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Steve Jobs スティーブ・ジョブス逝く

スティーブ・ジョブスが亡くなった。

その訃報に触れ、想像していた以上に衝撃を受け、動揺している。これほど動揺するとは思っていなかった。
多くの人が自分の姿を重ね得るエバンジェリスト。遠くて近い存在。

iPhone 4Sをアップルが新体制で発表した直後だった。
ふと、ハレー彗星が回帰した年に生まれ、「自分はハレー彗星と共に地球にやって来た」と生前語り、「ハレー彗星と共に去っていくだろう」と言っていた通り次回ハレー彗星回帰の年に亡くなった、マーク・トウェインを思い出した。

自らが長年の夢として生み出したiPhoneが無事世に送り出されたのを知り、安らかに眠りについたのだと思いたい。それこそ我々が描くスティーブ・ジョブスというカリスマの姿と言えるではないか。

一つの時代が終わったことは間違いない。

 

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先週、Apple CEOのスティーブ・ジョブスはCEOを退き、今後は会長としてできる限り会社運営に関わっていくと発表した。後任にはジョブスの推薦を受けて、COOのティム・クックがあたることになる。健康上の理由であると思われている。

以前、一度ジョブスのスタンフォード大学での卒業スピーチについて触れたことがある。病気により一時は余命数ヶ月と言われた彼が、死を覚悟することで逆に強い信念に揺るぎのないものが加わったと語ったのを印象深く覚えている。卒業式のスピーチに、死について語る。それも、「命短し恋せよ乙女」的な人生謳歌の勧めを語るのではなく、死そのものについて考える機会と、それがもたらすであろう生き方や考え方の変化について語っているのである。

”death was a useful but purely intellectual concept…death is very likely the single best invention of life.”

こうした態度が、ジョブスが他の形式的なリーダーと異なる活躍をする所以だろう。

 


 

彼は最近、その痩せ方から健康上大きな問題があると言われている。退任報告が発表された後にネットで伝えられたジョブスの写真は、確かに健康状態が思わしくないことを伝えるものであったし、ジョブスの実父(ジョブスは生まれてすぐ養子に出されている)が最近ジョブスが実子であることを知り、会えなくなる前に会うことが出来ればと語った記事まで流れた。

CEOを退く前も、病気療養で実際の会社運営は首脳陣によって行われていたであろうし、ここ最近の大きなプレゼンも副社長のフィル・シラーが行なったり、ジョブスがホストを務めても各プレゼン要素を個別担当者が説明するスタイルに変わりつつあった。それでいて、プレゼンの質が落ちたようには感じられない。各担当も非常にうまく、また各担当個人個人の個性や魅力を感じさせるプレゼンを行っている。それだけAppleには魅力的な人物が多いということだろうし、ある意味ジョブスというカリスマのみで存在する企業というイメージを払拭し得るものとなっている。今後は、ジョブスなきプレゼンが普通になっていくのだろう。その引継ぎそのものは完了しているように思う。

Tim Cook Steve Jobs Apple スティーブ・ジョブスのCEO退任と、世界戦略の難しさ

ティム・クックとスティーブ・ジョブス。Photo: WIRED Magazine

強い判断能力を持つジョブスと、そのコンセプトを具現化する能力を持ったチームメンバー達が、Appleを倒産寸前の状態から時価総額世界一の企業へと変貌させてきたことは語るべくもない。ただ個人的にはジョブスのカリスマ性がAppleの現在の成功をもたらした理由と考える必要性をあまり感じないのだ。初代iMacを手始めに、Microsoftからの融資を引き出したところまでは彼の成せる技だとして、iPodやiTunes Store、OS X、iPhoneやiPad、Intel Mac、アップルストアといった一連の事業を発案・展開し、Appleブランドの基に大きなフレームワークとして「15年以上かけて」完成統合してきた背景には、ジョブスのみならず、多くの才能ある人物が関わっていることは間違いないし、この点のほうがより重要だと思う。もちろん多くの岐路を判断し、様々な事業展開を統括し得たジョブスの能力が稀有のものであることは事実であろうが。いずれにせよ、ソフト分野、ハード分野、デザイン分野、メディア分野、マーケティング分野ーーーどのような批判や短所の追求があろうと、幾つかの製品やサービスで大きな失敗していようと、現時点でこれほど確固としたエコシステムと才能ある人脈を持つIT企業は少ないだろう。各分野にライバルはいるとしても。
デザインのジョナサン・アイブがハードでイメージを具現化し、社長に就任するティム・クックが製品生産をすべての点で最高度に高め、フィル・シラーがマーケティングを、ロン・ジョンソンがAppleストアで実現する。そうしたハードをそれに見合ったイメージを持つソフトがサポートし、バートランド・サーレイがOS Xを、(ロンと彼は最近Appleを去った)その下にぶら下がるiLifeやiWorksの各ソフト、その他プロフェッショナル向けソフトでも優れた担当リーダーが開発、製品展開している。もはや、Appleは「デザイナー向けのちょっと良いデザインのコンピューターを作る会社」というレッテルでは表現し得ない多様性を持つものとなった。

