— Delirious New York Diary

Ground Zeroプロポーザル 〜4年の後に〜

グラウンドゼロ跡地の計画コンペでダニエル・リベスキンドの案が採択されてから、3年近くが経つ。

全米、そして世界中がニューヨークの象徴であった世界貿易センターの復興への連帯感を強める中、リベスキンドの案は非常な好意と期待を持って受け止められた。「フリーダム・タワー」と名付けられた、アメリカ独立の年をその高さとする(1776フィート/541メートル)メモリアルタワーを中心とした彼の案には、テロ直後に出された機能的に現実的だが事件の記憶をとどめるには凡庸で印象の薄いいくつかの計画案と違った、未来への期待を抱かせる強い意志が込められていたのだ。


最初期の計画案。過去のタイポロジーをバリエーションとして取り上げただけで、テロの記憶をとどめるメモリアルとしてのイメージはない。誰が見ても凡庸と感じられるとして、知事や市長を含めた計画当局から却下され、コンペのやり直しが命じられた

この第2次コンペには第1次コンペと違い世界中から多くの建築家が参加した。グラウンド・ゼロはニューヨークとアメリカに限られたテーマではないだけに、多くの参加があること、さまざまな案が提案されることそのものに意義が生まれる。テロの事実と記憶に対峙するアプローチとして、また現在を生きる我々の未来への展望と希望として、建築は新たな言語となり得るのだろうか。
これから幾度かに分けて、さまざまなコンペ案を紹介していくつもりだ。


ダニエル・リベスキンドによるコンペ採択案。現在のプランは大きく変更され、この姿をとどめていない。

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