— Delirious New York Diary

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Tag "キルギス"

昨夜夜半、静寂の中でぼんやりと雪明りに明るい外を眺めてから眠りについた。

雪国に暮らした経験のない自分にとっては、雪は日常を非日常の世界に変える力を感じさせるものでまったく飽きることがない。雑然とした世界を白く一面に覆い、それとともに普段なら目にとめることのないものを浮かび上がらせてくれる。何気ない建物の手すり、屋根の軒先、道沿いの縁石、ペンキ塗りの鉄くずかごーーふわりと舞い落ちる雪を見ていると、空気や風の流れも見えてくる気がする。辺りの静けさと白い世界は、心を落ち着かせると同時に高揚させもする不思議な感覚を伴う。

Snow-trees1
普段はあまり美しいとはいえない木。雪化粧で生まれ変わる

冠雪の樹々2
ポプラの木は、枝の並びだけでなくその紡ぎだす姿全体が美しい

冠雪の樹々1
本当に色々な樹々があるものだ。全く違う成長の仕方と立ち姿。普段は気付かないものだが

雪を抱いた小枝1
木の枝構造は、限りなく学ぶものがある気がする自然の姿

雪を抱いた小枝2
網目のような小枝の並びが雪で浮かび上がった。その繊細な並びに驚く

雪を抱いた小枝3
木が生き物であることを思わずにはいられない景色

 

ここからは以前ここでも用いたニューヨーク時代の写真だが、対比として再掲載。

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昨日夜、仕事が夜中まで長引いていたが、ふと気付くといやに静かだった。
カーテンを開けて外を見ると、ふわっと明るい。昼の雨が雪に変わり、すでに降り積もっていた。

Morning after snow

今朝起きてみると雪は止んでいた。辺は白く変わり、葉を落としていた樹々の枝に雪が積もっていて美しい。よく見ると、一部の枝には一度溶けた雪が再び凍り付き、透明な樹氷に姿を変えている。黒い枝を透明な氷が包み、まるで何かの標本のように心を惹きつける。「ザルツブルグの小枝」のように緩やかに積み重なる結晶ではなく、一度溶けた雪が再び凍り付くという緩急と変容のプロセス。そしてまた、日が高くなればしだいに溶け、消えていく。
今は溶けた雪が滴り、屋根板に当たって雨垂れのような音を立てている。

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今日11月8日は、キルギスは”クルバン・ハイート”、いわゆる犠牲祭と呼ばれる日である。キルギスの祝日はイスラム教にまつわるものが多く、イスラム暦にちなみ、一般的なグレゴリオ暦では毎年その日付が異なる。このため毎年キルギス政府は祝日とする日を年頭に発表する。
Wikipedia曰く、この犠牲祭はイスラム系のもので、いろいろな呼び名があるということだが、通常は”イード・アル=アドハー” として知られ、”クルバン・ハイート” はペルシア語文化圏で使われる名だそうだ。

そんなビシュケクの特別の日。ほぼ一週間ぶりに雪が降った。最高気温1度、最低気温マイナス5度。東京では今やほとんど経験できない寒さだ。ムスリムの人達はモスクに集まり、この日を祝す。ラマダン明けと並んで、最も重要な祝日の一つだ。ただロシア系の住人には本来関係ないものなので、いつもどおり仕事をしている人もいるようだった。TVを見ると、コンサートなどいろいろな催しも行われているようだが、だいたいは家族で静かに過ごすことになる。こんな日には、それぞれの家庭で温かい手料理を家族で囲むのだろう。薄く雪化粧したビシュケク市街は車通りも少なく、とても静かだ。まだそれほど寒くはないが、中央アジアの冬は長く厳しい。そんな中団欒と共に囲む温かい食事は、よりありがたみを感じさせるご馳走となる。

ということで、先日予告したこちらの食事について、まずはこんな祝日や晴れの日に振舞われるごちそうを紹介してみよう。

友人の誕生日や結婚式など、何度か呼ばれる機会があった。さすがに晴れの日とあって、家族の思いのこもった食事や、伝統的なしきたりに則った特別なメニューが振る舞われる。
まずは薪をくべてサモワールにお湯を沸かす。ロシアもそうだが、人をもてなす際にはお茶が最も重要なきっかけの意味を持つ。中央アジアでは紅茶も緑茶も飲まれるが、その代わりコーヒーを飲む習慣がほとんどない。ビシュケクやカザフスタンのアルマティ、タジキスタンのドゥシャンベなどの大きな都市では数件のコーヒーを飲ませるカフェがあるが、外国人や高級志向の人向けに見える。それにしても、「サモワール」という響きにノスタルジーを感じるのは、ロシア文学に描かれるロシア人の「お茶の時間」への憧憬を思い出すからかもしれない。


