを規定していく前提としての政治が確立していない中で、一部勢力の思惑や他国の介入によって作り出された傀儡政権。あるいは一時の勢いに乗って大きな指示のもとで誕生しながらも、長きにわたり政治力を握ることで志を失い、腐敗にまみれ、特権を維持するために強権化する独裁政権。
こうした存在に対する抑えこまれた不満や怒りが、意見共有を促進する新しいメディアにのって波紋のように広がりをみせ、一気にこのような事態に発展した。

キルギスにおける前大統領追放の際にも感じたが、強権を以て抑えこまれていたと見える国民が一斉に立ち上がった時、どのような強権も太刀打ちできずに驚くほどもろく、あっけないほどに倒れていくように見える。
そして一時は国の盟主として、時に英雄として存在した強権者達の俗物化して下卑た末路が、あまりに似ていることに驚かざるを得ない。4億ドルを持ち出したというバキエフ前大統領一家、50億円相当の金塊を無理やり持ち出したチュニジアのベンアリ大統領一家。「エジプトに残り、エジプトで死にたい」という、これまでの強い姿からは想像できないほどの弱々しさで発せられたムバラク大統領のテレビ演説。次期大統領選挙には出馬せず、息子も出馬しないという声明を出して世論を鎮めようとする、イエメンのサレハ大統領。
国家を体現する存在であるはずの政府の、その長たる者のこうした姿を見ても、我々が知り得るこれら国々の国家としての姿とは何であったのかと、愕然とさせられる思いがする。

国家であれ組織であれ、強権の保持し得るものとはそれを維持するためのシステムのみであるということかもしれない。そしてそれは一部の勢力が持ち得るものであるからには、永遠に維持できるものでもなく、今回のような一斉蜂起の前にはもろくも崩れ去る。
キルギスの政変と民主化の動きに対して、ロシアは中央アジア諸国が一斉に民主化の動きに傾き、独自の国家運営に乗り出すことを恐れ、表向きには手を下さないものの政治的圧力を加えた。イスラエルを支えるアメリカは、イスラエルの存在に反発する周辺アラブ諸国をアメとムチによる政権選択によって抑えこんできたが、今回の一連の政変によりアメリカ主導の中東和平は難しくなっていくだろう。今後アメリカが主導してきた世界の政治情勢と国家関係の方向付けはさらに流動化していき、その影響力が弱まっていく未来が次第に見えてきた。

そして、この一連の動きを強い恐れを持って見守っているのは中国だろう。単発的な民衆蜂起が各地で繰り返されているとされるが、何らかの方法で一斉に不満を持つ国民が立ち上がったとき、一党支配の中国の混乱はどのような状況になるのだろうか。(中国でFoxconn社などを巻き込み広がりを見せた工場労働者のストライキは、携帯電話を介して広がったことが知られている。「金の盾」によるインターネット検閲も、携帯電話の会話まではコントロール出来ない。爆発的な拡大を続ける携帯電話や、膨大な「つぶやき」と転載のスピードについていけるメディアコントロールの維持運営は、ますます困難になるだろう。莫大な運営費用はさらに国民から搾取され、それを正当化する理由は国民に正しく伝えられることはない)

北アフリカと中東の国々の国民が次々と連鎖反応を起こして、政権打倒を唱えた今回の民衆蜂起運動。それは、特定の国家とその政府を打倒する運動というよりも、貧困や低い労働条件に抑圧されたまま浮かびあることの出来ない人々が、彼らをそこに押し込むことで成立する現在の世界のシステムに対して立ち上がったと見るべきではないだろうか。そして、中国で頻発しているという民衆の蜂起の矛先は、地方政府や中央政府に向けられたものだとしても、その責任の一端は日本を含む、先進諸国の運用する現状の世界システムにあることを考えてみる必要がある。
グローバルな経済システムが、既存の国家の姿と国際関係の姿を大きく変えている。アイスランドやギリシャ、アイルランドの国家経済破綻に続き、今回は北アフリカや中東の国家運用が破綻した。その背後にある大きな流れによって、近い将来、現状の世界システム全体が一部国家の枠を超えて流動化することになるのではないだろうか。

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この所キルギス関連の記事しか書いていなかったが、ラマダン入したキルギスは連休になっているため動きがない。
久しぶりにその他の記事を書いてみる。

先日からAppleは「Tomorrow is just another day. That you’ll never forget.」と、なにか新しい発表があることをアナウンスしていた。通常新製品やサービスの発表にはプレスコンファレンスを行うAppleが、今回はティーザーのような直前のアナウンスで皆を煙にまいた。

apple itunes teaser Appleらしさ

Appleのスティーブ・ジョブスは今年中にまだ重要な発表があると公表していた。iTunesのクラウドサービスなどが囁かれた中、このアナウンスのメッセージを謎かけに取った人が「Beatles」の楽曲追加と断言し始めた。Wall Street Journalもそのひとつで、その後は発表前からCNNやBBCなど一日中同じ憶測を報道し続けていた。
アナウンスのメッセージはPaul McCartneyのソロ曲のタイトルだとか、時計の並んだメッセージ画面が「HELP!」のジャケットに似ているだとか、一気に「Beatles」説が盛り上がった

結局、iTunesで予告よりも早い時間に配信が始まった。Beatlesのappleレーベルと商標を巡り長年裁判を繰り返してきたAppleだが、とうとう和解し音楽配信サービスに参加したことになる。

