— Delirious New York Diary

キルギスの宴席で

今日11月8日は、キルギスは”クルバン・ハイート”、いわゆる犠牲祭と呼ばれる日である。キルギスの祝日はイスラム教にまつわるものが多く、イスラム暦にちなみ、一般的なグレゴリオ暦では毎年その日付が異なる。このため毎年キルギス政府は祝日とする日を年頭に発表する。
Wikipedia曰く、この犠牲祭はイスラム系のもので、いろいろな呼び名があるということだが、通常は”イード・アル=アドハー” として知られ、”クルバン・ハイート” はペルシア語文化圏で使われる名だそうだ。

そんなビシュケクの特別の日。ほぼ一週間ぶりに雪が降った。最高気温1度、最低気温マイナス5度。東京では今やほとんど経験できない寒さだ。ムスリムの人達はモスクに集まり、この日を祝す。ラマダン明けと並んで、最も重要な祝日の一つだ。ただロシア系の住人には本来関係ないものなので、いつもどおり仕事をしている人もいるようだった。TVを見ると、コンサートなどいろいろな催しも行われているようだが、だいたいは家族で静かに過ごすことになる。こんな日には、それぞれの家庭で温かい手料理を家族で囲むのだろう。薄く雪化粧したビシュケク市街は車通りも少なく、とても静かだ。まだそれほど寒くはないが、中央アジアの冬は長く厳しい。そんな中団欒と共に囲む温かい食事は、よりありがたみを感じさせるご馳走となる。

ということで、先日予告したこちらの食事について、まずはこんな祝日や晴れの日に振舞われるごちそうを紹介してみよう。

友人の誕生日や結婚式など、何度か呼ばれる機会があった。さすがに晴れの日とあって、家族の思いのこもった食事や、伝統的なしきたりに則った特別なメニューが振る舞われる。
まずは薪をくべてサモワールにお湯を沸かす。ロシアもそうだが、人をもてなす際にはお茶が最も重要なきっかけの意味を持つ。中央アジアでは紅茶も緑茶も飲まれるが、その代わりコーヒーを飲む習慣がほとんどない。ビシュケクやカザフスタンのアルマティ、タジキスタンのドゥシャンベなどの大きな都市では数件のコーヒーを飲ませるカフェがあるが、外国人や高級志向の人向けに見える。それにしても、「サモワール」という響きにノスタルジーを感じるのは、ロシア文学に描かれるロシア人の「お茶の時間」への憧憬を思い出すからかもしれない。


こんな風に薪をくべてお湯をわかすのだとは知らなかった。薪をつめている穴には、細いパイプのような煙突を取り付けて燃えやすくする


お湯はカンカンに沸騰しておらず、まるで茶道のような扱い。また薪で沸かす湯は「やわらかい」のだという。よくよく考えてみると、ボコボコと水中の空気が沸き立つ沸かし方で茶葉を開かせるイギリス流とかなり違って、長時間お湯を温めておくという感覚なのがサモワール。茶道に近い。水にはほとんど酸素が残っておらず、ミネラル分を感じやすいのかも


非常に濃く入れたお茶に、サモワールで沸いた湯をさして、お茶をいただく。濃く入れてあるので渋みが強かったりするのだが、そこにはちみつやジャムを入れて飲むと、全く別物に変わるのだ。チャイもそうだが、お茶の楽しみ方も文化や地域によっていくらでもあって、どれが正しいなんてものはないようだ

テーブルに並べられたご馳走。ところ狭しと埋め尽くすのが流儀らしい。揚げパンを、机に文字通り「撒いて」ある。ただ、この状態はあくまで前菜、スープ、メインディッシュの肉料理、プロフ(ウズベクの炊き込みご飯)などが続く。でもそれらが出てくる頃にはすでにお腹いっぱい


秋の味覚が並ぶ。季節の果物、アンズやいちごのジャム、はちみつ、何種類ものサラダ、揚げパンや窯焼きの塩パン、ショルポやペリメニなどのスープ、メインの肉料理。実は色々な国の料理がいっしょになっている。それにしても”Feast” という言葉がふさわしい食卓


ロシア風のサラダ数種。ポテトやグリーンピース、人参などをマヨネーズで和えたもの、それに奥に見える鮮やかな紅いビーツとタラのサラダ


奥に見える丸いパンが中央アジアで広く見られるもの。石窯の内側に貼り付けて焼くタイプ。パリッとした皮ともちっとした中身のパンで、塩味が絶妙で焼きたては本当においしい。しっかりした生地をしっかり焼いてあるので、長持ちするし冷めてもそのまま食べられる


はちみつとジャム。どちらも長い伝統を持つ食べ物だが、中央アジアでもお茶の華として重要なもの。こちらでははちみつはだいたい結晶させておくみたい。それにしても、この写真のジャムのように、普通に熟してとれた果物を普通に砂糖を加えて煮込むだけのジャムが、なぜ普通じゃなくなったんだろう?普通に作らないから、何かを入れないとジャムみたいにならないのだ


キルギス美女と同じぐらい魅力的なフルーツ(笑)

キルギス人の結婚式の宴などでは、式の途中か最後に羊、牛、鶏肉などを塩茹でしたものが振舞われる。晴れの祝の日に、客人をもてなすために自らが飼う家畜をつぶして振る舞う伝統的な習わしから来ている。
一度、もてなしの宴席で「馬肉料理」一式を饗されたことがある。自ら飼う羊をつぶして饗する以上に、馬を振る舞うことは最高の贅沢を示すものと想像できる。贅沢とはいえ、馬肉に限らず、塩茹でしただけの臭みの残る肉はさすがに現代日本人にはキツい。それを、さらにキツいウォッカで流しこむ。ウォッカを飲まないと、脂で胸やけして本当に気持ち悪くなってしまうから仕方がない。

ただあまりにもドヤ顔をされたので、「日本人も馬肉は食べるし、生で食べることが多い」と言ったら、相手はさすがにびっくりしていた。

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