こんな風に薪をくべてお湯をわかすのだとは知らなかった。薪をつめている穴には、細いパイプのような煙突を取り付けて燃えやすくする


お湯はカンカンに沸騰しておらず、まるで茶道のような扱い。また薪で沸かす湯は「やわらかい」のだという。よくよく考えてみると、ボコボコと水中の空気が沸き立つ沸かし方で茶葉を開かせるイギリス流とかなり違って、長時間お湯を温めておくという感覚なのがサモワール。茶道に近い。水にはほとんど酸素が残っておらず、ミネラル分を感じやすいのかも


非常に濃く入れたお茶に、サモワールで沸いた湯をさして、お茶をいただく。濃く入れてあるので渋みが強かったりするのだが、そこにはちみつやジャムを入れて飲むと、全く別物に変わるのだ。チャイもそうだが、お茶の楽しみ方も文化や地域によっていくらでもあって、どれが正しいなんてものはないようだ

テーブルに並べられたご馳走。ところ狭しと埋め尽くすのが流儀らしい。揚げパンを、机に文字通り「撒いて」ある。ただ、この状態はあくまで前菜、スープ、メインディッシュの肉料理、プロフ(ウズベクの炊き込みご飯)などが続く。でもそれらが出てくる頃にはすでにお腹いっぱい


秋の味覚が並ぶ。季節の果物、アンズやいちごのジャム、はちみつ、何種類ものサラダ、揚げパンや窯焼きの塩パン、ショルポやペリメニなどのスープ、メインの肉料理。実は色々な国の料理がいっしょになっている。それにしても”Feast” という言葉がふさわしい食卓


ロシア風のサラダ数種。ポテトやグリーンピース、人参などをマヨネーズで和えたもの、それに奥に見える鮮やかな紅いビーツとタラのサラダ


奥に見える丸いパンが中央アジアで広く見られるもの。石窯の内側に貼り付けて焼くタイプ。パリッとした皮ともちっとした中身のパンで、塩味が絶妙で焼きたては本当においしい。しっかりした生地をしっかり焼いてあるので、長持ちするし冷めてもそのまま食べられる


はちみつとジャム。どちらも長い伝統を持つ食べ物だが、中央アジアでもお茶の華として重要なもの。こちらでははちみつはだいたい結晶させておくみたい。それにしても、この写真のジャムのように、普通に熟してとれた果物を普通に砂糖を加えて煮込むだけのジャムが、なぜ普通じゃなくなったんだろう?普通に作らないから、何かを入れないとジャムみたいにならないのだ


キルギス美女と同じぐらい魅力的なフルーツ(笑)

キルギス人の結婚式の宴などでは、式の途中か最後に羊、牛、鶏肉などを塩茹でしたものが振舞われる。晴れの祝の日に、客人をもてなすために自らが飼う家畜をつぶして振る舞う伝統的な習わしから来ている。
一度、もてなしの宴席で「馬肉料理」一式を饗されたことがある。自ら飼う羊をつぶして饗する以上に、馬を振る舞うことは最高の贅沢を示すものと想像できる。贅沢とはいえ、馬肉に限らず、塩茹でしただけの臭みの残る肉はさすがに現代日本人にはキツい。それを、さらにキツいウォッカで流しこむ。ウォッカを飲まないと、脂で胸やけして本当に気持ち悪くなってしまうから仕方がない。

ただあまりにもドヤ顔をされたので、「日本人も馬肉は食べるし、生で食べることが多い」と言ったら、相手はさすがにびっくりしていた。

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今日、キルギスは重要な日を迎えている。大統領選挙投票日である。

こちらの内容については“Kyrgyzstan Today”の方を参照頂くとして、今日は写真を何枚か。

ほんの10日ほど前、木々の色がなんて鮮やかなんだろう、と散歩中に感じたと思ったら、数日前から東京で言えば「今年一番の冷え込み」というくらいの寒さにまで気温が下がり、そして雪が降り始めた。
先日の夜まで降り続いて、一面うっすらと雪化粧した。しかし選挙本番当日、やはりあっぱれというほどの「快晴」である。キルギスは本当に「晴れ男女」の国、国旗にもあるとおり太陽の国だ。