Beatles Appleらしさ

そういったことはさておき、今回のやり方は「Apple」らしさに満ちていて素敵だと感じた。「(そんなことだったかと)驚いた」「がっかりした」という意見が特に日本では多いようだが、今回の発表とそのやり方はAppleがただ単にコンピューターやソフト、そしてiPodやiPhoneを売るだけの企業ではないことを強く印象づけるものだった。
以前、Appleは「Think different.」というキャンペーンを行い、著名な人物の写真と合わせ、「想像力」をもとにした「創造力」を生み出すツールとしてのApple製品プロモーションを行った。その時のやり方に似ていなくもない。

82a1d8c9 Appleらしさ

「狂った人たちへ。はみ出し者。反抗者。問題児。四角い穴の丸い杭。物事を別の形で見るひとたちへ。彼らはルールを好まず、現状になどかまってない。
彼らを引用してもいい、彼らに反論しても、崇めても、けなしてもいい。でもあなたに出来ないことーーそれは彼らを無視すること。
なぜなら彼らは物事を変える。人類を前進させる。彼らを狂っていると見る人がいる中で、我々は彼らに叡智を見る。
世界を変えることが出来ると考えるほど狂った人こそが、世界を変えていく人だから」

言ってみれば、Appleという会社はBeatlesの曲を聴くためだけにでもiPodを作り出そうとする人たちの集まりだという事かもしれない。それ程、Beatlesを自らのサービスに加えることで世界中の人々がこの音楽を聞くことが大きな意味を持つことなのだよ、というメッセージをジョブスは伝えたかったのだろう。
自己満足との声も聞かれるだろうが、ジョブスはその「自己満足」を、多くの人々もまた、同じように求めているものだと確信している。自分で完結する満足ではなく、世界と繋がっていることから得られる満足を彼は目指しているように思う。Pingサービスを加え、単に音楽を買うだけでなくソーシャルメディアとして他のファンと繋がるツールも加わった。自ら作ったソフトウェアを世界に発信するステージにもなっている。iTunesは巨大な活きたコミュニティーとしての存在を強めつつある。

Think Different Appleらしさ

Apple Computer Inc.を立ち上げ、Macintoshを発売してから36年、彼の意識はほとんど変わっていないように見える。世界に散らばる魅力的なものをコンピューターを通して集めたり、自ら創りだして発信したりするための、それ自体もまた魅力的なツール。そこに集められる世界の魅力的な断片の一つとして、Beatlesは自分のコレクションのみならず、世界の人々の間でシェアされ続けるものだと語りかけているようだ。
仏作って魂入れず。物作りに際して最も大切で、難しいもの。その意味をよく考えるべきなのは誰だろう。

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Transparency International の代表 Huguette Labelleによるブリーフコメント

2010年度版汚職・腐敗体感指数に関するレポート

2010年度版汚職・腐敗体感指数とキルギス及び中央アジア

”キルギスの現状基礎体力” の中で紹介されていたNGO, Transparency International によるCorruption Perception Index (汚職度指数)の2010年度版が発表された。汚職度・腐敗度を0 (汚職度ー高)から10 (汚職度ー低)で表したものである。
キルギスの順位は調査対象178ヶ国中164位という結果となっている。中央アジアではトルクメニスタンとウズベキスタンが172位に同位でランクされているが、残念ながらそれに次ぐ低さだ。その他ロシアとタジキスタンが154位で同位。カザフスタンが2009年の120位から105位まで順位を上げ、中央アジアの中では一番腐敗度が低い結果となった。(それでも2.9レベルである)キルギスの周辺に居るのは、国情が安定しない独立間もないアフリカ諸国などであることも知っておく必要がある。

Transparency Internationalのレポートは厳しい論調でこの順位について指摘しており、「このレベルの汚職・腐敗度のままであればキルギスは進歩することはできない。経済的にも、科学的にも、技術的にも、あるいは社会的向上についても望むことはできないだろう。もしこのままの状態が続けば、国の将来のために投資され得た財産まで食いつぶしていくだろう」と厳しく批評している。
「今年はキルギスにとって非常に重要な年となっている。国は移行段階にあるが、汚職や腐敗に対する反作用が通常の手続を踏んだ改革では解決できず、現在と未来のための真の戦いといったレベルに達している現在、国民の誰もがキルギスに山積している難しい問題について認識している」
「社会は既に選択を行なった。今非常に重要なのは、キルギスの政府機関、政府関係者、法執行機関、判事や検察官らが、自分たちはどちらの味方に立つのかについて意識することだーーキルギスのためか、個人的な利益のためか」

2010 corruption index Transparency International の 2010年度 Corruption Perception Index (汚職・腐敗知覚指数)

<最後に述べられている、「自分たちはどちらの味方に立つのかについて意識することだ」という部分は、単に事の善悪として理解すべきレベルの問題ではない。汚職度の高さを第三者の立場から俯瞰することは、汚職そのものを解決していくことより容易なのは確かである。問題となるのは、「ではどのように汚職や腐敗を廃していくか」ということにある。
この順位と汚職度指数が示すのは、日常的に、その度合に関わらず汚職行動が行われていることである。ーーこれは個人的にも経験する。殆どの人はそれを残念ながら受け入れなくてはならない状況に陥り、真剣に解決に向け動くことも個人ではままならない。その根本には個々人の充分でない収入の問題や、権力機構への権限の集中がそのまま搾取構造になっている点がある。教育の問題、民間機構の弱さなど、社会が権力機構を中心に回る古い体質から抜け切れ無い。