ただ企業には寿命があるとよく言われる。才能豊かな人物が率い、その人物の影響力が失われるまでが一つの賞味期限というわけだ。実際、現在のソニーなどを企業組織として見るとそれは言い得て妙、と言えなくもない。Appleが今後どのようになっていくのか、それは一時期飛ぶ鳥を落とす勢いだったマイクロソフトやDELLの現在を見れば想像がつくものではないが、現在までに創り上げたシステムがどのように働き、どのように変化していくかーーあるいは変化や変革をもたらすことができるか、にかかっている。


 

海外にいて、特に発展の途上にある小さな国にいて感じること。それは、日本の企業進出や製品展開にも言えることだが、ある意味でAppleのような企業の世界戦略の難しさを示唆するものでもある。ローカリゼーションと一言で言ってしまうと短絡的に捉えられがちになるが、経済的に発展した国や社会で完成され、強固なシステムであればあるほど、それを世界で同じように展開することは難しくなってくるように思われるのだ。

Appleは、ハードそのものの魅力に加え、ソフトやネットワークによるメディアとの連携を軸とするシステムを構築しつつある。どちらが欠けてもAppleというブランドは成立しない。現在もそのシステムは発展展開中であり、電子書籍や新聞・雑誌といった現時点で残された最後の砦ともいえる既存メディアの取り込みに注目が集まっている。そして、それをサポートするネットインフラやクラウド化なども先進国では実用レベルに達しつつあり、スマートフォンやタブレット端末によるさらなるハード・ネット利用形態の進化が見込まれている。

しかし、これは全ての分野がビジネスとして相互作用し共存、共栄できる背景を持つ先進国においての話だ。

発展中の国に来て感じるのは、中国やベトナム、インド、トルコなどが圧倒的物量で生産する「ハード」の点で言えば、もはや世界中である程度の品質を持ったハードを手に入れることはできるようになった、あるいは、先進国では型落ちとなったものの、当初は最先端・最高スペックであった製品が新品・中古の状態を問わず、発展途上国に凄まじい勢いで流入し、多くの人に利用・再利用されるようになった、という点だ。(これにより、多少型落ちでも先進国の住人より高級ハードを多くの人が利用しているというパラドックスも発生している)

そしてソフトとしてのメディア。自国で製作されるコンテンツはほとんどないものの、ハリウッドやヨーロッパで大規模に製作される音楽や映画は、ネット上に溢れている。以前はソフトといえばコンピューターのソフトが最も多くコピーされていたが、音楽を始め、映画などがデジタルデータとして扱われるようになった現在、発展途上国ではもはや手のうちようのないほどにコピーが当たり前になって巷にあふれている。インドや中国などを除き、あまりメディア産業の発展しない発展途上国では、アメリカやヨーロッパの映画、日本のアニメなどが今や当然のごとく知られ、視聴したいという需要を生む。映画館でも映画は上映されているが、チケット自体がネットやテレビとの競合から超低料金であるし、同じく格安のケーブルテレビが数カ月後には最新映画をTV放映する。(自分も、以前はあまり進んで見なかった新作映画など、テレビで見ることが多くなった。日本人などよりよっぽどこちらの人のが色々見ていますよ)ネット環境があるならば、それこそダウンロードし放題だ。ネット環境に慣れ始めた若者の間で、お金をかけてCDやDVD、ブルーレイを音楽や映画を見るために購入するといった発想は初めから存在しない。あったとしても、一枚に5-6本の映画が詰め合わせになった一枚100円程度のDVDや、数百曲がまとめられたMP3のCDなどを買うぐらいが関の山である。そして、インターネットとはそうした「サービス」であり、ネット料金を払えばメディアのダウンロードなどが自由にでき、それが世界中でも当然の状況なのだと思っているフシがある。誰も本来の姿を伝えるものがいないので、あたりまえだろう。(時には、アメリカの最新映画の「映画館撮影海賊版」までもがケーブルテレビで堂々と放映されており、苦笑するしかなかった。ケーブルテレビ局がコピーDVDを再生し、放映しているのだろう)ここまであからさまだと、それを個人レベルで諭すことは不可能であり、理解もされ得ない。先進国の住人がより高いお金を出して音楽や映画のCD/DVD/Blu-ray パッケージを購入し、映画チケットを買っていることは、ある意味でこれら発展途上国の住人の分も肩代わりしていることでもあるのだが。