首都ビシュケクには火力発電所があり、通常アパートであれば冬季には暖房用の温水が配給される。よほど大きなアパートか一軒家でなければこちらでは暖房器具をあまり見かけない。そして一旦供給が始まれば、だいたい全部屋にラジエーターがあるのでアパートの中では薄着でいられるくらいに暖かくなるのだが、今年は雪が降るまで配給がなくて、とにかく朝晩寒かった。(なお、ビシュケクは寒い年には-20度位まで冷え込むが、例年気温は東京より多少低いぐらいだ。それなのにこの設備はーーちょっとうらやましい)


こちらのアパートはソビエト時代の古いものがほとんど。ただアイビーが絡んだり街路樹が多くてうまく彩られている


一番多いポプラの木は、黄色だったりオレンジだったり紅葉の色が場所によって違う


”壮絶”といえるほどに真紅の木に囲まれた建物が近くにある。その鮮やかさにiPhoneでは色がコケた


そして、雪。初雪なのにサラサラの粉雪で、うっすらと粉砂糖のように全てを覆い始めた


今朝。先日より雪が積もり、地面も土の部分は白くなっている


小さなリンゴ。紅い

今朝、もらってきたリンゴがこれもまた鮮やかだったので、写真に撮ってみた。中央アジアではリンゴが一年を通じて採れるが、この時期のリンゴが一番美味しいという。とても小ぶりで、子供の握りこぶし程しかないが色は真紅と言っていいほど濃く、味も強い。酸味が強いので、火を入れると甘みが増す。

次回はちょっとこちらの冬の食事など、ご紹介しましょう。

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久しぶりにキルギスの記事になる。現在こちらでは10月30日に行われる予定の大統領選挙が次第に話題の中心となってきているが、こちらは姉妹ページKyrgyzstan Todayで詳しく紹介しているのでそちらをどうぞ。また、今回の写真は以前まとめたものを再編集したものでKei Satoh Photo Galleryにも下記写真を掲載している。

今回紹介するのは首都ビシュケクから車で約1時間ほど東に向かい、トクモクという大きな街を過ぎて程近い所にある「ブラナの塔」である。中央アジアは、西アジアと東アジア地域の中間に位置し、東西交易の中間点もあり、また東西勢力がその限られた肥沃な土地を求めて相争った地域でもあった。トクモクはキルギスの南部地域と同様に今日でも他民族が暮らす街だが、それはある意味この地の雄大な歴史を今も伝えるものでもある。

東西シルクロードの交易路は、天山北路と天山北路がこの地域を通っていたことが知られているが、その内天山南路は現在は新疆ウイグル自治区となったタクラマカン砂漠北縁を伝い、ウイグルの西端に位置するカシュガルを抜けて現在のキルギスに入るルートがあった。トルガルト峠を超えて川伝いにソン・コル湖へ出、さらに北を目指して西突厥などの王朝の首都であったシルクロードの都市スイアーブに辿り着く。そこからは西進してタシケント、サマルカンド、ブハラを目指していった。ビシュケクとトクモクのほぼ中間には、夏の間スイアーブにかわって首都となったといわれるナヴァカートという、シルクロードで最も大きいと言われた街もあったとされ、(現在はクラースナヤ・レーチカという村が遺跡跡にあるが、過去には日本の発掘調査隊が遺跡調査を行ったことがある)さらには現在ビシュケクのある位置にもテルサケントと呼ばれる街–ペルシャ語で”キリスト教徒の都市”–がかつて存在したと考えられている。

ブラナの塔は、10世紀半ばにこの地を中心に興った、カラハーン朝の中心都市であったバラサグンという都市の遺跡だと見られているが、あるいはこの地に東西に広く点在した城塞都市の一つであったのではと唱える人もおり、未だ定かではない。カラハーン朝はウイグル王朝などの勃興によりテュルク化しつつあったこの地で初めて仏教からイスラム教に改宗した王朝で、バラサグンの建物もその影響を受けたものとなっているのがこの塔の姿(ミナレット)からも窺い知れる。王朝華やかなりし頃にはブハラやサマルカンドに匹敵する都市が存在していたのかもしれない。モンゴル帝国の隆盛した13世紀以降はしだいに衰え、今はその一部が遺跡として残るのみとなっている。現存するミナレットは地震で一部崩壊し、王墓なども一部発掘されたみだが、復元図や想像図で往時の姿を蘇らせている。

スイアーブやナヴァカートには5-6世紀に西方からソグド商人が定住し始め、西突厥などの王朝の首都として、また唐王朝の重要拠点として栄えた。その後バラサグンにその勢いを奪われるまでこれらの都市は繁栄したが、異なる人種(インド・アーリア系や漢民族、ソグド系民族、テュルク系)とその言語、文化(マニ教、ゾロアスター教、キリスト教、仏教などの宗教や民族文化)技術(遊牧、農耕、その折衷など)が集まり、様々な民族や文化、社会形態が起こり、消えていった。時に大きく対立しながらも、太古より相対の認識と共存のバランスが日常の風景を作り出し、生活を支える意識であったことが窺い知れる。