これらの点については、残念ながら多くの人が汚職度指数が高く透明度が高いとされるデンマーク(1位)やニュージーランド、シンガポール、スウェーデンなどの社会スタンダードを知らない、という点も無視できない。(それは自分を含め多くの日本人も同じだが)
政府という組織が社会の一端であり、全てではないという状況すら実感することができない。民間が経済活動を行うにも政府の大きな干渉がある。そして、この経済活動の中でもさらにまた腐敗の慣習がはびこっている。ネガティブ・スパイラルに陥って、あるキルギスの専門家はキルギスを評して「底なしのブラックホール」と述べていたのは印象深い。
今後民間組織による監査や、ジャーナリズムによる自由な批評、政策立案を左右していく社会構造や経済の自律性が成長していかない限り、閉じた世界は永久に開かれることはないだろう。


ーー中央アジアの長い歴史は、東西の中継点として常に他国の新しい文化や強力な異文化要素が通過し、取り込まれながら、世界を知る機会があったと思われる。もちろん自らの独自性を守ることにも精力を払ってきた事だろう。語弊を顧みずに言えば、現在のグローバル化やグローカルな動きとは、こうした過去幾度も襲ってきた嵐やその反動に似たところがあるのではないだろうか。そして、キルギスの人々も、好むと好まざるに関わらず既にその嵐の中に居り、生活の利便性や質向上などその多くをこの嵐に負っている点は事実である。

キルギスは積極的に海外を知る機会を必要としている。かつて我々日本人が明治維新前夜に遭遇した西洋という大波は、多くの人々の目を開かせ、日本の遅れを認識するきっかけとなった。日本も同様だ。そこから学ぶべきことは今こうした状況であるからこそ必要だろう。内に閉じて萎縮する現状の中から新たな世界が開けていくことを望むのは難しい。出来合いの製品や物資を取り込むだけでなく、社会システムや公正な経済システムを積極的に導入できるよう諸外国との関係体制を整え、諸外国もその立場をもって関係を結んでいく必要があるだろう。日本が不平等条約を改定していった取り組みや、社会・経済システムを導入していった過程は、現代でも学ぶことは多いと思われる。キルギスにそれを伝えていくことはできないものだろうか>

なお、中間値の5レベルに満たない国が世界の3/4を占めることも忘れるべきではない。もちろんこうした指数や指標で全てを判断することは出来ないが、国家が経済的にも自立し成長していく上でこの透明度が重要な指針であることは確かと思われる。先日お伝えした報道の自由度指数も含め、人々の日々の暮らしの質や未来への希望などが育まれる社会の形成の根本には、こうした指数で表される状況が大きく影響していることは間違いない。

Transparency International はさらに、国際競争力指数とこの汚職・腐敗度指数を組み合わせたある指標を提案してもいるが、例えばこの指標でトップに位置するスイスは、国際競争力が高いにも関わらず透明度を保っている。日本がキルギスのような国に対して対応していく方法について、大きなものを示唆しているように思えてならない。<綺麗事とは、それを綺麗事と知りながら通すことで本物の綺麗となるかもしれない。それは、悪事を悪事と知りながら通してもなにも変わらないこととは比較にならない大きな差があるものだ>

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変化する環境

今年の夏、ラフティング(川下り)ガイドによれば「水位が高すぎ、危険過ぎた」と語っている。初心者のグループをガイドした際、いつもはキルギスでもおすすめの川であるにも関わらず、今年は初心者の手に負えなかったそうだ。

増水した河川上流や貯水池のあちこちで水が溢れ、関係省庁は発電に必要なときに貴重な夏季の水が失われたことを嘆いている。
この原因と考えられているのは、氷河の融解速度の加速だ。世界中で起こっている氷河の減少と同様、キルギスの氷河の多くも危険な速度で減少している。

キルギスの氷河系

<International Fund to Save the Aral Seaの資料によると、キルギスには8208もの氷河が存在すると言われる。2008年時点では国土の 4.2%に及ぶ8,400平方キロメートルものエリアが氷河で覆われている。氷河の総水量は5800億立方メートルにも及ぶといわれている。(全国土を3mの水深で覆う量に相当)その中でも最もよく知られているのが、東部天山山脈にあるキルギス最高峰のポベダ山(7439m)とハン・テングリ(6995m) の大山塊にあるイニルチェク氷河で、大山塊の北部及び南部に分かれて存在する。なおいくつかの氷河はビシュケク市から程近いアラルチャ国立公園内にあるアク・サイ山(3500m) やアディゲネ山(3200m) にも見られ、そこから流れだす豊富な水がビシュケクを潤している>

Ala alcha 失われる氷河
アラルチャ国立公園には、水量の豊富な河川がいくつも流れる

氷河後退の様々な調査結果

ドレスデン工科大学の地図調査機関による調査で、T.ボッシュは、カザフスタンとキルギスタンの国境に位置する北部天山山脈の気候変動と氷河の後退は、地球全体で見られる気温の上昇傾向と密接に関係していると見ている。1960年から1975年の間には氷山の後退はわずかであったが、1970年代以降急速に後退速度が上昇していることがわかった。2005年度の調査報告で、ボッシュは「氷河面積の35-40%が失われた」としている。
また、国連環境プログラム(UNEP)と世界氷河観測事業 (WGMS) による2008年の共同調査がまとめた「世界的な氷河の変化:事実と数字」では、20世紀の間に、天山山脈の25-35%もの氷河が消失したと発表している。
gracier1 失われる氷河
写真はタジキスタンのものであるが、キルギスより南部にあるタジキスタンは気温がより高い。写真は氷河に削られた部分の砂礫が氷河を覆わんとしている所。氷河を覆う土砂などがさらに融解を早めているという