そして、「音楽ってお金を払うものだろうか」などと無邪気に反論された日には、実際こちらがその意味を深く考えてしまうほどである。そして「現在のメディア産業は、それこそ戦後数十年ほどで音楽はお金を払ってパッケージを買うものと規定し、それを広めた。それを基本にした先進国発のエコシステムは、その根本において、実は危ういシステムなのではないか」という疑問が湧いてくるのだ。(ラジオやテレビでは録音したり録画しても無料なのに、なぜネットでは有料で購入するのか、という線引きは、非常に恣意的なものだ。音質や画質がその差を区別していたのだろうが、現在はその差は一般人にとってないに等しい)

今後、発展途上国が経済的に成長して人々が経済的に豊かになったとしても、その時になって「じゃあ、今後は分相応な金額を支払ってね?」と言ったところで受け入れられることはまずないだろう。ダウンロード販売?なんだそれは? こうした問題に強いとされるフリーミアムの考え方にしても、先進国においてさえ「課金」が始まれば利用者が圧倒的に減ることは統計的に裏付けられているわけで、後々お金を必要とするサービスであることを知った上でも利用するか、と聞かれれば「難しい」と思わざるをえない。

ハードが開いてしまった門戸を、どのようにして埋めていくかが鍵になる。その反応の一つがgoogleの求めるシステムとサービスであり、利用者レベルでメディアを生み出すソーシャルネットワークのサービスだろう。チャットや掲示板から始まり、自作動画共有のYou Tube、写真共有のFlikerやPicasa、ブログ、そしてTwitterやFacebookなど、今や人々は自分で発信するサービスを取り込み、多くの時間を費やすようになってきている。Facebook利用者が世界第2位だというインドネシア。ソーシャルネットワーク革命とまで言われたチュニジアやエジプトの政権交代。高速鉄道事故で中国共産党をも揺るがした中国版ツイッターやソーシャルネットワークサービス。もはや、音楽や映画さえそうした広い拡がりを持つネットワークサービスの話題提供の一メディアであると考えるならば、お金のある人がその分多く払うという富の平均化は肯定されるかもしれない。あるいはするしかない。

最近中国でAppleストアを模した店が数多く生まれ、いろいろな意味で注目されているが、先進国的目線を外して世界規模で見れば、iPhoneやiPadが世界中でここまで人気を博している以上ごくごく当然のように思う。先述したように、ハードは最も課金と収益が得やすいものである以上、今や国境を越え世界中に製品は流れている。それを売る店が、戦略上集客しやすい店のデザインやサービスを真似るのは当たり前とも言える。もちろん中国がパクリ大国の本領を発揮し、新幹線まで真似ようとして大きな傷を負ったことは、ソフトや経験値をも模倣するのは極めて難しいというこれまたはっきりとした事実を示しているわけだが。

いずれにせよ、iPhoneは家のWiFi環境以外では日本のような使い勝手を経験することはできない。そして、iPhoneも店で見かけるものの、Android製品が増え始めたのはやはりコンテンツの縛りを嫌気する人が多いためだろう。現実として、iTunesストアはキルギスでは提供されていないため、アカウントを作成できない以上フリーであってもアプリをダウンロードすることすらできない。強固なエコシステムは、それを利用できない人にとっては単に排他的な、宇宙人のようなものでしかない。その心理を突くのは、現状ではやはり課金のない、コピーが主流のシステムしかないのだろう。それは、ある意味でローカリゼーションを行う際の「キモ」であるのかもしれない。それを受け入れることができるのかーーー非常に難しい、新しいバランス取りのひつような問である。

 