定住の農耕民族と季節により移動する遊牧民族。そうした人の交わりや関わりの中から生まれ、消えていった都市の姿が偲ばれる。 開けた草原の中アラ・トーの山並みを背に立つ赤土の塔は、往時の姿をそのままに残すウズベキスタンの都市や、砂漠の砂に呑まれて朽ちた街とも多少違う歴史の流れを、この地に立つ者に感じさせる。 


陽が傾き、折からの雲がその弱い光をさらに遮り、赤い煉瓦の肌に影を落としていた

塔の入り口から中に入ると、頭頂部へと昇る階段がある 小さな銃眼のような開口部以外は完全な暗闇となり、非常に狭く、煉瓦のざらついた感触と土の匂い、そして日光に温められ熱を放つ乾いた空気の中を進む 

煉瓦は精緻に組み上げられて曲線を描き、次第に有機的なものに感じられてくる中をゆっくりと進むと、上から光が見えてくる

暗闇に慣れた目には眩しい光が小窓から射している 目を凝らしていると外の景色が光の中に浮かび上がってくるが、小さく縁どられたその風景は白昼夢のように遠く現実味を持たないかのようだった

やがて上からより強い光が差してくる

細かい煉瓦の積層が光を拡散し、柔らかく表面を浮かび上がらせている 煉瓦に音が吸い込まれ、同時に響いているかのように空気が張り詰めている 光が強くなるたびにその緊張が晴れていき、空間が広がっていく錯覚を受けた

何も無い開けた風景が広がった 自分の発する音しか聞こえない中から、風が過ぎていく音の中に取り残されたように立ち尽くす

塔を降り、草原の中を歩くと石像があちこちに点在している テュルク系民族が残したというバルバルと呼ばれる石像は、故人の墓を守る目的で置かれたという 故人が倒した敵を形取り、墓を守らせたという記録もある なだらかに草に覆われ盛土になっている所は故人の墓であろうか

塔の頂上で出会ったキルギス人の家族と、ちょうど同じ時に塔を訪れた結婚したばかりの夫婦 地元の人の間では結婚するとこの塔に二人で登る習慣があるという ドレスで登るには厳しい塔だが、頂上で誓いを立てると一生添い遂げられるという言い伝えがあるようだ 他にも何組かの新婚グループが訪れていた 都市は滅びるとも、人の営みは続いていく

厚い雲が垂れ込め、辺りが一気に夕闇に沈んだかと思ったとき、雲の切れ間から一瞬の陽が射して塔のシルエットを浮かび上がらせた

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この所カメラの話は書くのに「写真がないじゃない」というコメントをよくもらう。

実際、情報記録としての写真は撮るのだが、写真を撮ろうと街に出ることが少ない。良くないことだと思う。自分の周りを見回して、注意を向けようという気持ちが薄くなっている。身体的感覚はともかく、精神的感覚が鈍っている。

最近の写真で掲載するようなものがないので、以前撮った写真のなかから中央アジアの深まりゆく秋のものをいくつか紹介しよう。自戒の念も込めて。このため場合によっては以前掲載した写真が混じっているかもしれない。

(なおアップルのmobile meサービス終了アナウンスを受け、別のサービスに写真ギャラリーを移行中である)

Kei Satoh Photo Gallery


秋のキルギス・アラルチャ国立公園。東山魁夷の一幅の絵のようだ


樹木に一部覆われた山と、岩や氷河に覆われた山を背景に、一本の白樺の木がうっすらと紅葉し始めている


オアシスのようなナリンのポプラ林


白樺が色付き、地面も枯葉で黄色に染まっていく。カザフスタンは中央アジアで最北に位置し、寒さの訪れも早い


秋の平原を行く二人。夫婦だろうか。風の音以外に聞こえない中でゆったりと時が流れている


草を食む遊牧民の馬


金色の起伏する丘の間を細い小川が流れている。絵画のような光景


カザフスタンの冬は早い。特に高地では、10月半ばには雪が降ることも普通で、山は既に冠雪を抱いていた


凍れる冬の到来は近い

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キルギスの記事をまとめたウェブサイトを開設した。多少記事が整理されたが、更新性が良くないためブログと時間差ができる可能性がある点をあらかじめお伝えしておきます。
Kyrgyzstan TODAY