キルギスの機関による調査では、ビシュケクの国立科学アカデミーの水資源問題・水力発電研究所のヴァレリー・クズミチョノクが1970年代後半から2000年の間に20%近い氷河が消失したという調査がある。現在の氷河消失速度は1950年代の3倍に近いという。
環境NGO、BIOMのアンナ・キリレンコは、キルギスの主要水源は氷河に直結したものであるため、この氷河後退プロセスは非常に大きな問題になっていると述べている。(先日の「キルギスの電力事業 2. 水力発電」で一部データをお伝えしたとおり、ここ数年のトクトグル貯水池の水位の上下動は非常に大きく、2008年には夏季の水位低下により水力発電に支障が出て、計画停電が起こったことをお伝えした)
キリレンコによれば、氷河後退によって水系のバランスが確実に崩れており、河川の状況や、山系周辺のエコシステムが変化していくだろうとしている。

Gracier2 失われる氷河
氷河が流れた跡が見えるが、現在は消えている

中央アジア応用科学研究所のリスクル・ウスバリエフによれば、氷河は偏在しているために融解速度などに差が生じるため、ある地域では変化が緩やかだとしても、特定の地域では急速なエコシステムの変化の影響を受ける可能性があるとしている。例えば、チュイ渓谷の西側では急速に水不足が進んでいる。また、クンゲイ・アラトー山脈の南斜面の氷河の後退はキルギスの他の地域と比べても著しく速く、またエコシステムへの影響も大きくなると予想されている。フェルガナ盆地周辺の氷河融解も同様に懸念されている。

加えて、UNEPとWGMSの調査では、砂礫が氷河を覆う機会が多くなり、太陽光の熱吸収を高めて氷の融解を促進していることを指摘しているだけでなく、氷河のうねりに遮られて生まれるダム湖の出現が増加しており、決壊により周辺地域に洪水を起こす危険性も警告している。
中央アジア応用科学研究所の予測では、現在の気候変動がこのペースで持続すると、キルギスの50から70%の氷河が消失すると見ており、河川の水位低下から水供給不足に陥るとしている。
またビシュケクの国立科学アカデミーのクズミチョノクは、今後20年から30年で氷河消失は重大な局面を迎え、今世紀末には10%程の氷河しか残らない可能性もあるとしている。

国際政治問題への発展〜水資源問題

中央アジアの水資源は、その80%をキルギスとタジキスタンに依存していると見られている。キルギスよりも山岳地帯が多くを占めており、キルギス同様水資源に電力事業を依存するタジキスタンや、氷河を源流とするキルギスの河川の下流に位置するカザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンも農地灌漑用水を河川に依存しているため、氷河後退が直接的な影響を及ぼし始めている。

こうした水資源をめぐる摩擦が、より大きな国際問題に発展しつつある点は、近い将来水資源をめぐる摩擦が世界中で起こっていく事を予感させる。お伝えしたキルギスの水力発電所建設を起因としたウズベキスタンとの摩擦と同様の問題が、タジキスタンのダム建設計画を発端にウズベキスタンと間でも起こっており、タジキスタンによるログン大規模水力発電所建設再開ーーキルギス同様資金不足による建設停止が再開されるーーにおけるダム設置について、ウズベキスタン政府は非常に強い危機感を募らせている。ウズベキスタンのタシケントからタジキスタンへ通じる鉄道の貨物利用が事実上停止される事態となっている。既に2010年8月時点で既に7ヶ月目に入り、さらにタジキスタンからウズベキスタン国境を超えるトラックにも追加税が検討されているため、燃料や小麦の輸入も滞っており、燃料不足などからタジキスタンの(特に)農産業に大きな支障が出始めており、さらに穀物価格が15%近く高騰している。

Nurek 失われる氷河
タジキスタンの首都ドゥシャンベから車で1時間程のところにあるヌレーク貯水池の端部。山から流れこむ土砂が混じり、色が変わっているのがわかる。キルギスから流れるバクシュ河(キルギスではキジル・スー河と呼ばれ、いずれも「赤い河」を意味する)をせき止めており、5つのダムによるヌレーク水力発電系を形成している。なおヌレークダムはソビエト時代、1961年より20年近くかけて建設された高さ300メートルに及ぶ堤防高は世界一位である。なお上述のログン水力発電所用ダムは、これを上回る規模で計画されており、40億ドルもの建設費がかかるとされる。

この状況により、北部供給ネットワーク(Northern Distribution Network: NDN) による物資輸送に頼るNATO軍のアフガニスタン作戦は、一部物資がウズベキスタンを通じてタジキスタンに送られ、さらにトラック輸送でアフガニスタンに供給されているのだが、この物資がウズベキスタンに滞っているために物資供給において支障が出る事態に発展している。
その他にもタジキスタンの他の小規模水力発電所に投資・建設参加しているイラン企業の物資輸送に関する不満を受けて、イラン政府もウズベキスタンへの苛立を強めている。

キルギスの今後の電力事業

ビシュケクの国立科学アカデミーのクズミチョノクは、水源の90%を氷河から得るキルギスが電力事業の90%を水力発電に依存しながら、さらに水力発電事業に投資しようとするソビエト時代の延長にある政府の考え方に、大きな問題があるとも述べている。30億ドルもの巨額投資を必要とする1,900MWtの発電能力を持つカンバル・アタ-1、360MWtのカンバル・アタ-2水力発電所はソビエト時代に計画され、1986年に建設が始まった計画であり、多くの専門家はこうした巨大水力発電事業では今後長期にわたって電力供給を安定させることは出来ないという意見で一致している。
アメリカ、ペンシルバニア州のバックネル大学で環境政治学と政策について教鞭をとるアマンダ・ウッデンは、バキエフ政権の下で不透明な資金繰りによって進められた大規模水力発電事業の事業運営の透明化を進めなければならないとした上で、さらに気候変動による水資源の減少や枯渇の問題を今後受け入れ、それに対処する計画を建てていかなければならないとする。他の方法による電力事業を計画し、水力発電に依存する現状を変えていく必要がある。例えばキルギス国立科学アカデミーの地震研究所所長のカナット・アブドラクマトフは、地熱エネルギーの豊富なキルギスにおける地熱発電についてその可能性を指摘し、地熱発電所はカンバル・アタ発電所の約半分の予算で建設可能であり、周辺諸国との摩擦も引き起こさないなど、環境や政治問題を踏まえてもより効果的であると述べている。
<アブドラクマトフは実現可能性として、ロシアは水力発電事業へ注力している点から興味を示さないだろうが、中国の興味を引くことが出来れば建設事業に引き入れられるだろうと述べている。ここで日本の名前が出ない点は、地熱エネルギー大国の日本としては口惜しいところだーー>