追記:ヒトコト言うと、日本はこの点非常に、誠に弱いとしか言えない。新しい変革システムを生み出せないだけでなく、日本で成功したシステム=ガラパゴスにすがりついたまま海外に出ようとして、失敗している部分が大きい。海外に積極的に出よというのは何も海外に生産拠点を移せということではなく、海外の現状を知り、そこから自らの姿や立ち位置、現状への対応を考えるために海外の空気に出来るだけ触れ、水に慣れろということなのだ。それは、時々出張に出向く程度では成し得ず、やはり一定期間住んでみたり、その土地の人と個人レベルで知り合いになる必要がある。その点で言えば、日本はアメリカだけでなく、中国や韓国、トルコなどの足元にも及ばないのが現状だろう。

 

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この所キルギス関連の記事しか書いていなかったが、ラマダン入したキルギスは連休になっているため動きがない。
久しぶりにその他の記事を書いてみる。

先日からAppleは「Tomorrow is just another day. That you’ll never forget.」と、なにか新しい発表があることをアナウンスしていた。通常新製品やサービスの発表にはプレスコンファレンスを行うAppleが、今回はティーザーのような直前のアナウンスで皆を煙にまいた。

apple itunes teaser Appleらしさ

Appleのスティーブ・ジョブスは今年中にまだ重要な発表があると公表していた。iTunesのクラウドサービスなどが囁かれた中、このアナウンスのメッセージを謎かけに取った人が「Beatles」の楽曲追加と断言し始めた。Wall Street Journalもそのひとつで、その後は発表前からCNNやBBCなど一日中同じ憶測を報道し続けていた。
アナウンスのメッセージはPaul McCartneyのソロ曲のタイトルだとか、時計の並んだメッセージ画面が「HELP!」のジャケットに似ているだとか、一気に「Beatles」説が盛り上がった

結局、iTunesで予告よりも早い時間に配信が始まった。Beatlesのappleレーベルと商標を巡り長年裁判を繰り返してきたAppleだが、とうとう和解し音楽配信サービスに参加したことになる。

Beatles Appleらしさ

そういったことはさておき、今回のやり方は「Apple」らしさに満ちていて素敵だと感じた。「(そんなことだったかと)驚いた」「がっかりした」という意見が特に日本では多いようだが、今回の発表とそのやり方はAppleがただ単にコンピューターやソフト、そしてiPodやiPhoneを売るだけの企業ではないことを強く印象づけるものだった。
以前、Appleは「Think different.」というキャンペーンを行い、著名な人物の写真と合わせ、「想像力」をもとにした「創造力」を生み出すツールとしてのApple製品プロモーションを行った。その時のやり方に似ていなくもない。

82a1d8c9 Appleらしさ

「狂った人たちへ。はみ出し者。反抗者。問題児。四角い穴の丸い杭。物事を別の形で見るひとたちへ。彼らはルールを好まず、現状になどかまってない。
彼らを引用してもいい、彼らに反論しても、崇めても、けなしてもいい。でもあなたに出来ないことーーそれは彼らを無視すること。
なぜなら彼らは物事を変える。人類を前進させる。彼らを狂っていると見る人がいる中で、我々は彼らに叡智を見る。
世界を変えることが出来ると考えるほど狂った人こそが、世界を変えていく人だから」

言ってみれば、Appleという会社はBeatlesの曲を聴くためだけにでもiPodを作り出そうとする人たちの集まりだという事かもしれない。それ程、Beatlesを自らのサービスに加えることで世界中の人々がこの音楽を聞くことが大きな意味を持つことなのだよ、というメッセージをジョブスは伝えたかったのだろう。
自己満足との声も聞かれるだろうが、ジョブスはその「自己満足」を、多くの人々もまた、同じように求めているものだと確信している。自分で完結する満足ではなく、世界と繋がっていることから得られる満足を彼は目指しているように思う。Pingサービスを加え、単に音楽を買うだけでなくソーシャルメディアとして他のファンと繋がるツールも加わった。自ら作ったソフトウェアを世界に発信するステージにもなっている。iTunesは巨大な活きたコミュニティーとしての存在を強めつつある。

Think Different Appleらしさ

Apple Computer Inc.を立ち上げ、Macintoshを発売してから36年、彼の意識はほとんど変わっていないように見える。世界に散らばる魅力的なものをコンピューターを通して集めたり、自ら創りだして発信したりするための、それ自体もまた魅力的なツール。そこに集められる世界の魅力的な断片の一つとして、Beatlesは自分のコレクションのみならず、世界の人々の間でシェアされ続けるものだと語りかけているようだ。
仏作って魂入れず。物作りに際して最も大切で、難しいもの。その意味をよく考えるべきなのは誰だろう。