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尖閣諸島問題に端を発したレアアース問題が各国の様々な思惑のもとに加速している。
キルギスの天然資源について考察する予定であるが、最もタイムリーなレアアース資源から始めてみようと思う。

レアアースをめぐる関係諸国の最近の動き

尖閣諸島問題によって表面化したレアアース供給の政治問題化は予想以上の世界的拡がりとスピードを見せた。中国政府は日本に対するレアアース禁輸措置について否定しているにもかかわらず、10月19日付のニューヨーク・タイムズが伝えたように、輸出停止措置が欧米にも拡大される懸念がもたれている。
記事によれば、欧米諸国向けレアアース輸出についても既に通関が止められているとしている。欧米諸国は日本ほどレアアースの備蓄が無く、急速に供給問題が拡大する可能性があるとも述べている。アメリカ政府は中国によるレアアースの通商政策について、WTO(世界貿易機関)のルール違反の可能性について調査を開始すると表明し、緊張が高まる恐れがあるとする。
こうした中、中国は2011年のレアアース輸出割り当てを最大30%削減するとチャイナ・デイリーが伝えている。2010年の輸出割り当ても既に2009年の40%減となっており、今後さらに切り詰められていくことは間違いない。

日本のレアメタル・レアアース戦略

経済産業省は、レアアースを含む希少金属(レアメタル)の代替材料開発プロジェクトを推進してきた。また資源エネルギー庁もレアメタルのリサイクルについての検討を続けている。資料に示されているように、レアメタルやレアアースなどの資源供給の偏りが既に顕著であり、産業拡大により資源消費も急速に拡大している中国が供給を制限していくことが明らかであった。
資源供給国の偏り 2007年度 (クリックで拡大)

中国のレアメタル輸出制限

こうした状況を踏まえ、今後厳しさを増す状況に対応する体制を整備する目的として、日本政府はJOGMEC (石油天然ガス・金属鉱物資源機構)による探鉱事業推進・支援や、JBIC(国際協力銀行)NEXI(日本貿易保険)による企業活動支援、JICA(国際協力機構)による途上国における資源調査などを中心に、官民相互協力によるレアメタル・レアアース探鉱事業、代替材料・技術開発支援、資源リサイクル、主要7鉱種の60日備蓄保有を柱としてレアアース供給問題に対応していく体制<レアメタルフォーラムーー資源開発加速化のための官民一体の体制整備の枠組み>を整えていた。
こうした中、日本政府は10月8日、緊急経済対策として、レアアース確保のために1000億円の予算措置を盛り込んだと時事通信は伝えた。このうち460億円を中国以外での権益獲得、420億円をリサイクル拠点整備、120億円をレアアース代替技術開発支援に投入するとしている。これは、2009年度新規事業を含めて予算が組まれたレアメタルフォーラムと比較すると大幅な規模拡大となるが、レアアース供給問題の急速な進展に対応するために、国レベルで本格的に乗り出す動きと言える。

一方、10月13日付のロイター通信が、日本政府の豊富な外貨準備高を利用した政府系ファンドによる資源獲得競争が高まりつつある、という記事を伝えている。世界各国の政府系ファンドの規模は、世界の株式市場時価総額の10分の1にも相当する3兆ドルに達しており、こうした豊富な政府資金によって発展途上国の資源や資産が搾取される構図が広がりつつあるとする。日本が政府系ファンドを設立し、多額の外貨準備を中国やカタールのように戦略投資に投じることになれば、先進国としては初めてとなると牽制した。
しかし、資源メジャーや急速なグローバル化により巨大化しつつある多国籍企業体はもともと国家戦略の延長にあるものである。上述のように欧米へのレアアース輸出制限も現実となりつつある中、こうした動きは日本のみに留まるものとは考えにくい。表面的な装いは異なるとしても、既に国家戦略として世界中で行われているものである。