Delta1 失われる氷河
わずかな山からの水流の先には小さいながらもデルタが拡がり、より大きな川に流れ込んでいる。こうしたところにも人の営みが行われていることを忘れるべきではない

キルギスの電力事業計画には、近隣諸国への輸出売電が大きな柱となっている。現在は豊富に見える水資源を利用して発電し、その発電事業のために周辺諸国に水不足の可能性を生じさせる事態となれば、近隣諸国が輸出売電事業を受け入れるかどうかも定かではなくなる。さらに氷河の後退により水資源不足が加速し、水力発電事業そのものに大きな支障が出て来る恐れも高い。水力発電事業に完全依存する形での現在の電力事業は、こうした様々な理由から大きな危険性をはらむものと言えるのではないだろうか。

一方、国連のLIFEプログラムと小規模融資プログラムのキルギス内コーディネーターであるムラット・コショエフは、水資源の不足から今後想定される食料生産・供給不足の問題を真剣に検討する必要があるとしている。実際には、キルギスの食料生産の問題は旧式化した灌漑システムと水資源の非効率的な利用にあるとする。
「特に小麦の生産など大規模な灌漑を必要とする中で、より水資源を効率的に、また無駄を省いて水資源を節減する灌漑システムをできるだけ早く導入する必要がある。早ければ早いほど、食料生産の安定性を確保することができるようになるだろう」
こうした問題は、もはや一国で解決できる問題ではない。より具体的な方策を考える際に、日本の知識や経験、技術をもって参加していくことができれば、と願う。

参考:
IRIN humanitarian news and analysis
Asia Plus news
Eurasianet.org
国連環境プログラム/世界氷河観測事業

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先にお伝えした「報道」の自由度指数について考えながら、その本質である「ジャーナリズム=批評精神」と拡大してみたとき、ジャーナリズムの自由度が高いということはどういう事か、考えさせられた。というのも、この所日本のみならず、アメリカなどでも新聞社が経営的に苦しい立場に立たされているニュースをよく聞くようになってきたからだ。アメリカにおける地方新聞社の倒産が相次ぎ、ジャーナリストの間では第三者による政府や地方行政の批判能力が落ち、行政の質が悪化することを懸念する声も高まっている。

メディアとは器であり、媒体であるからには、技術の革新などでその姿は変わっていくべきものだ。それ故にマスメディアとしての新聞がテレビに押され、インターネットに押されていくのは必然とも言える。それによってマスメディアのビジネスモデルが変化し、ジャーナリズムの場もそれに伴い変化していくことは、避けられるものではないだろう。新聞社が潰れているという事実は、「対価」という我々の根本的な社会的基盤と、「自由な批評の機会」というジャーナリズムの本質がぶつかっている点に問題がある。


ジャーナリズムの自由度とは、確かに上述の「国家や権威主義」に対するジャーナリズムの自由度という点がまずは前提となる。<換言すれば、ジャーナリストという立場を理解し、社会や国家がその活動を阻害しないこと、となるだろうか>
この点は理解できるのだが、現在のマスメディアの利用を前提としたジャーナリズムーー1. 活動の資源が広告主からの収入で成り立つビジネスであること  2. 新聞、ラジオ、テレビ、インターネットと進化してきたが、マスメディアはあるレベルの技術的環境に左右されるメディアであることーーが高い自由度を持ち得ているかと聞かれれば、疑問を持たざるを得ないのである。もちろんここでは報道ジャーナリズムという狭義の意味ではなく、ジャーナリズムがメディアにおける批評の手段であるという、その本質的な意味において考え、広義に捉えている。
これまでは、新聞やメディアがマスメディアとして一般人の知識や社会の判断基準を緩やかに規定してきたが、今やインターネットが膨大な情報の断片を生のまま、即応的にネットワーク上に現出させるようになった。我々はーーこの記事のテーマからするとごく一部の幸運な部類に入るかもしれないがーーこうした生の情報にアクセス「しやすく」なったことは確かである。また個人が何らかの情報を発信することもしやすくなり、このように自分も何かを発信しようとしている。

このような技術的な側面から拡大した情報環境の中で、言論統制を必死に守ろうとする上述の国々や、ノーベル平和賞受賞者の報道を制限するような中国政府の人為的行動は、世界中にはりめぐされたネットワークの前ではもはや完全を期すことは不可能だろう。無論、それを保ち得るのは法的な処罰や教育 による思考の方向付けだけであり、この順位はそうした行動を反映した順位でもある。