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grad jobswalks アップルとスティーブ・ジョブス

マッキントッシュで知られるアップル社の創始者であり現社長のスティーブ・ジョブスが、スタンフォード大学の卒業式でスピーチを行った。その全文を読むことができたのだが、いろいろと思い出すこと、考えることがあったので、少しパーソナルな内容に触れつつ自分のMacintoshとの関わりなど書いてみようと思う。

原文のリンク
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505

さらにビデオで彼のスピーチを聞くこともできる。

さて。
父親が海外勤務になり、ワシントンDC近郊バージニア州に家族で移った。英語学校に通った後、ある州立大学に入って一般教養のクラスをとり始めたのが1993年頃のことだ。
大学のコンピューターラボはほとんどMacで、それでペーパー等を書いたし、当時広まり始めていたインターネットでメールを書いたりネットめぐりなどを始めた。ネット利用を、ネットサーフィン(死語…)などと呼んでいたのもこの頃だ。

その頃家でも家族共用にコンピューターを買おうということになり、ならば学校でもよく使われているMacがいいと親に話したところそのまま決定した。東京にある父の勤める本社ビルの一階には以前NECとキャノンのショールームがあって、子供の頃会社を訪ねたときにいろいろなパソコンに触れる機会があったのを覚えている。当時Macはキャノンが代理店となって日本に入ってきていた。国産のNECのものでも子供のおもちゃには高すぎるものだったし、まして輸入品であるMacは車一台買えるほどの値段だった。Macintosh Classicなど、Macは当時知った他のどのパソコンとも異なった特別な雰囲気を持っていたのと、それらマシンの別次元の価格とで記憶のどこかに残ったのだろう。

そんなわけで、うちに来た初めてのパソコンはMacだった。Centris 650というマシンで、メモリーは8MB, ハードディスクは80MB (!) という今では信じられない内容だったけれど、当時それでもいろいろなことができたし、Macは自分にとって”魔法の箱”になった。
以来、パソコンはMac、ということになった。学校で時々使わざるを得なかったWindows3.1はどうしてもなじめない。(あの時のことがトラウマとなってウィンドウズにはどうしてもなびけない。(笑) ) その後寮に入ったとき学校のアップルストアでQuadra 610を学割で安く買っのだが、そのとき実際には一世代前のCentris 610をオーダーしたのに、新しいモデルが出たからか性能も上がっているはずのQuadra 610を差額請求もなく送ってくれた。アップルという会社に思い入れが出来たのはその頃ではないだろうか…

その後ニューヨークの美術/デザイン系大学であるParsons School of Designに入学したが、やはりデザイン系のためほとんどのコンピューターがMacだった。当時値段と性能の面で勝っていたMacのクローンに浮気したりはしたけれど、MacOSからは離れなかった。
そして大学にいる間に、あの歴史的な初代iMacが登場した。アップルをクビになった創始者のスティーブ・ジョブスが、新しい風とともにアップルに復帰したのだ。マシンとしては少し馬力が足りなかったのだが、大学にもサブマシンとして一気に増えていった。特に色違いのiMacが出てからは。それからだ、停滞していたアップルが変わり始めたのは。

その頃、アップルはかなり行き詰まっていた。シェアは落ち、株価もどんどん下がる。どの会社がアップルを買収するか、そんな噂がよくささやかれた。OSの開発も遅れ、Windows95には追いつかれた。それを、アップルを作ったジョブスはどんな思いで見ていただろう。iMacの爆発的な人気にもかかわらず、アップルに対する周囲の態度は冷ややかだった。あからさまなバッシングもよく耳にしたし、メディアもそういう態度が一般的だった。それはiPodが出て、再び爆発的なヒットとなるまで続いたが、iPodとiTunes Music Storeの成功はとうとうそんなネガティブな評価を打ち砕いて、好調な、成功したアップルのイメージを再び社会に定着させた。

彼のスピーチによれば、自ら作ったアップルを首になったおかげで、打ちのめされながらもまたゼロからスタートする機会を得たと言っている。その悔しさをバネに、彼はNeXTという別のコンピューター会社と、コンピューターアニメーションの制作プロダクションであるPixarを立ち上げた。彼はアップルへの復帰の条件に、NeXTのOSをMacに採用することを呑ませ, それは後に現在のOS Xになっていく。沈みつつあったアップルを、再び軌道に乗せるきっかけをiMacとOS Xによってもたらした。ジョブスの復帰はアップルの第二の出発となったのだ。ある意味、アップルはジョブスそのもの、ジョブスはアップルそのものなのかもしれない。

