— Delirious New York Diary

どちらも英和辞書を引くと”共感”という単語がまず目に入ってくる。

ただ”Sympathy”は一般的に”同情”という意味で使われることが多い。”共感”と”同情”という、二つの単語の意味の相違に、自我とその外部との関わりにおける重要な鍵が隠されている。いわば、全ての始まりとなるべき最も大切な鍵。

DSC03276 「見る」ということーEmpathyとSympathy

Sympathyにおいては、外界の事物・事象そのものの存在を受け止めた上での、自らの心象に自動的に発生した”鏡像”への受動的共感・同情である。それに対して、Empathyは外界に対し、自ら働きかけることによってそれら事物・事象を抽象化/認識/理解/再構成/構築というプロセスを通して自我に内在化させる。ここでの”共感”は、自我内部に自動的に発生したイメージに対してのものではなく、事象の内在化プロセスー自発的な自我の働きかけを指しているのだ。

DSC03277 「見る」ということーEmpathyとSympathy

建築においても写真においても、いやあらゆるものに対して、Empathyを持って外界に踏み出すこと、それが鍵になる。Existence–外への/スタンス/一歩。 全ては、そこから始まる。

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写真という3次元あるいはそれ以上である空間を2次元に封じ込めるメディアは、諸刃の剣となりうる。

実際空間の視覚にとどまらない様々な情報をいかに捉えるか。自らの外部に存在しつつ、時間と記憶の地平へと覚醒していくempathyをいかに見る者の内部に呼び起こすことが出来るか。

street 写真という建築手法

写真が視覚を足がかりに様々な知覚と個人の記憶を刺激していくこと。それは空間を理解し、自らの中で再構築し実際空間との関係を作り上げる建築においての空間認識と変わるところはない。

全ての写真というものは、建築手法そのものなのだ。視覚によって促される刺激とは、見る者のそれに対する反応とは何なのか。そこに厳しい問いのメスが入っていない写真はまた与えるものも限られている。

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