キルギスの資源事業

今までの資料を見ると、キルギスタンは天然資源に乏しいという記述が多く見られるが、専門家による調査で開発が行われていない鉱脈などが依然多数存在していると見られ、資源埋蔵量は豊富であると現在は考えられている。現在は既に発見された資源採掘を中心に、資源探鉱も活発に行われつつある。特に金採掘事業はキルギスのGDPの10%、輸出の20%を占めるに至っている。キルギスのKumtor鉱山は世界でも最大規模の金鉱脈を持つと言われており、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタンにまたがるフェルガナ盆地から1500kmにも渡る鉱脈が存在するとされ、既にMuruntau, Zarmitan, Jilauといった鉱脈が発見されている。
この金鉱山を100%保有しているのがカナダのCentrra Gold社である。この会社はカナダの資源メジャーCameco社がキルギス、モンゴル及びアメリカ合衆国で金鉱山開発を行うために2004年に独立部門を設立したものであり、Camecoから数えると1997年からキルギスで金採掘を行っている。(Cameco社は世界のウラニウム供給の20%を握る資源メジャーである)2009年までに270万オンスに及ぶ金を採掘してきた。2009年の金採掘量は525,000オンスである。Centrra GoldはKumtor鉱脈に次ぐ規模を持つと見られるDjeruj(ジュルイ)金鉱脈の採掘権の取得も目指している。
*なお、キルギスの最大輸出取引国であるスイスは、金を購入していることがわかった。
(なおこうした大規模事業はバキエフ政権下では大きな圧力を受け、40%株式のキルギス政府保有、当初10%であった採掘税の18%への引き上げ、キルギス国有企業Kyrgyz Altynによる採掘された金の全買取などの条件が付加されている)
その他ウランなども採掘・資源探鉱が活発であるが、これは別の機会に回し、今回のテーマであるレアアース事業について多少触れてみる。なお事業内容については次回詳しく触れる事とする。

Kutassay II レアアース採掘鉱山

キルギス北部、ビシュケクより140kmの近郊ケミンに、ソビエト時代にその80%ものレアアース需要を満たしていたレアアース鉱山、Kutassay IIがある。1960年代より採掘が始まり、1991年のソビエト崩壊まで創業を続けていた。
この鉱山にはレアアースの抽出プロセス工場が付随しており、現時点でこうした施設を持つレアアース鉱山としては唯一、中国以外に現存する鉱山である。現在鉱山の全体像の把握や工場の利用可能性等についての調査が鉱山を保有するカナダのStans Energy社と、ロシアの鉱山開発企業、及びキルギスのロシア・スラブ大学の共同調査として行われており、早ければ年内に評価調査を終了し、鉱山の再稼働について来年にも検討に入ることになっている。Kuttassay IIプロジェクトへの投資がこの所増えているが、10月15日にはAustralian Rare Earth Fundからの投資について契約締結したと発表している。
1994年、キルギスの独立後3年の時点でこの鉱山の採掘権はカナダのStans Energy Corporationに競売により渡っている。しかし、Stans Energy社を率いる取締役会長であるRodney Irwinの経歴を見ると、カナダの外務省関係者であり、旧ユーゴスラビア諸国、東欧、ロシア、アルメニア、ウズベキスタンなどの大使を歴任しており、キルギスの名誉領事にも名を連ねている人物である。
先月ブラジルのキルギス名誉領事がビシュケクに再度オフィスを開く件が大きなニュースとなったのだが、大規模事業参入に際し、政府人脈を通じたロビー活動などによりキルギスの重要事業が割り当てられ、投資対象となっていることが浮かび上がってくる。カナダは自国のみならず、世界中の開発途上国において資源探鉱・採掘事業を進めているが、こうした経緯を見てみると、それが国家戦略として行われていることが垣間見える。
Stans Energy社はロシアの国営企業Russian Leading Research Institute of Chemical Technology(VNIHT)と9月13日、ロシアにおける探鉱・採掘事業についてのメモランダムを締結しており、キルギスにおけるレアアース事業を踏み台にロシアとの関係がさらに強化されている。キルギスの大規模事業に大きな興味を持つロシアの思惑と、そうした政治的影響力を見越したカナダの企業の利害が一致したと見ることができるだろう。この構図にキルギスがどこまで含まれているかを考えると、この国の今後の舵取りの難しさが見えてくるように思われる。

カナダとキルギスの関係

キルギスの主要事業の一つである金採掘事業と、現在急速に注目の高まっているレアメタル・レアアース事業を握りつつあるカナダは、国家レベルでどれくらいの関係を築いているのだろうか?
現在までのところ、カナダ政府による開発援助を見ると、ほとんど目立った支援を行ってきていない。ODAは日本と比べても20分の1程度であり、国家レベルの支援を行っていると言えるレベルではない。

しかし、上述の民間投資においては $850 millionの規模に達しており、世界最大の投資国となっている。Kumtor鉱山だけでもキルギスのGDPの35%規模の経済活動を行っており、また2008年にはバイオセキュリティ、バイオコンタミナントといった先端分野の施設建設やアップグレードなどに関して最大$40 millionに及ぶ援助を行う協定に調印している。こうした企業活動を中心に、職業トレーニングや技術移転活動でも最大規模であるとしている。
この構図は、日本とキルギスの関係の対局にあるアプローチである。日本はソビエトから独立後間もない時期から中央アジア諸国に対し継続して開発援助を行って来ており、常に支援の額や内容においてトップレベルにある。<下記:外務省統計>

