— Delirious New York Diary

失われる氷河

変化する環境

今年の夏、ラフティング(川下り)ガイドによれば「水位が高すぎ、危険過ぎた」と語っている。初心者のグループをガイドした際、いつもはキルギスでもおすすめの川であるにも関わらず、今年は初心者の手に負えなかったそうだ。

増水した河川上流や貯水池のあちこちで水が溢れ、関係省庁は発電に必要なときに貴重な夏季の水が失われたことを嘆いている。
この原因と考えられているのは、氷河の融解速度の加速だ。世界中で起こっている氷河の減少と同様、キルギスの氷河の多くも危険な速度で減少している。

キルギスの氷河系

<International Fund to Save the Aral Seaの資料によると、キルギスには8208もの氷河が存在すると言われる。2008年時点では国土の 4.2%に及ぶ8,400平方キロメートルものエリアが氷河で覆われている。氷河の総水量は5800億立方メートルにも及ぶといわれている。(全国土を3mの水深で覆う量に相当)その中でも最もよく知られているのが、東部天山山脈にあるキルギス最高峰のポベダ山(7439m)とハン・テングリ(6995m) の大山塊にあるイニルチェク氷河で、大山塊の北部及び南部に分かれて存在する。なおいくつかの氷河はビシュケク市から程近いアラルチャ国立公園内にあるアク・サイ山(3500m) やアディゲネ山(3200m) にも見られ、そこから流れだす豊富な水がビシュケクを潤している>


アラルチャ国立公園には、水量の豊富な河川がいくつも流れる

氷河後退の様々な調査結果

ドレスデン工科大学の地図調査機関による調査で、T.ボッシュは、カザフスタンとキルギスタンの国境に位置する北部天山山脈の気候変動と氷河の後退は、地球全体で見られる気温の上昇傾向と密接に関係していると見ている。1960年から1975年の間には氷山の後退はわずかであったが、1970年代以降急速に後退速度が上昇していることがわかった。2005年度の調査報告で、ボッシュは「氷河面積の35-40%が失われた」としている。
また、国連環境プログラム(UNEP)と世界氷河観測事業 (WGMS) による2008年の共同調査がまとめた「世界的な氷河の変化:事実と数字」では、20世紀の間に、天山山脈の25-35%もの氷河が消失したと発表している。

写真はタジキスタンのものであるが、キルギスより南部にあるタジキスタンは気温がより高い。写真は氷河に削られた部分の砂礫が氷河を覆わんとしている所。氷河を覆う土砂などがさらに融解を早めているという

キルギスの機関による調査では、ビシュケクの国立科学アカデミーの水資源問題・水力発電研究所のヴァレリー・クズミチョノクが1970年代後半から2000年の間に20%近い氷河が消失したという調査がある。現在の氷河消失速度は1950年代の3倍に近いという。
環境NGO、BIOMのアンナ・キリレンコは、キルギスの主要水源は氷河に直結したものであるため、この氷河後退プロセスは非常に大きな問題になっていると述べている。(先日の「キルギスの電力事業 2. 水力発電」で一部データをお伝えしたとおり、ここ数年のトクトグル貯水池の水位の上下動は非常に大きく、2008年には夏季の水位低下により水力発電に支障が出て、計画停電が起こったことをお伝えした)
キリレンコによれば、氷河後退によって水系のバランスが確実に崩れており、河川の状況や、山系周辺のエコシステムが変化していくだろうとしている。


氷河が流れた跡が見えるが、現在は消えている

中央アジア応用科学研究所のリスクル・ウスバリエフによれば、氷河は偏在しているために融解速度などに差が生じるため、ある地域では変化が緩やかだとしても、特定の地域では急速なエコシステムの変化の影響を受ける可能性があるとしている。例えば、チュイ渓谷の西側では急速に水不足が進んでいる。また、クンゲイ・アラトー山脈の南斜面の氷河の後退はキルギスの他の地域と比べても著しく速く、またエコシステムへの影響も大きくなると予想されている。フェルガナ盆地周辺の氷河融解も同様に懸念されている。

加えて、UNEPとWGMSの調査では、砂礫が氷河を覆う機会が多くなり、太陽光の熱吸収を高めて氷の融解を促進していることを指摘しているだけでなく、氷河のうねりに遮られて生まれるダム湖の出現が増加しており、決壊により周辺地域に洪水を起こす危険性も警告している。
中央アジア応用科学研究所の予測では、現在の気候変動がこのペースで持続すると、キルギスの50から70%の氷河が消失すると見ており、河川の水位低下から水供給不足に陥るとしている。
またビシュケクの国立科学アカデミーのクズミチョノクは、今後20年から30年で氷河消失は重大な局面を迎え、今世紀末には10%程の氷河しか残らない可能性もあるとしている。

国際政治問題への発展〜水資源問題

中央アジアの水資源は、その80%をキルギスとタジキスタンに依存していると見られている。キルギスよりも山岳地帯が多くを占めており、キルギス同様水資源に電力事業を依存するタジキスタンや、氷河を源流とするキルギスの河川の下流に位置するカザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンも農地灌漑用水を河川に依存しているため、氷河後退が直接的な影響を及ぼし始めている。