しかし、さらに視点を移して見たとき、Raw Dataに近い生の情報へのアクセス機会が増えたという点そのものが、批評の機会の増大や質の向上につながるわけではない、とも感じるーーその可能性が広がったとは考えたいところではあるが。百科事典が生み出された時、その外部記憶としての存在意義について大きな議論がなされたというが、情報が膨大に存在し、整理され、アクセスしやすくなったとしても、それだけで我々の知が増大したわけではない。
我々の脳は、機械的な即応や既知感に対しては活発に活動しないことが既に知られている。そうした経験は雑然として深く印象に残ることは少ないし、ましてや深く読み込んで、考察のプロセスや知識を共有し、様々なものの側面を見出す手助けとなるものは稀である。インターネットが訴求する即応性や即効性は、コンピューターやウェブの百科事典的汎用性と相まって、やはりじっくりと情報を経験する種類のメディアでは(現時点では)ない。能動的に考えないということであり、受動的入力に慣れ過ぎて機械化する危険性を手にすることである。こうした受動的要素を持つマスメディアの問題は、これまでも常に問題視されてきたが、特にインターネットの膨大な情報が持つ受動という従属の罠によって、我々の思考や行動を規定し、時に利用され、様々な形で我々を囲い込み、思考の限定や停止をもたらす危険はさらに大きくなっている。


個々人がある独自の意思の下に情報を選別し、集約し、考察と批評を加えて様々な側面を持った情報へと昇華することのできる環境とはどのような状態なのだろうか。これは言い換えれば、そうした環境が社会にもたらされ、その社会的拡がりの中においてしか我々個々人が情報を得、判断し、考えることは出来ないという本質に我々を立ち返らせる問いでもある。それ故に我々個々人は社会基盤の形でのマスメディアを必要とするわけだが、それを保持し、自由度を守るのは社会を形成する個々人であり、国家や特定の一部ではない。マスメディアとその手段である本質としてのジャーナリズムは、社会の総体を映す鏡として、その内包する全てーー我々自身を含むーーの動脈硬化を防ぐために存在すると言えるだろう。その自由度を保持し、手段として用いることができるよう整備していくことは、個々人の問題なのだ。

その意味で、ジャーナリズムの自由度とは、非常に多くの側面から定まっていくものであると感じた。そして順位が高いという事そのものがジャーナリズムの質について言及しているのではないという点も、忘れてはならないだろう。

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101021 Reporters Without Borders 2009 Press Freedom Rankings Map 国境なき記者団によるジャーナリズム自由度指数

News Agency Kyrgyz 24は、Reporters Sans Frontières〜国境なき記者団が発表した2010年度の報道自由度指数について言及し、キルギスは調査に含まれる178ヶ国中、159位であったことを伝えている。

この報道自由度指数では、フィンランド、アイスランド、オランダ、ノルウェイ、スウェーデン、スイスなどが上位を占めている。報道自由度指数は、各国内におけるジャーナリストやニュースメディアの尊重度と、彼らがいかに国家による法の乱用等から守られているかを示すとしている。(ちなみに日本は2009年の17位から、2010年は11位に向上した。20位以内は「最も自由度が高い」事を示す)
Kyrgyz 24によれば、これらの国はさらに自由度を高め、メディアの独立性を守る取り組みを行っていることを紹介している。例えばアイスランドとスウェーデンでは、規範となる法案の取りまとめることを検討中であり、メディアを独自のレベルで保護すると共に、民主主義により制度化された能力を付加することになる。

Kyrgyz 24は旧ソビエト諸国の順位をあげている。ロシアは140位、ウクライナは131位、ベラルーシは154位、タジキスタンは115位、ウズベキスタン163位、カザフスタンは162位と軒並み低い。モルドバが最も順位が高く75位となっている。ジャーナリストの暗殺や失踪などが取り沙汰され、さらに国営のメディアの力が強いロシアやウクライナでは、自由なジャーナリズムは育たないという見方だろう。キルギスタン159位、カザフスタンは162位とこのグループ中でも最も低いレベルだが、キルギスの報道機関が流す情報はインターネットを通じて非常に速く、かつアップデートも速い。また論評を行う機関も存在している。今後民主主義が進む中から強く自由なジャーナリズムが生まれていくことを願うばかりだ。
ただ国境なき記者団は、EU諸国での報道の自由度が悪化していると懸念を示している。EU27ヶ国のうち、13ヶ国はトップ20位以内にあるが、残りの14ヶ国の報道自由度が低いとする。イタリアは49位、ルーマニアは52位、ギリシャとブルガリアは同位で70位となっており、自由度の高い国と低い国の格差が広がっているという。

報道自由度が最低の国は、アフリカのエリトリアで、北朝鮮、トルクメニスタンが続いている。ただ2002年から行われているこの調査で常に最低10位以内にあったキューバが、今回初めて圏外となったという。これは14人のジャーナリスト、22人の活動家が昨年夏に調査した結果であるが、根本的な自由度の低さは変わっているわけではないとした。

国境なき記者団
News Agency 24 Kg

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キルギスの記事をまとめたウェブサイトを開設した。多少記事が整理されたが、更新性が良くないためブログと時間差ができる可能性がある点をあらかじめお伝えしておきます。
Kyrgyzstan TODAY

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尖閣諸島問題に端を発したレアアース問題が各国の様々な思惑のもとに加速している。
キルギスの天然資源について考察する予定であるが、最もタイムリーなレアアース資源から始めてみようと思う。

レアアースをめぐる関係諸国の最近の動き

尖閣諸島問題によって表面化したレアアース供給の政治問題化は予想以上の世界的拡がりとスピードを見せた。中国政府は日本に対するレアアース禁輸措置について否定しているにもかかわらず、10月19日付のニューヨーク・タイムズが伝えたように、輸出停止措置が欧米にも拡大される懸念がもたれている。
記事によれば、欧米諸国向けレアアース輸出についても既に通関が止められているとしている。欧米諸国は日本ほどレアアースの備蓄が無く、急速に供給問題が拡大する可能性があるとも述べている。アメリカ政府は中国によるレアアースの通商政策について、WTO(世界貿易機関)のルール違反の可能性について調査を開始すると表明し、緊張が高まる恐れがあるとする。
こうした中、中国は2011年のレアアース輸出割り当てを最大30%削減するとチャイナ・デイリーが伝えている。2010年の輸出割り当ても既に2009年の40%減となっており、今後さらに切り詰められていくことは間違いない。