日本の援助実績

(1)有償資金協力 256.65億円(2008年度までの累計)
(2)無償資金協力 121.29億円(2008年度までの累計)
(3)技術協力 93.35億円(2008年度までの累計)
DAC諸国のODA実績(過去5年)(支出純額、単位:百万ドル)
暦年 1位 2位 3位 4位 5位 合計
2004年 米 39.9 日本 26.7   独  13.7 スイス 10.4 英  6.3 108.8
2005年 米 40.8 独  27.6 日本 21.0 英  9.4 スイス 9.3 125.8
2006年 米 50.3 独  17.9  日本 17.2 スイス 16.5 英  11.2 123.6
2007年 米 39.8 独  25.0  日本 15.7 英  13.0 スイス 10.6 118.7
2008年 米 63.6 独  21.3  英  13.7 日本  12.3 スイス 10.8 121.7
(出典:DAC/International Development Statistics)

しかし、貿易関係に視点を移すとキルギスにおける経済活動は低いものにとどまっている。2009年度の日本の対キルギス貿易は、外務省統計によれば;

日本の対キルギス貿易(2009年:財務省貿易統計)
輸出 23.6億円(機械類及び輸送用機器、自動車、建設用・鉱山用機械)
輸入 0.2億円(アルミニウム及び、同合金)

にとどまっている。どちらが優れたモデルであるか、という議論では無い。キルギスの産業構造は非常に不透明であり、またどす黒いものも渦巻いている。ODAの持つ高い志やクリーンなイメージは確かに中央アジア諸国の間で日本のイメージを高めてきたが、今後中央アジアは産業育成のための投資やより実践的な技術移転を求めてくるだろう。国として独立していくために、自らの持つ資源を基幹産業に育て、その周辺事業を展開したいと考えている。

そして、成長著しいカザフスタンやウズベキスタンのみならず、キルギスにも日本が必要とする「資源」が現実として存在する。産業発展に際してはキルギスも日本の高い「技術」と「製品」を求めてくるだろう。ODAによる地方のインフラ整備や教育を継続しつつ、今後はより現実的な「貿易関係」を築いていくフェーズに入ったとみるべきだろう。議会民主制政治がキルギスに根づいていくかどうかに関してはまだ不透明であるが、政情や国家基盤が安定してから本格的に乗り出す今までの日本モデルは、中央アジアやモンゴル、アフリカといった国々に当てはめていくことができるか難しいものでもある。現実に、中国やロシアはそういった潔癖な態度を超越したところで活動している。そうした勢力に対して、日本は第三の勢力として今後世界で影響力を強めていく基礎を、今まで築いてきたとも言える。それをいかに活用していくか、今この瞬間に問われていると思われる。

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井上靖や司馬遼太郎が描いたシルクロードを辿る西域の物語は、遠い時間の中に興っては消えていった国々と、そうした国を繋ぎ、旅をした人々への遠い憧憬をかきたてる。


イシククル湖は西を除く三方を山脈に囲まれている。これは北側に位置するテルスケイ・アラトーの4000m級の山脈の端部

司馬遼太郎は烏孫という王国の響きに惹かれ、その末裔と言われる人たちの面影を求めて中国西域からさらに足を伸ばし、この地を訪れ、その時の様子を描いている。

雲にまぎれて見える冠雪の山並みはイシククル湖南部の天山山脈だろうか。湖に入ると、澄み切って透明な水平線の上に、雲が湧くかのように山波が浮かんでいる。イシククル湖は1600メートルの海抜にあり、チチカカ湖に次ぐ高度にある。まさに天空の湖だ

ただ井上靖も司馬遼太郎も、キルギスのイシククル湖には憧れを抱きながらも訪れることはかなわなかった。ソビエト時代、この地に外国人が立ち入ることが禁止されていたのである。(化学兵器の研究施設があったためとされる)
その井上が玄奘三蔵による西域の旅の記録をもとに描いたのが、「西域物語」であり、この中で玄奘三蔵がイシククル湖に至った時の様子が記されている。