いくつかのエピソードをジョブスはスピーチで取り上げている。
アメリカの私立大学の学費は日本のものよりかなり高いのだが、その学費が両親の蓄えの大部分を持っていってしまうことにジョブスは心を痛めていた。(ジョブスは養子として生まれた時に引き取られたのだそうだ)それに見合うだけのものを、大学に見いだせなかったとも言っている。(卒業式だから、言ってもいいか…入学式には言えないでしょう (笑) )何をしたいかも定かではなく、そんな中興味のない授業に多額の学費を両親に払わせることに大きな矛盾を感じたという。

だから大きな不安は抱きつつも一大決心をして、大学を中退する。そしてお金をセーブするために、ジュースのビンをいつも返却して還ってくる5セントをためたり、週末には10キロ以上歩いてある寺院に出向き、週に唯一のまともな食事を食べさせてもらったりした、と話す。それはつらいことではなく、すばらしいことだったとジョブスは言う。そういった数々の経験が、後に大きな価値を持つようになったと。
大学をやめた後、最初に興味を持ったのがカリグラフィーだったそうだ。キャンパスに貼られたさまざまなポスターや掲示板が、きれいなカリグラフィーによって書かれていたのだそうで、それに惹かれたジョブスはカリグラフィーのクラスをとり、後にその経験がMacOSにいろいろなフォントを使えるようにしたり、バランスよく表示させるようにしたりすることにつながったと言う。このエピソードは、何かをする時に事務的にできればいい、というのではなく、いかにエレガントに、スマートに行えるかというアップルらしさの源がかいま見える気がする。
アップルを首になった時も、自分の求める物にたいする誠実さを失わなかったために再出発がはかれたという。本当に自分の求めるものでなければ、本当の喜びは得られない。見つからないならば、探し続けるべきで。妥協してしまうべきではない。それは彼がさまざまな壁にぶつかったことで逆にそれを糧にすることを学んだ彼の生き方だ。

さらに彼は続ける。彼は去年、膵臓ガンを患い、一時は三ヶ月から半年の命と宣告されたことを告白した。死を覚悟し、家族に別れを告げ、社会的責務の整理を行うよう告げられたという。幸運なことに、彼の症状は珍しいもので完治できることがわかり、術後しばらくの休養の末職務にも復帰した。この経験を通して考えたことを興味深い言葉で言い表している。

”death was a useful but purely intellectual concept…death is very likely the single best invention of life.”

そして、死は時の流れを示す指標であり、最後の到達地点であり、古いものを消し去って新しいものの生まれる余地をあたえるものでもある、と言っている。”死”の前では、自分のものでない考えも、どんなプライドも、失敗を恥じ、恐れることもその意味を失う。何かを失うかもしれないと恐れ、立ち止まってしまう罠から逃れるにも、”死”という概念は力になる、と言うのだ。失うものなど何もないからこそ、自分を、自分の求める何かを見つけ出さねばならない。そしてそんな自分なら、信ずるに足るだろうーー。ジョブスの潔さと人を引きつける強さは、そんなところから来ていると思う。

彼の言葉が実感を持って響いてきた。自分も28の時、がんを患い、手術、治療、再発、そしてよくなった今も再発への恐れは消えていない。OK、自分はこれらを経験した。ではその後で、何が自分にとって大切なことなのか、何をすべきなのかーそれを常に考えようとしている。いや、考えざるを得なくなった。もちろん、四六時中とはいかないけれど(笑)

アップルの魅力にとらわれた者として、そのさまざまな製品によってインスパイアされ、単なるツールとして以上の力を借りてきたように思う。それはこれからも変わることはないだろう。自分にとって、アップルの製品は本当の意味でパーソナルなコンピューターとなった。

最近また、ジョブスはCPUをIBMからIntelに移すという大英断を下したが、そのプレゼンテーションもいかにも彼らしいものだった。

“We will be very excited to keep pushing the frontiers, and tell you about Leopard, (the next OS) the next time we meet next year.
Because more than even the processors, more than even the hardware innovation that we bring to the market, the soul of Mac is its operating system. And we are not standing still….”

今の成功におごることなく、常により良く、新しいものを創り出そうとする姿勢。それはコンピューターという世界にとどまらない、生きる人としてのあるべき姿でもある。

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