— Delirious New York Diary

キリストとイスラムとユダヤと〜ベイルート・イスタンブール滞在〜

レバノン:
先日のレバノンのトリポリにおける紛争と、ベイルート爆破テロの際に偶然滞在が重なった。
もともと数年来のヒズボラとの紛争が小規模ながら今なお続いているが、この所時に事件として表面化するという。首都ベイルートでも警察と、軍隊による警戒態勢がしかれていたが、今回の爆破事件以降さらに警戒が強まっていったとみられる。夜間はバリケードを用いた検問が市内の至る所で行われるに至り、人々も夜の外出を控えるようになっているという。


ターコイスブルーの美しいモスクが青空の下に映える。しかし、ふと見回すと赤いベレー帽の警官や、戦車などに乗った兵士の姿が目に入ってくる


空爆に備えての対空機関砲を備えた戦車がそこかしこに現れた
過去の内戦の傷跡は市内に今でも数多く残る。それでも、ベイルート市内にはキリスト教寺院とイスラム教のモスクが同じくらい見受けられる。キリスト教徒とユダヤ教徒は常に共存してきた

トルコ/イスタンブール

ベイルートは無事に出ることができた。
さらに西進し、イスタンブールへと辿り着く。
かつて幾度にも渡り支配者の入れ替わってきたイスタンブールは、文化がぶつかり合い、時に融合し、また共存してきた都市であることを肌で感じられる街だ。丘の上に建つヨーロッパの街並から海峡沿いへと下っていく小道を通ると、時に現在が剥離して過去と並立するかのような浮遊感にとらわれる。曲がり角を回った強い日射しに、街を通うトラムのレール音にこの瞬間へ立ち返る。

何気ない街路の先に何を見るのか、ふと浮かぶそうした感覚自体すでに現実と離れていく気がする

白中夢を誘うかのような強い日射しが ”パッサージュ” を通り過ぎていく意味を強く印象に焼き付ける まるでコマ送りのフラッシュのようだった

朝日とともに、そこには何気ない日常の生活と喧噪が繰り広げられる。そして夕陽とともに、コーランの響きとともに、今日一日というよりは、今までの全ての日がこの時をもって閉じていく、そんな感覚にとらわれる。それはまた、永遠に繰り返されていくような、変わる事のない始まりと終わりの再生であるかのようにも思えるのだ。


朝日に染まるイスタンブールの街並。一見ヨーロッパの街並の、そのくせどこにもない、イスタンブールの色と空気


仕事に向かう人々の姿が朝の空気を動かしていく


低所得者区域の満艦飾が華々しい


子供の笑顔にも陰がない

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