日本のレアメタル・レアアース戦略

経済産業省は、レアアースを含む希少金属(レアメタル)の代替材料開発プロジェクトを推進してきた。また資源エネルギー庁もレアメタルのリサイクルについての検討を続けている。資料に示されているように、レアメタルやレアアースなどの資源供給の偏りが既に顕著であり、産業拡大により資源消費も急速に拡大している中国が供給を制限していくことが明らかであった。
資源供給国の偏り 2007年度 (クリックで拡大)
20101020194904ea5 レアアース問題とキルギスの資源事業
中国のレアメタル輸出制限
201010201938379dc レアアース問題とキルギスの資源事業

こうした状況を踏まえ、今後厳しさを増す状況に対応する体制を整備する目的として、日本政府はJOGMEC (石油天然ガス・金属鉱物資源機構)による探鉱事業推進・支援や、JBIC(国際協力銀行)NEXI(日本貿易保険)による企業活動支援、JICA(国際協力機構)による途上国における資源調査などを中心に、官民相互協力によるレアメタル・レアアース探鉱事業、代替材料・技術開発支援、資源リサイクル、主要7鉱種の60日備蓄保有を柱としてレアアース供給問題に対応していく体制<レアメタルフォーラムーー資源開発加速化のための官民一体の体制整備の枠組み>を整えていた。
こうした中、日本政府は10月8日、緊急経済対策として、レアアース確保のために1000億円の予算措置を盛り込んだと時事通信は伝えた。このうち460億円を中国以外での権益獲得、420億円をリサイクル拠点整備、120億円をレアアース代替技術開発支援に投入するとしている。これは、2009年度新規事業を含めて予算が組まれたレアメタルフォーラムと比較すると大幅な規模拡大となるが、レアアース供給問題の急速な進展に対応するために、国レベルで本格的に乗り出す動きと言える。

一方、10月13日付のロイター通信が、日本政府の豊富な外貨準備高を利用した政府系ファンドによる資源獲得競争が高まりつつある、という記事を伝えている。世界各国の政府系ファンドの規模は、世界の株式市場時価総額の10分の1にも相当する3兆ドルに達しており、こうした豊富な政府資金によって発展途上国の資源や資産が搾取される構図が広がりつつあるとする。日本が政府系ファンドを設立し、多額の外貨準備を中国やカタールのように戦略投資に投じることになれば、先進国としては初めてとなると牽制した。
しかし、資源メジャーや急速なグローバル化により巨大化しつつある多国籍企業体はもともと国家戦略の延長にあるものである。上述のように欧米へのレアアース輸出制限も現実となりつつある中、こうした動きは日本のみに留まるものとは考えにくい。表面的な装いは異なるとしても、既に国家戦略として世界中で行われているものである。

キルギスの資源事業

今までの資料を見ると、キルギスタンは天然資源に乏しいという記述が多く見られるが、専門家による調査で開発が行われていない鉱脈などが依然多数存在していると見られ、資源埋蔵量は豊富であると現在は考えられている。現在は既に発見された資源採掘を中心に、資源探鉱も活発に行われつつある。特に金採掘事業はキルギスのGDPの10%、輸出の20%を占めるに至っている。キルギスのKumtor鉱山は世界でも最大規模の金鉱脈を持つと言われており、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタンにまたがるフェルガナ盆地から1500kmにも渡る鉱脈が存在するとされ、既にMuruntau, Zarmitan, Jilauといった鉱脈が発見されている。
この金鉱山を100%保有しているのがカナダのCentrra Gold社である。この会社はカナダの資源メジャーCameco社がキルギス、モンゴル及びアメリカ合衆国で金鉱山開発を行うために2004年に独立部門を設立したものであり、Camecoから数えると1997年からキルギスで金採掘を行っている。(Cameco社は世界のウラニウム供給の20%を握る資源メジャーである)2009年までに270万オンスに及ぶ金を採掘してきた。2009年の金採掘量は525,000オンスである。Centrra GoldはKumtor鉱脈に次ぐ規模を持つと見られるDjeruj(ジュルイ)金鉱脈の採掘権の取得も目指している。
*なお、キルギスの最大輸出取引国であるスイスは、金を購入していることがわかった。
(なおこうした大規模事業はバキエフ政権下では大きな圧力を受け、40%株式のキルギス政府保有、当初10%であった採掘税の18%への引き上げ、キルギス国有企業Kyrgyz Altynによる採掘された金の全買取などの条件が付加されている)
その他ウランなども採掘・資源探鉱が活発であるが、これは別の機会に回し、今回のテーマであるレアアース事業について多少触れてみる。なお事業内容については次回詳しく触れる事とする。