イシククル湖の透明度は、バイカル湖に次ぐという。水深も深く、「熱い」湖(中国語では「熱海」)と言われる不凍湖はどこまでも澄んで青い

井上靖 「西域物語」

「『大唐西域記』によると、玄奨の西遊は恐ろしく苦難に満ちた旅であった。しかし、この国外脱出者の高僧としての噂はすでに西域の異民族の間にも伝わっていたらしく、玄奘は方々で歓迎されたり、援助の手を差しのべられたりしている。とは言え、言葉も判らず、人情も風俗も判らぬ国々を次々に経廻って行くのであるから、その労苦のなみ大抵でないことは当然である。玄奘は高昌国、阿耆尼(あきに)国、屈支(くっし)国、跋禄迦(ばるか)国といった西域北道に沿った小国を通過し、天山へはいって行く。天山の一支脈である凌山を通過する時はたいへんであった」


イシククル湖には古代都市が沈んでいる。これも消えていった王国やオアシスの一つだろうか

《国の西北より行くこと三百余里にして石磧を渡って凌山に至る。これ則ち葱嶺(パミール高原)の北原、水多く東流す。山谷の積雪は春夏も合凍す。時に消泮(しょうはん)することありと雖(いえど)もついでまた結氷す。経途は険阻にして寒風は惨列なり。暴竜の難多くして行人を陵犯す。この途による者は衣を赭(あか)くし、ひさごを持ち、大声に叫ぶことを得ず。微かに違犯するあれば、災禍目のあたりに見る。》
「こういった高い調子の旅行記である。暴竜の難が多いというその暴竜とは何のことであろうか。竜巻のことであろうか。しかし、風のことは風のことで別に書いている。
《暴風奮発、沙を飛ばし、石の雨をふらし、遇う者は喪没し、生を全うすること難し。》」


山脈から吹き降ろすのか、湖の湿気を含んだ空気が山波に遮られるのか、イシククルの天気は変わりやすい。午後にはスコールが降ることも多く、時に凄まじい風と雨に見舞われた

「この凌山越えで、実際に玄奘は同行した従者や牛馬の多くを失っているので、必ずしも表現がオーバーであるとは言えないようである。惨憺たる苦難の泊りを幾つか重ねて、やっと凌山を越えると、玄奘はそこにイシククル湖の美しい湖面を見た。湖面が美しいのは一瞬のことで、どうしてひとすじ縄で行く相手ではなかった。勿論玄奘の頃はイシククルとは呼ばれていなかった。玄奘は大清池と呼んでいる」

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《山行四百余里、大清池に至る。あるいは熱海と名付け、また鹹海(かんかい)と謂(い)う。周千余里、東西長く、南北狭し。四面山を負い、衆流は交湊(こうそう)す。色は青黒を帯び、味は鹹苦を兼ねたり。……:竜魚難処霊怪はしばしば起る。ゆえに往来する行旅は祷って以って福を祈る。水族は多しと難も敢て漁捕する者なし。》
「ここにはしばしば霊怪が起ると記してあるが、この霊怪なるものの正体もまた判らない。しかし、これを玄奘がいい加減なことを書いたとするわけにはいかない。他の記述は恐ろしいほど正確であるからである。イシククル湖が熱海と呼ばれているのは不凍湖であるためであり、鹹海と謂われていたのは水が塩分を含んでいるからである」

この後も玄奘は旅を続け、突厥の都に至る。
「玄奘はイシククル湖畔を過ぎ、なおアラトウ山脈を越えたり、チュー川に沿ったりして、チュー盆地へ降りる。するとそこに突厥の都邑である素葉城[(スイアーブ)]があった。「清池西北行五百余里素葉水城に至る」。玄奘は簡単に記している。
素葉城の地は、現在のトクマク付近とされている。湖畔からトクマクまで都邑はなかったのである。烏孫の時代にあったその王都赤谷城のことはどこにも記されていない。漢の公主が王の妃として、更にまたその王の孫の妃として何年かを過した赤谷城は、玄奘の頃は影も形もなくなっていたのである。凌山の暴竜の為せる業か、あるいは大清池の霊怪の為せる業なのであろう。…」


イシククルに帳が下りる。湖畔の水音は穏やかで、静かな夕景が過去への憧憬をかきたてる

凪の湖面には月の光が落ちていた。その下に船が音もなく浮かぶ

<参照:「テュルク&モンゴル」http://ethnos.exblog.jp/5503548>

 

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前回の続きは”工場”そのもののかもす手の記憶について。

古い工場に刻まれた傷、効率ではない視点で組み上げられてきた機械と人の作業の関係がそのまま形として残っている。


工場の排気管が生き物のように突き出している。空気の流れが有機的であることが形になる


以前の工場は生き物そのものであり、人の作業と一体となっていたのかもしれない

工場内にも張り巡らされたこれら排気管が、体内の血管のように各部門をつなぎ作動する

木材の乾燥庫には積み重なった煤と油がこびりついて、匂いさえ幾重もの時間の流れを感じさせる

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