こうした水資源をめぐる摩擦が、より大きな国際問題に発展しつつある点は、近い将来水資源をめぐる摩擦が世界中で起こっていく事を予感させる。お伝えしたキルギスの水力発電所建設を起因としたウズベキスタンとの摩擦と同様の問題が、タジキスタンのダム建設計画を発端にウズベキスタンと間でも起こっており、タジキスタンによるログン大規模水力発電所建設再開ーーキルギス同様資金不足による建設停止が再開されるーーにおけるダム設置について、ウズベキスタン政府は非常に強い危機感を募らせている。ウズベキスタンのタシケントからタジキスタンへ通じる鉄道の貨物利用が事実上停止される事態となっている。既に2010年8月時点で既に7ヶ月目に入り、さらにタジキスタンからウズベキスタン国境を超えるトラックにも追加税が検討されているため、燃料や小麦の輸入も滞っており、燃料不足などからタジキスタンの(特に)農産業に大きな支障が出始めており、さらに穀物価格が15%近く高騰している。


タジキスタンの首都ドゥシャンベから車で1時間程のところにあるヌレーク貯水池の端部。山から流れこむ土砂が混じり、色が変わっているのがわかる。キルギスから流れるバクシュ河(キルギスではキジル・スー河と呼ばれ、いずれも「赤い河」を意味する)をせき止めており、5つのダムによるヌレーク水力発電系を形成している。なおヌレークダムはソビエト時代、1961年より20年近くかけて建設された高さ300メートルに及ぶ堤防高は世界一位である。なお上述のログン水力発電所用ダムは、これを上回る規模で計画されており、40億ドルもの建設費がかかるとされる。

この状況により、北部供給ネットワーク(Northern Distribution Network: NDN) による物資輸送に頼るNATO軍のアフガニスタン作戦は、一部物資がウズベキスタンを通じてタジキスタンに送られ、さらにトラック輸送でアフガニスタンに供給されているのだが、この物資がウズベキスタンに滞っているために物資供給において支障が出る事態に発展している。
その他にもタジキスタンの他の小規模水力発電所に投資・建設参加しているイラン企業の物資輸送に関する不満を受けて、イラン政府もウズベキスタンへの苛立を強めている。

キルギスの今後の電力事業

ビシュケクの国立科学アカデミーのクズミチョノクは、水源の90%を氷河から得るキルギスが電力事業の90%を水力発電に依存しながら、さらに水力発電事業に投資しようとするソビエト時代の延長にある政府の考え方に、大きな問題があるとも述べている。30億ドルもの巨額投資を必要とする1,900MWtの発電能力を持つカンバル・アタ-1、360MWtのカンバル・アタ-2水力発電所はソビエト時代に計画され、1986年に建設が始まった計画であり、多くの専門家はこうした巨大水力発電事業では今後長期にわたって電力供給を安定させることは出来ないという意見で一致している。
アメリカ、ペンシルバニア州のバックネル大学で環境政治学と政策について教鞭をとるアマンダ・ウッデンは、バキエフ政権の下で不透明な資金繰りによって進められた大規模水力発電事業の事業運営の透明化を進めなければならないとした上で、さらに気候変動による水資源の減少や枯渇の問題を今後受け入れ、それに対処する計画を建てていかなければならないとする。他の方法による電力事業を計画し、水力発電に依存する現状を変えていく必要がある。例えばキルギス国立科学アカデミーの地震研究所所長のカナット・アブドラクマトフは、地熱エネルギーの豊富なキルギスにおける地熱発電についてその可能性を指摘し、地熱発電所はカンバル・アタ発電所の約半分の予算で建設可能であり、周辺諸国との摩擦も引き起こさないなど、環境や政治問題を踏まえてもより効果的であると述べている。
<アブドラクマトフは実現可能性として、ロシアは水力発電事業へ注力している点から興味を示さないだろうが、中国の興味を引くことが出来れば建設事業に引き入れられるだろうと述べている。ここで日本の名前が出ない点は、地熱エネルギー大国の日本としては口惜しいところだーー>


わずかな山からの水流の先には小さいながらもデルタが拡がり、より大きな川に流れ込んでいる。こうしたところにも人の営みが行われていることを忘れるべきではない

キルギスの電力事業計画には、近隣諸国への輸出売電が大きな柱となっている。現在は豊富に見える水資源を利用して発電し、その発電事業のために周辺諸国に水不足の可能性を生じさせる事態となれば、近隣諸国が輸出売電事業を受け入れるかどうかも定かではなくなる。さらに氷河の後退により水資源不足が加速し、水力発電事業そのものに大きな支障が出て来る恐れも高い。水力発電事業に完全依存する形での現在の電力事業は、こうした様々な理由から大きな危険性をはらむものと言えるのではないだろうか。

一方、国連のLIFEプログラムと小規模融資プログラムのキルギス内コーディネーターであるムラット・コショエフは、水資源の不足から今後想定される食料生産・供給不足の問題を真剣に検討する必要があるとしている。実際には、キルギスの食料生産の問題は旧式化した灌漑システムと水資源の非効率的な利用にあるとする。
「特に小麦の生産など大規模な灌漑を必要とする中で、より水資源を効率的に、また無駄を省いて水資源を節減する灌漑システムをできるだけ早く導入する必要がある。早ければ早いほど、食料生産の安定性を確保することができるようになるだろう」
こうした問題は、もはや一国で解決できる問題ではない。より具体的な方策を考える際に、日本の知識や経験、技術をもって参加していくことができれば、と願う。

参考:
IRIN humanitarian news and analysis
Asia Plus news
Eurasianet.org
国連環境プログラム/世界氷河観測事業

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