Kutassay II レアアース採掘鉱山

キルギス北部、ビシュケクより140kmの近郊ケミンに、ソビエト時代にその80%ものレアアース需要を満たしていたレアアース鉱山、Kutassay IIがある。1960年代より採掘が始まり、1991年のソビエト崩壊まで創業を続けていた。
この鉱山にはレアアースの抽出プロセス工場が付随しており、現時点でこうした施設を持つレアアース鉱山としては唯一、中国以外に現存する鉱山である。現在鉱山の全体像の把握や工場の利用可能性等についての調査が鉱山を保有するカナダのStans Energy社と、ロシアの鉱山開発企業、及びキルギスのロシア・スラブ大学の共同調査として行われており、早ければ年内に評価調査を終了し、鉱山の再稼働について来年にも検討に入ることになっている。Kuttassay IIプロジェクトへの投資がこの所増えているが、10月15日にはAustralian Rare Earth Fundからの投資について契約締結したと発表している。
1994年、キルギスの独立後3年の時点でこの鉱山の採掘権はカナダのStans Energy Corporationに競売により渡っている。しかし、Stans Energy社を率いる取締役会長であるRodney Irwinの経歴を見ると、カナダの外務省関係者であり、旧ユーゴスラビア諸国、東欧、ロシア、アルメニア、ウズベキスタンなどの大使を歴任しており、キルギスの名誉領事にも名を連ねている人物である。
先月ブラジルのキルギス名誉領事がビシュケクに再度オフィスを開く件が大きなニュースとなったのだが、大規模事業参入に際し、政府人脈を通じたロビー活動などによりキルギスの重要事業が割り当てられ、投資対象となっていることが浮かび上がってくる。カナダは自国のみならず、世界中の開発途上国において資源探鉱・採掘事業を進めているが、こうした経緯を見てみると、それが国家戦略として行われていることが垣間見える。
Stans Energy社はロシアの国営企業Russian Leading Research Institute of Chemical Technology(VNIHT)と9月13日、ロシアにおける探鉱・採掘事業についてのメモランダムを締結しており、キルギスにおけるレアアース事業を踏み台にロシアとの関係がさらに強化されている。キルギスの大規模事業に大きな興味を持つロシアの思惑と、そうした政治的影響力を見越したカナダの企業の利害が一致したと見ることができるだろう。この構図にキルギスがどこまで含まれているかを考えると、この国の今後の舵取りの難しさが見えてくるように思われる。

カナダとキルギスの関係

キルギスの主要事業の一つである金採掘事業と、現在急速に注目の高まっているレアメタル・レアアース事業を握りつつあるカナダは、国家レベルでどれくらいの関係を築いているのだろうか?
現在までのところ、カナダ政府による開発援助を見ると、ほとんど目立った支援を行ってきていない。ODAは日本と比べても20分の1程度であり、国家レベルの支援を行っていると言えるレベルではない。
20101020194518b42 レアアース問題とキルギスの資源事業
しかし、上述の民間投資においては $850 millionの規模に達しており、世界最大の投資国となっている。Kumtor鉱山だけでもキルギスのGDPの35%規模の経済活動を行っており、また2008年にはバイオセキュリティ、バイオコンタミナントといった先端分野の施設建設やアップグレードなどに関して最大$40 millionに及ぶ援助を行う協定に調印している。こうした企業活動を中心に、職業トレーニングや技術移転活動でも最大規模であるとしている。
この構図は、日本とキルギスの関係の対局にあるアプローチである。日本はソビエトから独立後間もない時期から中央アジア諸国に対し継続して開発援助を行って来ており、常に支援の額や内容においてトップレベルにある。<下記:外務省統計>

日本の援助実績

(1)有償資金協力 256.65億円(2008年度までの累計)
(2)無償資金協力 121.29億円(2008年度までの累計)
(3)技術協力 93.35億円(2008年度までの累計)
DAC諸国のODA実績(過去5年)(支出純額、単位:百万ドル)
暦年 1位 2位 3位 4位 5位 合計
2004年 米 39.9 日本 26.7   独  13.7 スイス 10.4 英  6.3 108.8
2005年 米 40.8 独  27.6 日本 21.0 英  9.4 スイス 9.3 125.8
2006年 米 50.3 独  17.9  日本 17.2 スイス 16.5 英  11.2 123.6
2007年 米 39.8 独  25.0  日本 15.7 英  13.0 スイス 10.6 118.7
2008年 米 63.6 独  21.3  英  13.7 日本  12.3 スイス 10.8 121.7
(出典:DAC/International Development Statistics)

しかし、貿易関係に視点を移すとキルギスにおける経済活動は低いものにとどまっている。2009年度の日本の対キルギス貿易は、外務省統計によれば;

日本の対キルギス貿易(2009年:財務省貿易統計)
輸出 23.6億円(機械類及び輸送用機器、自動車、建設用・鉱山用機械)
輸入 0.2億円(アルミニウム及び、同合金)

にとどまっている。どちらが優れたモデルであるか、という議論では無い。キルギスの産業構造は非常に不透明であり、またどす黒いものも渦巻いている。ODAの持つ高い志やクリーンなイメージは確かに中央アジア諸国の間で日本のイメージを高めてきたが、今後中央アジアは産業育成のための投資やより実践的な技術移転を求めてくるだろう。国として独立していくために、自らの持つ資源を基幹産業に育て、その周辺事業を展開したいと考えている。

そして、成長著しいカザフスタンやウズベキスタンのみならず、キルギスにも日本が必要とする「資源」が現実として存在する。産業発展に際してはキルギスも日本の高い「技術」と「製品」を求めてくるだろう。ODAによる地方のインフラ整備や教育を継続しつつ、今後はより現実的な「貿易関係」を築いていくフェーズに入ったとみるべきだろう。議会民主制政治がキルギスに根づいていくかどうかに関してはまだ不透明であるが、政情や国家基盤が安定してから本格的に乗り出す今までの日本モデルは、中央アジアやモンゴル、アフリカといった国々に当てはめていくことができるか難しいものでもある。現実に、中国やロシアはそういった潔癖な態度を超越したところで活動している。そうした勢力に対して、日本は第三の勢力として今後世界で影響力を強めていく基礎を、今まで築いてきたとも言える。それをいかに活用していくか、今この瞬間に問われていると思われる。

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